死者の古城
「そう言えば、名前はなんていうんだ?」
ケルベロスを無事に振り切ったのち、飛行を続けながら背中の少女に問う。
「私ですかー? なんでしたっけー……えーっと」
「おいおい」
「ふっふー、冗談ですよー」
くすくすと笑いつつ、彼女は言葉を続ける。
「私は梨々花といいますー。苗字は……忘れちゃいましたー」
「……大丈夫なのか?」
彼女、どうにも記憶が怪しい。自分の苗字すら思い出せないのは重傷だ。
これじゃあケルベロスの攻略法が聞けるかどうか。
「あー、さっきのところを左ですー」
「――マジかよ」
急いで龍翼を羽ばたいて急ブレーキを掛ける。翻って来た道を戻った。
「ふっふー、行き過ぎちゃいましたねー」
「すこし速度を落とそうか」
気怠げな話し方をするからか、梨々花は言葉に費やす時間が人よりすこし長い。
彼女のペースに合わせないと、飛行も会話も上手く行かなそうだった。
「ここか」
「そうですよー」
言われた通りに舵を切り、進路を修正する。
「ところで、どこに向かっているんだ?」
ケルベロスから逃げおおせたあと、ほかより安全な場所があると、梨々花は道案内を買って出た。それに従って飛行を続けていたのだけれど、具体的な情報が聞けていない。
「どこって、死者の国ですよー」
それを聞いて、ないはずの心臓がどきりとした感覚がした。
「今から殺されるのか? 俺」
梨々花を背に乗せている以上、ないとは言い切れないが。
「ふっふー、だとしたらどうするんですかー?」
「今すぐ振り落として引き返す」
「それは困りましたねー」
くすくすとまた梨々花は笑う。
「それで? どういうところなんだ? その物騒な国は」
「なんてことはないですよー。ただ私みたいなのが沢山いるところですー」
梨々花みたいなのが、か。
「今更なんだけど……」
「はいー?」
「幽霊、なのか?」
「今更ですかー?」
だからそう前置きしたんだけれど。
「半透明でー、宙に浮いててー、体重もなーい。そんな人がいると思いますー?」
「まぁ、いないか」
魔法を使えばあるいは、とも思ったが、彼女からは活発な魔力の動きを感じない。
魔法は使っていないはずだ。
「ウィル・オー・ウィスプか」
以前、ウィル・オー・ウィスプの三人組にあったことがある。
彼らは無事に成仏して天に返ったけれど、梨々花もなにかこの世に未練があるのだろうか。
「んー、それとはまた違うんですけどねー」
「違うのか?」
「まぁ……似たもの同士ではあるので、間違ってはないかもですー」
「……よくわからないな」
あとで精霊に聞いてみようか。
「あー、また通り過ぎちゃいましたー」
先ほどよりも飛行速度を落としたのに。
「……わざとやってる?」
「ふっふー、どうでしょー?」
わざとだな。
そう確信を抱きつつも、それ以降同じことは起こらず、スムーズに目的地付近にまで飛行できた。
「見えてきましたー」
見えてきたのは、いかにもな国だった。
大規模空間に鎮座する古城と城下町。崩れ掛けた城壁に朽ち果てた門。古城の周囲には不可思議な火の玉がいくつも漂い、天辺で靡く旗は薄汚れていた。天井から差す夜光石の淡い光も、この時ばかりは不気味に映った。
本当に安全なのか不安になってきた。
「まぁ、お似合いの場所か」
俺の現状は梨々花とそう変わらない。
生きても死んでもいない、生と死の狭間でたゆたう世界のはみ出し者。
そんな人たちが集まるというのなら、むしろ打って付けだ。
このスケルトンの姿を不気味に思う者もいないだろう。
「パスポートの持ち合わせがないんだけど」
「大丈夫ですよー、私と一緒なら顔パスなんでー」
「それはよかった」
入国拒否されたら流石に凹む。
そんなこんながありつつも、古城の周辺で地に足を付ける。
俺たちはそのまま朽ち果てた門へと足を運んだ。
「おつかれさまでーす」
梨々花の言う通り、門はあっさりと通過できた。
番兵と思しき、これもまた半透明な男性はこちらを物珍しそうに見たものの、入国を止めるようなことはしなかった。
足を進めて城下町に入る。
目の前に広がるのは、梨々花が言っていた通りの光景。半透明で、宙に浮いていて、体重を感じさせない人々が、壁やら地面やらをすり抜けて行き交っていた。
「まるでホラー映画だ」
かつて映像作品として描かれていた世界と重なる部分が多い。
違うのは主人公が人間ではなくスケルトンだということ、襲われる側というより襲う側であるということだ。
まさか自分がそちら側に回るなんて、あの時の俺は考えもしなかったな。