魔物の人間
重くて張り詰めた嫌な空気。
この室内に満ちたそれは私たちの気分をも重いものとする。
まるで取り調べを受けている気分だった。
「順を追って確認しようか」
そんな私たちを見越してか。
支社長は机上の報告書を手に取り、話の主導権を握る。
「まずそのスケルトンに生前の自我があるって言うのは本当か?」
「は、はい。他ならぬスケルトン自身がそう言っていました」
すこし上擦りながら健司さんが答える。
「なら、意思の疎通ができるってのも本当だな」
隅のほうで中位の探求者たちが小さく話しているのが聞こえる。
内容までは聞き取れないけれど、そのノイズのようなものが、どうしようもなく不安を駆り立てる。
「ここに遭遇時に交戦したとあるが、その時の詳細を教えてくれ」
「はい、まず自分と――」
健司さんはすこし言葉を詰まらせながらも当時の様子を語っていく。
剣を受け止められ、拳を捌かれ、最後には尾によって弾かれた。
そして自身は無傷のままであったとも。
「正直、手も足も出ませんでした」
「ふーむ……それだけ実力差がありながらスケルトンはお前たちを殺さなかった。それどころか押し寄せるスパルトイから助けてくれたって訳かい」
「そうなります」
話をしている健司さんも、それを聞いている私たちも、きっと思うことは同じだ。
なんて突拍子がなく、現実味のない話なんだろう。
スケルトンと言えばダンジョンでは最弱の魔物だ。
低位の探求者でも複数体を一度に相手して問題ないほど弱い。
なのに、彼はまったくの別物だ。
そんな存在が今の今まで発見されなかったことが不思議なほどに。
「聞けば聞くほど信じがたい話だな」
それは問いかける側の支社長も同じようだった。
「支社長、自分からも一ついいですか?」
壁を背もたれにして立っていた探求者の一人が手を上げる。
二十代くらいの若い男性だ。
「あぁ。なにか気になることがあるのか?」
「はい。この報告書によれば、そのスケルトンは炎と氷を操ったとあります。炎の刀を携えていたとも。当然、既知のことでしょうが、スケルトンにこのような特性はありません」
通常ではありえない。
「なにか……あー、具体的には思いつきませんが、その五人が勘違いをしているという線は?」
「どうなんだ?」
支社長の視線が健司さんを射抜く。
「勘違いをしていた可能性は限りなく低いと思います。自分たち五人はこの目でたしかに見ました。スケルトンが炎の刃でスパルトイを焦がし、氷の壁で行く手を阻んだことを」
「間違いないか?」
「間違いありません」
支社長の視線が私たちにも向く。
だから私たちは揃って首を縦に振った。
「そうか。なら、そのスケルトンが実在する前提で話を進めよう。問題はなぜスケルトンが本来なら備わっていない二種の特性を扱えているのか、だ」
当然の疑問。
そのことは私も気になっていた。
彼は私たちが知るスケルトンという枠組みから逸脱している。
なぜ、そのような変化が彼に起こったのか。
思考を巡らせてみるけれど、私にその答えが出せるはずもなかった。
「スケルトン……骨……あの、いいですか?」
今度は支社長の背後にいる探求者が手を上げる。
二十代前半くらいの若い女性だ。
「どうした?」
「これは私の勝手な憶測なのですが、件の魔物の不審死となにか関係があるのでは?」
魔物の不審死?
「あぁ、あれか……たしかに、その線もないとは言い切れないな」
周囲の探求者たちの反応も支社長とほぼ同じだ。
わかっていないのは私たちだけ。
「あの、魔物の不審死と言うのは?」
「ん? あぁ、そうか。お前たちは知らないか」
思考のために伏していた視線が持ち上がる。
「最近ダンジョンの中で奇妙な死に方をしている魔物が多数発見されているんだ。大量のコボルトと複数のジャックフロスト、そしてサラマンダーの一個体」
サラマンダー。
その名前にすこし心がざわついた。
「いま挙げた魔物の死体からは骨が一つも見つからなかったんだよ」
「骨が……ない?」
「あぁ、骨格だけがごっそり抜き取られてやがるんだ。奇妙だろ?」
「はい、それは……まぁ」
死体から骨がなくなっている。
たしかに奇妙だ。
不審死と言って間違いない。
「その死体には外傷こそあれど喰われた形跡も特にない。あったとしても死後数時間後のものばかり。殺した奴は肉にも目をくれず、骨だけを持ち去ったって訳だ。つまり……」
「つまり?」
「スケルトンなら……辻褄が合うってことだ」
辻褄が、合う。
「殺しておいて肉を食わない理由も、骨を持ち去る理由にも違和感がない。それにジャックフロストは氷の魔物で、サラマンダーは炎の魔物だ。炎と氷、お前たちの報告と一致する」
そう話す支社長の語気はだんだんと力強いものとなる。
話しているうちに支社長の中で仮説が組み上がっていく。
そんな印象を私たちは受けた。
「偶然にしては出来すぎだ」
たしかにこの符号の一致をただの偶然として片付けるには無理がある。
「そのスケルトンは骨を利用して他の魔物の特性を得ることが出来るかも知れない」
支社長の言葉に中位の探求者たちはざわめいた。
当然だ。
もしその仮説が本当なら彼は今以上に強くなる可能性を秘めている。
最終的にどれほど強くなるのか見当もつかない。
底が知れない。
「まっ、待ってください、支社長。そいつに生前の自我があるなら、元はただのスケルトンってことですよね? そのスケルトンが同じ低位の魔物とはいえジャックフロストを倒せるとは思えません。サラマンダーなんて……」
「言いたいことはわかってる。特にサラマンダーはお前たち中位の探求者が五人はいないと太刀打ちできない魔物だ。そいつを単身で倒すなんてスケルトンには無理だ、本来ならな」
だがな、と支社長は続ける。
「スケルトンが骨を介して他の魔物の特性を得られるなら話は違ってくる。人並みの思考能力があるなら、サラマンダーやジャックフロストに対して有利な特性を得ることだって可能だろ。たとえば……シーサーペントとか――」
シーサーペント。
海原の大蛇。
ダンジョンにはいくつかの水没エリアがある。
かつて行われた大規模調査でその姿が確認されているらしい。
彼はそんな魔物まで倒していた?
「――コボルトとかな」
「……コボルト」
ふと、思い出す。
あの時のことを。
「どうした?」
「い、いえ……その……」
不意に口を突いて出た言葉を後悔する。
けれど、言ってしまったことは取り返しがつかない。
「……実は以前にも一度、私はそのスケルトンに助けられているのです」
「以前にも? ……なぜ、その時に報告しなかった」
「それは――」
言葉に詰まる。
「その話は私たちも聞いていました」
そんな私へ助け船を出すように秋子さんが口を開く。
「当時の彼女は私たちの目から見て、とても錯乱しているように見えました。スケルトンが言葉を話し、あまつさえ命を救われた。彼女が話す内容を私たちは信じることができず、恐怖のあまりに混乱しているのだと判断せざるを得ませんでした」
「……まぁ、無理もないか」
幸いにも、支社長は納得してくれた。
「ありがとうございます」
「いいのよ」
小さく秋子さんにお礼を言って、私は話の続きを言葉にする。
「そのスケルトンはサラマンダーの火炎放射を振り切るほど速く駆けて、私を救い出してくれました。あの機動力と俊敏性は恐らく……」
「コボルトのもの、か」
「はい……」
彼が纏っていた魔力も、あの時は違っていたように思う。
まるで獣を模したかのようだったあれは、もしかするとコボルトのものかも知れない。
「コボルトの毛皮には冷気に対する耐性がある。雪国じゃ飛ぶように売れる人気商品だ。それを利用すればジャックフロストにも勝機があるだろう。サラマンダーとの接点も、そこで生まれた訳だ」
あの炎の刃はサラマンダーの火炎だった。
あのとき私の命を奪い掛けた炎で、今度は私たちを救ってくれた。
だと言うのに、私が今していることは恩を仇で返しているようなものなのではないか。
そのような考えが先ほどからずっと頭の中でぐるぐると繰り返されている。
「決まりだな。朽金」
「はい」
朽金と呼ばれた中位の探求者が返事をする。
「お前の判断でメンバーを集めろ。準備が整い次第、スケルトンの捜索を開始するんだ」
「わかりました」
淡々と告げられる内容に私は理解が追いつかなかった。
数秒ほど遅れて支社長が彼を討伐する気なのだと理解する。
「――ま、待ってください!」
気がつけば私は立ち上がっていた。
「討伐、するのですか?」
「あぁ、そのつもりだ」
支社長は告げる。
とても抑揚のない平坦な声で。
「そんな……彼には生前の自我があって……私たちを助けてくれたのに」
「……まぁ、たしかにそうだな。そのスケルトンは俺たちの仲間を助けている。この報告書にも人に対する敵意は認められないとある。放っておいても問題はないかも知れない」
「――ならっ」
「でもな、もしその自我が消えちまったらどうする」
「自我が……消える?」
呆気に取られてしまう。
彼の自我が消えてしまったら、どうなるのか。
そんなことを考えもしなかった。
「そいつが人として振る舞っているうちはいいさ。だがな、魂が人のままでも身体のほうは魔物なんだ。いつどこで魂まで魔物になっちまうかわからない。そんな危険を孕んだ奴を見過ごすことは出来ないんだよ」
考えが足りなかった。
私はどうしようもなく未熟だった。
敵意がなければ討伐の対象にもならない。
そんな都合のいい思い込みで、私は彼を本当に裏切ってしまった。
「たとえ、人殺しになるとしてもな」
いま私は命の恩人を窮地に陥れたのだ。
私はその自覚とともに崩れ落ち、ソファーに倒れ込んだ。
「ちょ、ちょっと大丈夫?」
「……は、はい」
中身のない返事をして視線を支社長へと向ける。
彼はすでに周囲の探求者たちと話し合いをしていた。
私にはもう止められない。
「よし。お前たちはもう帰っていい。ご苦労だったな」
そう私たちに言った支社長は部屋をあとにした。
その後に続くように中位の探求者たちもいなくなる。
この部屋には私たちだけが残された。
「……私はどうすれば」
私は探求者として正しいことをした。
けれど、そんな自分を私は誇れるだろうか?
答えは否だ。
恩を仇で返したことを誇れはしない。
人として恩を返したいと思う反面、探求者として正しくあらねばという思いもある。
その二つがせめぎ合って身動きが取れない。
「……帰ろうか」
「そうだね……」
結局のところ答えなど出なかった。
恐らく、みんなも同じ悩みを抱えている。
けれど、それを口にすることもなく帰路に付く。
見上げた夜空には二つの月が浮かんでいた。
まるで私の心を映し出しているかのように。