尚早の邂逅
駆ける。駆ける。
通路を疾風の如く駆け抜ける。
その先にある空間へと足を踏み入れた。
「――見つけたっ」
まず見えたのは尻餅をついた少女の姿だった。
次ぎに彼女へと迫る火炎に気がつく。
方向性を持って人を襲う火炎。
それを認識して、この足は強く地面を蹴った。
「間に合えっ」
火炎が彼女を撫でる前に。
灼熱が彼女を焦がす前に。
その思いが先行し、後から骨格がついてくる。
コボルト・スケルトンとしての脚力が唸りを上げた。
そして、火炎よりも一歩はやく、彼女へとたどり着く。
「――え?」
抱きかかえた少女から、呆気に取られたような声がする。
しかし、それに反応している余裕はない。
足を止めることなく駆け抜けて、火炎をその場に置き去りにした。
「間に合ったか」
火炎は今の今まで少女いた地点を焼き焦がしていた。
岩肌の地面は赤く熱せられて融けている。
尋常ではない火力だった。
まともに浴びれば灰も残らない。
「それで、あれが……」
視線は融解する地面から、火炎を吐いた魔物へと移る。
赤熱の鱗を纏い、火の息を吐く大蜥蜴だ。
恐竜かなにかだと見まごうほどに大きい。
奴はこの空間の中心に陣取り、こちらを見据えている。
今のところ、更に攻撃を加えてくる様子はない。
突然の介入者である俺を、警戒してのことだろうか。
なんにせよ、攻撃してこないのなら都合がいい。
「スケル……トン――どうして、私……」
腕の中から、少女の声がした。
ひどく困惑しているみたいだ。
九死に一生を得て、しゃべるスケルトンに助けられた。
そんな経験をしたのだから、そうなるのも当然か。
「あんたは運がよかった」
視線を蜥蜴から離すことなく、少女を地面に降ろす。
足に負傷はないようで、直立に問題はなさそうだ。
ちらりと彼女を見やる。
身に纏う軽装にも、それらしい損傷はない。
肩のあたりで切り揃えられた髪も綺麗なものだ。
この様子なら一人でも、この場から去ることはできるはず。
「でも次はない。ここから逃げろ」
「あ、あなたは、いったい」
「ただのスケルトンだ」
すこしばかり、他よりもおしゃべりな。
「さぁ、行け。それとも焼け死にたいのか?」
「……っ」
焼け死ぬという言葉で、すこしは冷静になったのだろう。
少女の顔にあの大蜥蜴への畏怖が戻る。
あとすこしで焼け死んでいた。
助かったのは奇跡的だ。
そして、その奇跡は都合良く二度も起こらない。
「どなたかは存じませんが、ありがとうございます」
そう告げて、少女はこの場から駆けだした。
とうの俺はと言うと、すこしぽかんとしてしまっていた。
まさかお礼を言われるとは。
魔物なのに、スケルトンなのに。
「ふっ――」
お礼を言われたのは五十年ぶりだ。
そのことがすこし笑えて、けれどすぐに心の表情から笑みを消した。
火を噴く大蜥蜴が、まだこの場にいるからだ。
「さーてと、あれはなんて言う魔物なんだ?」
火蜥蜴か?
「――サラマンダー」
「サラッ――マジかよ」
聞き覚えがあるぞ、サラマンダー。
多くの物語やゲームに登場するメジャーな存在だ。
そして大抵の場合、サラマンダーはコボルトよりも遥かに強い。
「――このダンジョンにおける中位の魔物です」
「中位……」
コボルトですら低位の魔物だって言うのに。
俺はまだそれに毛が生えた程度だぞ。
「……いまの俺が戦って勝算はあるのか?」
「――現在のあなたに、サラマンダーに対する有効打はありません。勝算は限りなくゼロに近いでしょう」
「はっ……だろうな」
出来ることなら、今すぐにでもここから立ち去りたい。
コボルトの脚力を持ってすれば、それは十分可能なはず。
だが、ここで逃げたらサラマンダーは彼女を追うだろう。
それでは助けた意味がない。
それだけは避けなければならない。
少しの間だけでも時間稼ぎをしなくては。
「勝算がなくたって、戦わざるを得ないか」
無謀なのは、わかりきっている。
時期尚早もいいところだ。
いつかは倒せるように成れるかも知れないが、それは今ではない。
どう考えても、いま挑むべき相手じゃないのは目に見えている。
それでも時間稼ぎくらいは可能なはずだ。
ある程度、時間を稼いだら折りをみて退避する。
それしかない。
「掛かってこい! 蜥蜴野郎っ!」
注意を引くために大声を出して地面を蹴った。
高速で迫る俺の姿を見て、サラマンダーは火炎を食む。
そうして開かれた大口からは、灼熱の炎弾が放たれた。
「釣れたっ」
いまサラマンダーの注意は俺に向いている。
これで俺がこの空間にいるうちは彼女を追わない。
俺がここで死ななければ彼女は助かる。
「――」
放たれた炎弾は散弾のごとく広範囲に散る。
回避は現実的じゃない。
そう判断して両の獣爪で迎え打った。
散弾となった火炎の一つ一つは小さいもの。
だから、獣の魔力で掻き消せると踏んだ。
しかし、読み通りとはいかない。
「くそっ――」
散弾となった火炎は掻き消せた。
ただし、相殺という形になってしまう。
爪が炎を裂き、炎が爪を燃やす。
獣の魔力は剥がれて、骨が露出する。
迎撃は両の腕で二つまでが限界だ。
そして残りは捌き切れない。
「ぐぅっ」
散弾がこの身を掠め、身に纏う魔力を燃やしていく。
コボルト・ファーが身代わりになってくれているが、それも長くは持たない。
毛皮で炎は防げない。
もたもたしてたら丸裸だ。
「くそったれがっ!」
地面を踏み砕くほどの勢いで、その場から跳躍する。
上空へと逃れて炎の散弾の有効範囲から離脱した。
そうして即座にコボルト・ファーの修復を開始する。
今まで貯蔵してきた魔力を惜しみなく注ぎ込んでいく。
「大赤字だ、ちくしょうめっ!」
悪態をつきながら、直した獣爪で虚空を掻く。
生成された魔刃は、頭上からサラマンダーを襲撃する。
しかし、その赤熱の鱗にすべて弾かれてしまった。
「無傷かよっ!」
俺がいま行える最大威力の攻撃だ。
それでも傷一つ付けられない。
本当に勝ち筋が一つも見つからない。
やはり、今のままでは。
「諦めるなっ! 思考を止めるなっ、考え続けろっ」
着地と同時に走り出し、そう自分に言い聞かせる。
勝算がないことくらい、初めからわかっていたはずだ。
いまは時間を稼ぐことだけを考えろ。
「とにかく、いまは死角に」
サラマンダーの姿形は、大きな蜥蜴と大差ない。
四肢で身体を支え、常に姿勢が低い。
後ろに目がついている訳じゃない。
背後に回れば、見えにくくなるはず。
しかし、その考えも即座に否定された。
「なっ――」
サラマンダーは尻尾で器用に重心を取り、後ろ脚の二足で立ち上がる。
頭の位置が変わり、視点が持ち上がった。
目が横についていて、サラマンダーの視野は人間よりも広い。
その上であの体勢からこの空間を見渡されたら、死角などないも同然だ。
そして敵を再捕捉したサラマンダーの攻撃は、より凶悪なものとなる。
「上に……」
天を仰ぎ見たサラマンダーは、上空に向かって火炎を吐いた。
それは上昇すると無数に分かれ、そして雨のように降り注ぐ。
「冗談だろ……」
触れれば魔力すら焼き尽くす炎が、天から無数に降ってくる。
悪夢でも見ているような気分になった。
だが、この光景は悪夢じみていても現実だ。
火炎の雨は降り注いでいる。
「どうしろってんだよっ!」
雨から逃れるように必死で走る。
だが、この脚力を持ってしても雨を振り切ることは叶わない。
落ちる。落ちる。
炎の雫が落ちて、獣の魔力を削ぎ落とす。
失った端から修復を試みるが、まるで追いつかない。
すこしずつ削られていく。
「どうするっ、どうするっ!」
削り取られながら思考する。
魔刃で迎撃するか? いや、魔力が持たない。
ここから逃げるか? いや、まだ時間が稼げていない。
攻撃を仕掛けるか? いや、いまの俺に有効打はない。
諦めるか?
「それだけは絶対にないっ!」
諦めることだけは絶対にしない。
そう決めたはずだ。
たとえ絶対に敵わない相手だとしても。
そう意思を込めてサラマンダーを睨む。
そして気がついた。
「――あれは」
蜥蜴の単純な体構造に。
奴の鱗はたしかに固くで丈夫だ。
俺からのどんな攻撃も弾かれてしまう。
だが、その反対側は違う。
下顎から下腹部にかけての鱗に、背中や頭部ほどの強度はない。
立ち上がっている今なら、そこを攻め立てられる。
一矢報いられる。
「一か八かっ!」
逃走路の進路を急遽変更してサラマンダーへと向かう。
出し惜しみはなしだ。
貯め込んだ魔力のすべてを使って修復と攻撃の両方をこなす。
火炎の雨がこの身を打っても止まらない。
魔力が燃えて骨が露出しても走り続ける。
そして、たどり着く。
サラマンダーの懐へ。
「――」
サラマンダーは体勢を変えた。
至近距離にまでたどり着いた俺を、踏み潰そうと倒れ込んだ。
自身の身体が雨をしのぐための屋根になるとも知らず。
これで、ありったけを獣爪に回せる。
「突き上げろっ!」
注ぎ込んだ魔力が獣爪を巨大化させる。
巨爪と化した一撃を振るい、サラマンダーの胴に向けて一閃を薙いだ。
一爪は胴体を突き上げ、振り抜くことで更に魔刃が放たれる。
零距離から放たれた魔力の刃が、サラマンダーの腹部を斬り裂く。
そして、その巨体を宙へと吹き飛ばした。
「どっ……どうだっ!」
ひどく重い音がして、サラマンダーが地面に落ちる。
腹を引き裂いた。高いところから落ちた。
すこしはダメージが通ったはず。
あわよくば、倒せたかも知れない。
「……そう簡単には、いかないか」
サラマンダーは、平然と体勢を整えた。
何事もなかったかのように。
刻みつけた傷は浅かったようだ。
高所からの落下もダメージになっていないように見える。
あれだけの攻撃で、この成果しか出せなかった。
けれど、一矢は報いた。
「なんだ? ……怒ってるのか?」
サラマンダーが吐く息に、濃い火炎が混じる。
「こんなスケルトンに一矢報いられて」
挙動に力みが生じる。
「俺を殺したいか? あ?」
大気を震えさせるほどの咆吼を放つ。
「そうかい。なら、捕まえて見ろよ。この鈍間蜥蜴っ!」
俺は再びコボルトの脚力で地面を蹴った。
だが、それは追撃をかけるためじゃない。
逃げるためだ。
彼女とは正反対の方向へと。
「これだけ気を引いたんだ……絶対、俺を追ってくる」
俺の読みは、ここに来てようやく当たる。
憤慨したサラマンダーは俺を追いかけてきた。
なら、すでに俺の目的は達したも同然だ。
この入り組んだダンジョン。
その狭い通路での追いかけっこなら俺に分がある。
コボルトの機動力と俊敏性を持ってすれば絶対に追いつかれない。
サラマンダーが俺を見失うころには、彼女も逃げ切っているはずだ。
「ざまあ見ろってんだっ!」
後方から放たれる火炎弾を、地形を利用して躱しに躱す。
機動力と俊敏性を持って、サラマンダーを翻弄する。
もう二度と火炎を喰らったりはしない。
サラマンダーは二度と、俺を捕まえることはできない。
それを証明するように、俺はダンジョンを駆け巡った。
そして最後には完全に振り切ってみせる。
「はっ……どんなもんよ」
遠くからサラマンダーの声がする。
見失ったことに腹を立てて吼えているみたいだ。
結局、サラマンダーには勝てなかったけれど、目的は達成できた。
試合に負けて勝負に勝った。
いまはそれだけで十分だ。
「さて、と」
その辺に転がっていた手頃な岩に腰掛ける。
「じゃあ、考えるか」
そうして思考を巡らせた。
「どうやってあのサラマンダーをぶっ倒すか」
負けっ放しは気にくわない。