人魚の本音
男女を含めた大勢の人魚たち。
彼らは俺を包囲し、魔法の射撃体勢に入っている。
弓を引くような動作を取り、矢のような魔法が形を成していた。
「言葉がわからずとも意図は通じよう」
そのうちの一人が告げる。
「セリアを離せ」
いま小脇に抱えている人魚の名がセリアだろう。
向こうからすれば魔物が仲間を捕らえているように見えているに違いない。
こちらにはそんな気なんて欠片ほどもないが。
「あぁ、わかった」
そう返事をすると、人魚たちがどよめく。
やはりスケルトンが言葉を話すと驚かれる。
まぁ、通常のスケルトンに知性や知能はないしな。
「ほら」
ゆっくりとセリアを解放する。
自由の身になったセリアは、真っ直ぐに発言をした男人魚の元に向かう。
「お兄様」
「おぉ、セリア。無事でよかった」
男人魚――セリアの兄は安堵の表情を見せる。
そして。
「撃て」
即座に攻撃命令を下した。
「――待ってっ!」
セリアが制止の言葉を口にするが、すでに矢は放たれたあと。
四方八方から矢の一群がこの身に迫った。
「――」
セリアを解放した時点で、なんとなくこうなることはわかっていた。
ここは人魚の領地で、俺は招かれざる客。
仲間を襲った魔物をそのまま帰すはずがない。
だからこそ、こうなった時のことは予め考えていた。
囲まれて逃げ場がないのなら、硬い防御を敷けばいい。
「馬鹿な……」
放たれた矢のことごとくは弾かれた。
硬い硬い、魔氷によって。
「ふー」
俺を中心とした間合いのすべてを魔氷で埋めた。
お陰で矢は一本たりとも通っていない。
「さて、と」
氷塊となったそれは重力に引かれた水底まで落ちる。
それを見計らい、ゆっくりと魔氷から出てその上に立った。
「なんなのだ……お前は。スケルトンではないのか?」
「スケルトンだよ。ただほかのよりおしゃべりで、色々できるけどな」
見上げた人魚たちはただただ唖然としている。
目の前の事実が信じられないかのように。
「なにが目的だ。私たちになんの用だ」
「用があるのは人魚じゃない。シーサーペントだよ」
「シーサーペントだと?」
兄がそう復唱してすぐのこと。
「――お兄様、私から説明します」
セリアがそう名乗り出た。
「かの魔物の言うことは本当です。実際にシーサーペントを傷つけました」
「傷つけただとっ! それは真かっ!」
「はい」
人魚たちに動揺が走る。
「やってくれたな、スケルトン」
兄が俺を睨み付ける。
「お陰でシーサーペントが怒り狂う。被害を受けるのは私たち人魚だ。早急に……あぁ早急に……贄を選ばなければ……」
贄?
そう疑問に思ったすぐあと。
「選ぶ必要はありません」
セリアはそう言った。
「なに? どういう意味だ?」
困惑する兄に対し、セリアは実に冷静だった。
「シーサーペントは元々、贄を喰らうつもりだったのです。それをかの魔物が邪魔をし、私はいまこうして生きています」
「――そんな馬鹿なっ! ならば、ならばお前がっ!」
兄が取り乱しても、セリアは動じない。
そして粛々と告げる。
「はい。私が贄に選ばれました」
贄。
生け贄。
シーサーペントを鎮めるための供物。
セリアがそれに選ばれた。
「滅ぼされないために……か」
完全に蚊帳の外になってしまっているが。
お陰でいろいろと察する時間ができた。
人魚にとって、恐らくシーサーペントは強大な敵だ。
束になっても敵わないほどに。
ゆえに人魚はシーサーペントの扱い方を神と同列にした。
触らぬ神に祟りなし。
だから傷つけることをあれだけ嫌っている。
そして神に贄はつきものだ。
定期的に生け贄としてシーサーペントに仲間を喰わせていたのだろう。
その順番が、今度はセリアに回ってきた。
「くそっ……どうしてセリアが……」
兄は苦しそうに言葉を吐く。
だが、それはどこか諦めているようにも見えた。
悲観しながらも、それを受け入れている。
あの時、セリアから感じた印象の正体はこれだったのか。
「シーサーペントに喰わせるのか? 自分の妹を」
「……スケルトン。お前には、わからぬであろう」
「あぁ」
俺にも家族がいた。
両親と祖父母がいた。
だが、俺が眠ってから五十年だ。
この世界のありようと年齢的なことを考えると、もう生きてはいないだろう。
それは覚悟していたことだ。
不治の病を治すために、先の時代に希望を託す。
そう決めたときから、親の死に目は見られないと腹を括った。
だからこそ、強く思う。
そんなに簡単に家族を諦められてしまうのか、と。
「わかりたくも……ないけどな」
とは言え、それを人魚たちに説く気もない。
俺のこの感情は俺だけのものだ。
ほかの誰かに押しつけるべきものじゃない。
彼らの問題に彼ら自身が回答を出したのだ。
横から個人的な感情論を挟むべきではない。
「それで? 俺の処遇はどうなるんだ?」
「いまは刻一刻を争う。時間が惜しい。お前のことは後回しだ。大人しく従うならば、牢屋でしばらく生かしてやる」
「断ったら?」
「いまこの場にいる者すべてがお前を射抜く」
俺を仕留める時間すらも惜しい。
それほど人魚たちは切羽詰まっている。
「牢屋、牢屋ね」
ここで人魚と戦うのは避けるべきだ。
無駄な消耗をしてシーサーペントとの戦いに支障を来したくない。
ここは大人しく人魚に従うとしよう。
牢屋に入ったら、適当に折りを見て脱獄しよう。
この場から逃げても、人魚に泳ぎで勝てるとも思えないしな。
「わかった。連れて行ってくれ、大人しくしてるからさ」
そう言いながら魔氷から水底に下りる。
すると、若い人魚が何人か俺のところにやってきた。
「先を歩け、スケルトン」
「わかってるって」
案内に従って水底を歩く。
背後では一定の距離を保った人魚たちが魔法を突きつけている。
すこしでも妙な動きをしたら射抜くぞと、そう言われているみたいだった。
「いい気分はしないな」
そんな独り言を呟きつつ、視線を持ち上げてみる。
頭上ではセリアと兄がなにやら話し込んでいる様子だった。
会話の内容は現状の打破ではなく、どう穏便に済ませるか、だろう。
セリアの死を前提として、話が進んでいるに違いない。
そんな推測をしながら、俺は牢屋までの道を歩き切った。
「ここに入っていろ」
苔と海藻、フジツボのようなもので覆われた檻。
粗末なそこに押し込められて、ようやく一息をつく。
「んー……造りは雑だし、すぐに壊せそうだな」
檻は狭く、四方が格子で出来ている。
腐食で脆くなっているのを見るに形だけの牢屋みたいだ。
脱出は難なく出来そうだが、問題は見張りにある。
「檻が雑なだけあって、見張りは多いな」
巡回の人魚が何人かいて、専属の見張り役もいる。
檻を壊しでもしたら即座に人魚たちと戦闘になるだろう。
それは望むところではないし、別の方法を考えよう。
「んー……」
どう脱出するべきか。
脱出したあと、どうやってシーサーペントを見つけるか。
そんなことをつらつらと考えながら時間が過ぎる。
そうして体感で数時間ほどが経過したころのこと。
「――ん?」
檻の前に誰かが立った。
天井から正面へと視線を下げると、格子越しに見知った顔を見る。
「こんなところに来ていいのか?」
そこにいたのは、贄になるセリアだった。
「それもたった一人で」
よくよく見てみれば、巡回も見張りもいなくなっている。
いるのはセリア一人だけ。
「えぇ。兄に許可はもらっています」
「よく出たな、そんなもの」
危ないだろ。
魔物だぞ、こちとら。
「いまは私に与えられた最後の時間ですから、多少の融通が利くんです。それに皆の手前、口には出しませんが兄もあなたに感謝しているんですよ」
「俺に?」
「えぇ。私を助けてくれたから」
あの兄が、か。
とてもそんな風には見えなかったが。
「私が人払いをしてまでここへ来たのは、あなたをお礼を言うためなんです」
「礼?」
「はい。あなたのお陰で大切な人たちに別れを告げる時間ができました」
そんなつもりで助けた訳じゃないんだけどな。
「ありがとうございます」
セリアは深々と頭を下げた。
「あとしばらくは誰もこの場には近づきません。今後、シーサーペントに関わらないのであれば、私たちもあなたを追うことはないと兄が言っていました」
「そいつは……ありがたいけど」
脱獄の許しが出たが、素直には喜べない。
シーサーペントに関わるな、という部分もそうだが。
なにもかもを受け入れて、セリアは抗うことを止めてしまっている。
その姿が、その様子が、見ていられなかった。
いつか自分もそうなるんじゃないか。
人間に戻ることを諦めてしまうんじゃないか。
そう考えてしまうとセリアを放ってはおけなかった。
「本当にいいのか? 生け贄になるなんて」
「いいんです。私一人の命でみんなが助かるなら」
「悔いはないのか?」
「ありません」
「死ぬんだぞ」
「覚悟の上です」
「じゃあ――」
視線は彼女の目から手へと移る。
「なんで震えてるんだよ」
「……え?」
彼女の両手は握り締められていた。
強く、強く、かたく、かたく。
耐えるように、押さえつけるように。
無意識に。
「あれ? どうして……もう、決めたことなのに」
震えはどれだけ押さえつけても止まらない。
「頭の中では死を受け入れていても魂がそれを否定してるんだ」
生きるということは本能だからだ。
諦めても、受け入れても、心の底では無意識に拒絶してしまう。
それが死というもの。
俺がスケルトンのまま動き続けている理由でもある。
死にたくないんだ、誰だって。
「いいのか? このまま贄になって」
「……く、ない」
セリアは呟き、崩れ落ちる。
「よくないっ……もっと生きていたい」
堰を切ったかのように感情が溢れ出す。
「外の世界を見てみたいっ、知らないことをたくさん知りたいっ、本物の海で泳ぎたいっ」
目から涙がこぼれる。
それは魔力の結晶となって浮かんでいく。
「たくさん、たくさん……やりたいことがあるのに」
そうして、ようやく本心を吐き出した。
「まだ……死にたくないよ」
セリアは本音を言葉にして自覚する。
まだ生を諦め切れていなかったことをと。
まだ死を受け入れられていなかったことをと。
そのセリアの様子を見て、どこか安堵している自分がいた。
やはり死は受け入れがたく、生は諦めきれないもの。
俺自身も諦め切れはしないだろうと、ほっとした。
「――よし。なら、こうしよう」
晴れやかな気分となって格子に手を掛ける。
力尽くで檻をこじ開けて、堂々と脱獄を果たす。
そうしてセリアのまえに立つ。
「一緒に倒しに行こうぜ。シーサーペントを」
「――え?」
その提案に、セリアは目を丸くした。