両翼の熱風
自力では解読不可能な混沌の言語でも、声に乗った感情くらいは読み取れる。
ジャバウォックの嘲笑が鳴り終わると、一瞬の静寂が周囲に満ちる。それを破ったのは聴覚を劈くような鋭い雷鳴だった。
朝靄の天井を貫いて迫る落雷に頭を打たれて視界が揺れる。
ただ、それだけだ。落雷でバジリスクの鱗は貫けない。衝撃は受けるがダメージはなく、すこしくらりとする程度。ゆえに立ち直りも早く、次の攻撃への対処が間に合う。
右側面から飛びだしてくる炎の槍。視界の端から現れた朱色の一閃を躱すと、その先で水の剣が振るわれる。飛沫を伴う剣閃に対して、腕を盾にして受け止める。
やはりこれもバジリスクの鱗には太刀打ち出来ず、水の刀身が半ばから折れた。
「なにが目的なんだ?」
どの攻撃も生温い。とても俺を排除しようとしているとは思えない。
いったい何が目的なんだ? この攻撃になんの意味がある。
「■■■■■■■■■■」
繰り出されるあらゆる属性の攻撃へ、的確に対処しているとどこからかまたジャバウォックの嘲笑が響いてくる。
「あぁ、そういうことか」
その笑い声でジャバウォックの意図に気がついた。
ジャバウォックは遊んでいるんだ。だから、最初は弱い攻撃から始まった。
その証拠に――
「やっぱり」
たった今、薄墨刀で断ち切った炎の槍。以前のものよりも威力が高くて速度が速い。
すこしずつすこしずつ攻撃の威力を強めていくことで、標的を嬲り殺しにしようとしている。きっとアルラウネたちにも似たようなことをしているのだろう。
「随分と余裕そうだけど」
繰り出される攻撃の合間を縫って、背中に生えた両翼に炎を灯す。
そうしてサラマンダーの炎を纏う炎翼を広げて、広範囲に向けて熱風を撒き散らした。
朝靄の水分を蒸発させ、尚且つ風で押し流す。熱風は周囲の朝靄を掻き消しながら森を駆け抜け、白んだ世界に隠れていたジャバウォックの姿を炙り出した。
「そこか!」
こそこそ隠れるのもこれでお終いだ。
炎翼を羽ばたいて推進力を得て急加速。一っ飛びにジャバウォックへと肉薄し、薄墨刀で一撃を見舞う。ジャバウォックもこれは予想外だったのだろう。以前のように掻き消えたりすることもなく、携えていた杖状の得物で一撃を受ける。
一刀はたしかな感触とともに受け止められた。けれど、それは実体を捉えた証。いま目の前にいるジャバウォックはまやかしや幻なんかじゃあない。本物のジャバウォックだ。 「見つけたぞ」
「■■■■■」
杖を乱暴に振るわれて押し返される。
だが、ここで距離を離されるわけにはいかない。直ぐさま羽ばたいて再度肉薄し、逃亡の隙を与えることなく畳み掛ける。
バジリスクの石化能力を使うことができれば、あるいは朝靄が晴れた時点で勝負は決していた。まぁ、ジャバウォックはバジリスクよりも上位の魔物だ。混沌の言語で対処されてしまうかも知れないが、とにかく戦いを長引かせたくない。
ここで勝敗を決めるべく、一刀一刀に力を込めて剣閃を放つ。
「■■■■■ッ!」
「――小賢しい」
二歩、三歩と剣閃に押されて後退していたジャバウォックは、苛立ったような声音を上げて杖を輝かせる。それは魔力の刃となって伸び、剣を逆手に握ったかのような形状に変化する。
それが振るう一撃は真空波となって地面を引き裂き、森の木々を真っ二つに引き裂いて馳せる。切れ味鋭く、まともに食らえばバジリスクの鱗でさえも断ち切れてしまうかも知れない。
それが出来るなら、嬲るような真似なんてする必要なんてなかっただろうに。
いや、それがジャバウォックの性なのか。弱者を踏みにじり、嬲らずにはいられない。だから自らアルラウネたちを作り出し、そして――
「■■■■■」
苛立ったような声音を伴った幾つもの真空波を浴びせられる。
そのうちの一つ、もっとも早くこの身に届いた攻撃を捌くべく薄墨刀を薙ぐ。瞬間、接触した刀身が酷く重くなり、持って行かれそうになる。それほどまでに重い一撃を、それでもなんとか踏み止まって受け流す。進行方向を逸らして狂わせ、別方向へと誘導した。
「受けてられないな」
ジャバウォックの魔力を帯びた真空波は、手元で捌くには重すぎる。
すぐに背中の両翼で羽ばたいて空中へと退避した。地上では地面を引き裂いた真空波が過ぎていく。
「■■■■■!」
「――逃げるか、臆病者め」
「なんとでも言え」
お前にだけは言われたくない。
とはいえ、今は逃げの一手だ。空を飛んでいれば真空波も簡単には当たらない。隙を窺いつつ、好機を見極めて反撃に転じるのが俺がすべきことだ。
ジャバウォックの挑発に乗って無理に攻めたら返り討ちにされる。それがわからないほど冷静さを失ったつもりはない。
ジャバウォックは格上の相手だ。これだけで終わるはずもない。まだなにかを隠している。迂闊に動くのは危険だ。