18 今上帝、不用意に求婚する ー煌明ー
ぱちり、と鋏を入れながらまるで定めてあるかのように花器に花を入れていく細い手を煌明は頬杖をつきながら眺めていた。
一度立てたもの一歩下がって見てから、また気になったのか左の葉を抜いて鋏を入れていく。
後毛のない結い上げられた黒髪はいつのまにか艶やかさを増し、真剣に花を見ている瞳は丸みを帯びたものからすっきりとした目尻に変わってきた。ちょうど今生けている白を基調とした水仙のように。
青蘭に与えた、紫鈴の代わりに奥宮全体を見る仕事もつつがなく進んでいると報告が上がっていた。疑問に思った事も聞き、その部署の者達を心から称賛しているのでその場がなごんだりやる気を出したりしているらしい。
さもありなん、と煌明は口元がゆるむ。
青蘭の心に触れた者ならば、誰しもそうなってしまう。不思議なことに。
村にいた頃ならばともかく、王都へ来て、奥宮へ奉公に上がってもこんなに心根が変わらない者も珍しい。
それに最近はほんのりと色が出てきて見目麗しい。初々しさが取れ、立ち姿にも上品な華やぎが見え隠れするのでいつまでも見ていたくなる。
流れるような指の動きを眺めていると、花の入れ具合をみていた青蘭がちらりとこちらを振り向いた。
眉を下げて言いづらそうに少しだけ唇を噛んでいる。分かりやすく困った顔をしているのが、とても愛らしい。
「どうした?」
見られてやりずらいのだろう。承知で問うと、鋏の持ち手をさすりつつ薄い紅をさすようになった唇がきゅっと結んだあと、開く。
「あの……そんな見なくてもちゃんと入れますよ?」
「気にするな、愛でているだけだ」
「まだ途中です」
「いいから」
何を愛でているかは言わずに続けろと目線で伝える。少しだけ尖った口が幼い。だが、上目遣いで「仕方ないですね」と軽くにらんでくる目元には色香が出てきた。
いよいよ側から離すのが惜しい、と思いながら再び花器に向かい出した小さき華に話しかける。
「荷作りは進んでいるのか?」
「着る物だけですから前日ぐらいで大丈夫です」
「ん? 正装も入れるだろう? 結構な荷となるはずだが……ああ、紫鈴を待って整えるのか。確かに、先に整えると後でうるさいからな」
「え? 正装?」
手を止め、きょとんとこちらへ向いたまん丸の目に、煌明もしばし眼を瞬かせる。
まて、私は青蘭に言ったか?
はたと頬杖の手を落とした。たしか、と口元に手をやり、脳内でここ半月の自分の動きを反芻する。
桓惠を通して利葉には青蘭を正妃にする事を告げた。
それにあたってシルバと共に紫鈴を使者に立て、テュルカ国へ養女に迎えて欲しい旨の打診に向かわせている。
緑栄には現在の案件を早急に解決するか、一旦止めて宮廷に戻る旨を使いに出した所だ。
青蘭にはテュルカ国にしばらく身を置き、体裁を整えてから戻ってくる旨を伝えたはずだが……。
「あー、青蘭?」
「はい」
「テュルカ国へ行く詳細は、聞いているか?」
「はい。思いの外長く逗留するかもしれないから、必要な物は順次追って送ると女官長さまから言付かっています。シルバさまと紫鈴さまの里帰りに追従するのかな、と思っていたのですが……ちがいますか?」
「いや、あー……」
非常に珍しいことだが、煌明は言葉を詰まらせた。方々に指示を出し、地固めをしておきながら本人に諾を得ていなかったのは、いまだかつてない失態といえる。
不用意に求婚することとなり、滅多に出ない冷たい汗が首筋をつたった。
煌明の様子に、青蘭が鋏を置いて側にくる。
「顔色が……熱はなさそうですがお茶を入れましょうか、湯の用意をしてきますね」
「いや、いい。側に」
強い口調で引き留めたので、また大きな瞳が不安気にゆれた。どうしたんだろう、大丈夫かな、と心から思っている事が見える。
相変わらず、正直だな。
青蘭の真心に口元が綻んでくる。
煌明は立つと、青蘭のために真向かいに置いてある椅子を自分の隣に持ってきた。
「陛下、いってくだされば私が」
「いいんだ、これからは私の役目になる」
え? と首を傾げる愛しい人を座らせた。自分もまた膝がつきそうなほど近くになった椅子に座り、さりげなく手を取る。
「青蘭、私は前に、私のことは近所の兄と思ってくれたらいい、と言ったことは覚えているか?」
「はい。とてもびっくりしました」
このお室に配属されてまだ日が浅い時でしたね、と青蘭は懐かしそうに目を細めて微笑んだ。
「近くにいるだけで震えるほど緊張していた私に、なんとも気安い言葉をおかけ頂いて、目を白黒させたのを覚えています」
「そんなに恐れていたのか?」
「いいえ、畏れ多く思っていました」
一生のうちでお目にかかる事もないぐらいな方とお会いしたら、誰しもそうなりませんか? と少しすねたように見上げてくる。
「そんなものか?」
「そうですよ。幼い頃とか、憧れの方はいませんでした?」
「いや、ない。まぁ、頭が上がらない人は居たが。畏れはしなかったな」
すごい、と青蘭は大きな瞳をさらにまん丸にした。そんなに凄くもない、と煌明は苦笑する。
先帝の御子として崇められいるのが嫌で幼少期は暴れてばかりだった。御子という立場から抑える事が出来なかった周りに痺れをきらして、一時的に預かってくれたのが利葉と柑音夫婦だ。
数年間、市井に下り紫鈴と緑栄と共に兄弟のように育ててもらった。いまだに頭が上がらないのは、義父母にあたる二人だけだ。
「剣の師も先の戦で亡くしたしな。この立場になってからは媚びへつらう者が多くて困る」
「陛下」
「なかなか私の信を預ける者は少ないのだよ、青蘭」
自分だけでなく、周りからみても信に値する者は数えるほどだ。その中の一人だと、この無自覚な少女に分かってもらうには、やはりはっきりと告げねばなるまい。
煌明は意志をもってたおやかな手を握る。柔らかな空気が張り詰めたのに気がついたのだろう。青蘭は口をつむり、背筋をぴんと張って煌明の言葉を待っている。
煌明は青蘭の両手を取り、静かに正面から向き合った。
「青蘭、其方は己が我が信に値すると自負するか者か」
「是」
「生涯を共にし、常世まで側に在ると誓うか」
「是」
真摯な眼差しと力みのない手で、青蘭は頷きながら応える。
「……常世までもだぞ? わかっているのか、青蘭」
「もちろん、死してなお、お側に仕えさせて頂きます」
澄んだ深い泉のような瞳には一点の曇りもない。
口を引き締め大きく頷く青蘭に、煌明は軽く首を横にふった。
「表向きは仕えるに値するが、そうではない」
「と、申しますと……?」
なにか間違えてしまったのか、と不安そうに眉を歪めたので、煌明は額に手を当てて誤った。
「すまん、間違っているのは私の方だ、物言いがいけないのだな。あー……こういう時、市井の者はどう告げているのか。そういえば見たことも聞いたこともなかった」
二人きりで話すことだ、そんな場面に遭遇する機会などあるはずもない。
言いながら内心で自分に応答してしまうほど、煌明は非常に、非常に珍しく動揺していた。
「言葉が固いからいけない。あれだ、近所の兄のように……いや、兄じゃ駄目だ。兄弟だと嫁にもらえぬ」
「……お嫁さん? ……陛下、どなたかお妃さまをお迎えするのですか?」
心の内を口に出していたと気づいた時には青蘭の顔色が真っ白に変わっていた。煌明の手のひらに乗せてくれていた指さえも、そっと引く動きをしたので慌てて握りしめる。
「ちがう、青蘭!」
「は、はいっ」
名を呼ばれ、ぴっと背筋が伸びる青蘭に、煌明はまたしてもちがう、そうじゃないんだ、と片手で目を覆って唸ってしまった。
従わせるのではない。そうではなくて。
煌明はおもむろに椅子から立つと、青蘭の膝下にひざまずいた。
「陛下! 何をなさって?!」
「青蘭、そのまま聞いてくれ」
甲高い声と共に腰を浮かした青蘭を見上げて、煌明は椅子に座るよう頼んだ。
「今の私は帝ではなく、一人の男として貴女に誓う。どんなに月日が過ぎ行きても、側にいることが叶わぬとも、青蘭の心を想っている」
言葉を紡ぐたびに、青蘭の目が口が、呆けたように開いていく。ああ、その無垢な心ごと、何もかも自分の色に染めてしまいたい。
「貴女が欲しい。
青蘭、私のお嫁さんになってくれないか?」




