戦闘の記憶
一直線に駆け抜けて、薄墨に染まった刀身で一撃を見舞う。
けれど、それは空振りに終わってしまう。斬ったと思ったその次の瞬間には、霞のようにジャバウォックが掻き消えてしまった。後にはなにも残らず、薄く白んだ朝靄が広がるのみで、当然ながら死体もない。
どこへ行った? いや、それよりもどこから仕掛けてくる?
更に警戒を重ねて周囲を見渡してみるも、やはり朝靄に阻まれてよく見えない。闇雲に進んでもこの森に迷うだけ。あちらが近づいてくるのを待つしかないか。
「■■■■■」
どこからともなく聞こえた混沌の言語。
「――霧の中を彷徨うがいい」
精霊の翻訳が終わるや否や、朝靄を突き抜けてなにかがくる。
視界に映るのは灰色の毛並みを靡かせる、一体の魔物。鋭い爪と牙を持ち、大きな体格と屈強な肉体を有した獣。その姿はこの場に似つかわしくない人狼――コボルトだった。
「ウォオオオオオオオオオッ」
ここはダンジョンの中でも高位の魔物がうろつくエリアだ。低位の魔物であるコボルトがいるはずがない。だが、目の前には紛れもなくコボルトがいる。鋭い爪が唸りを上げて、こちらを引き裂こうと虚空を切っていた。
「なんだってんだよ」
攻撃を繰り出してくるコボルトに薄墨刀を振るう。
かつては死闘を繰り広げた相手も今や敵じゃない。獣爪はこの身には届かず、刎ね上げられて宙を舞う。薄く黒い剣閃が閃いて、灰色の肉体を引き裂いた。
刀身を介して、たしかに伝わる命を断った感触。だが、死体は残らなかった。
「消えた……」
先ほどのジャバウォックと同様に霞のように掻き消えてしまう。
死体も遺骨も残らない。
「……幻覚」
俺はありもしない物を見せられているのか?
記憶の中にあるコボルトと戦わされた?
「グォオオオオオオオオオッ」
思考の最中に聞こえてくる、聞き覚えのある咆哮。
朝靄の彼方から跳び出し、拳を握ったのは真っ白な体毛に覆われたジャックフロスト。
突き放たれた拳を軽く躱して距離を取る。行き過ぎたジャックフロストはゆっくりとこちらに振り返った。
左右に伸びる長い髯も健在だ。
「とことん……趣味が悪い」
人の記憶に勝手に干渉して思い出したくもない戦いを追体験させられている。
これまで戦ってきた魔物たちはどれも当時の俺より格上だった。出来れば二度と戦いたいとは思わない相手ばかり。それはいくら実力差が出来ても変わらない、一種のトラウマのようなものだ。
だと言うのにこの有様だ。自分で戦おうとしないジャバウォックの戦法も気にくわない。
「上等だ」
薄墨刀を握り直す。
「グォオオオオオオオオッ」
再び咆哮を上げて跳びかかってくるジャックフロストに一撃を見舞う。
「絶対にお前の首を刎ねてやる」
剣閃はジャックフロストの首を通り過ぎて胴体から頭を切り離した。
「シャアァァァアアァアアアアアッ」
ジャックフロストの幻が掻き消えると、次の記憶が呼び覚まされる。
見上げた先には空中を泳ぐシーサーペント。深緑の鱗に覆われてうねる胴体はどこまでも続いているようにさえ思うほど長い。鋭いヒレで虚空を斬り裂き、その双眸で俺を睨み付けている。
その蛇鱗に刻まれた歴戦の傷跡はあの時、セリアや人魚たちと戦った個体に間違いない。俺が幻覚を見ているのは間違いないみたいだ。嫌な気分がする。
「シャァァァァアアァアアアアアッ」
幻のシーサーペントは口腔に霧を食み、その大口から水ブレスを解き放つ。
水底の地形すら変えた高威力の攻撃を、今度は誰の助けも借りることなく打ち破る。
「相手が幻覚なら」
左手を伸ばし、手の平を翳す。
「遺骨を拾う必要もないってことだろ!」
バジリスクの石化能力。手の平に宿った瞳がその効力を遺憾なく発揮し、迫りくる水ブレスを石化させる。それだけでなく更にその先で幻のシーサーペントをも石化させ、瞬く間に大きな石像が出来上がる。
それは空中から落ちて粉々に砕け散り、そうして例に漏れず雲散霧消する。
「――」
シーサーペントが砕け散るのを見届けたのち、視界の端に紅蓮の揺らめきを見た。
振り返ると火の吐息を漏らした大きな蜥蜴がそこにいた。燃え盛る紅蓮の鱗に覆われ、踏み締めた大地が融解する。身に宿す熱で大気が歪み、陽炎を生み出している。
それは紛れもなく、かつて宿敵だった魔物、サラマンダー。
「お前もか」
俺の中でもっとも印象深い魔物だった。
今でもあの死闘をよく覚えている。
ジャバウォックの幻覚なんかで出てきてほしくはなかった相手だ。
けれど、しようがない。俺の行く手を阻むというのなら、もう一度だけ戦おう。
「本当に不愉快だ」
ジャバウォックに対して怒りの念が積もる。
これまでこれほど魔物に対して怒りを覚えたことがあっただろうか。
心のうちで燃える炎を鎮火させる方法が思い浮かばなかった。




