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白陽国物語 〜蕾と華と偽華の恋〜  作者: なななん
第三部 側近の恋、蕾の転機
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17 シルバの誓い ーシルバー

 



 林を抜け、かなり時間をかけて走っていると、視界は開け草原が広がってきた。


 太陽の位置をちらりと確認し、軽く整備されている道を外れて東へと向かう。草原の中を入っていくように馬首を向けると、馬のアリの方が心得ているらしく迷うことなく走り出した。


 ほどなくして方向が変わったのが分かったのか、胴回りに回されている細い指から少しだけ緊張が抜けた。シルバはその白い手の甲に被せるように片手で握る。


「あと少しで着く」

「ええ」


 女の身体を思えば道中の半ばで休憩をする所だが、鍛えている紫鈴ならばその必要はない。が、朝、すこし無理をさせたので気にはなっていた。


 シルバは片手を握ったまま、少しだけ馬足を速める。長く馬上にいるよりかは早めに下ろして休ませた方がよさそうだった。




 しばらく走ると何もない草原の中に白い点が見えてきた。目的地であるキサのカリマだ。

 点が居住の形となって近づいてくる見慣れたカリマに、シルバはアリの馬足を緩めた。

 遠目にキサの嫁であるサリヤがカリマへと桶を持って向かっているのが分かる。


 馬のかける音が届いたのだろう、サリヤはこちらに向かって手を振ると、桶をその場に置きカリマの中に入っていく。すぐに入り口からキサが出てきた。


 アリを落ち着かせながらゆっくりとカリマに向かうと、大きな上背があるキサとキサの肩にも届かないサリヤが並んで迎えてくれた。


「よくきた、前回は婚姻の前だったか」

「ああ、今回は嫁として紹介できる。紫鈴」


 アリの身体が通常の馬より大きいので手を貸して紫鈴をおろすと、紫鈴はこんにちは、と遠慮がちにキサの前にきた。


「フル族の挨拶をしても?」


 キサは紫鈴に、というよりシルバに確認をとる。シルバが了承の意味を含めて頷いたので、キサは軽く両手を広げた。

 紫鈴もぎこちなく同様に広げると、ほほとほほをお互いにかるく触れ挨拶をした。

 夫以外の男性とこんなに近くで触れ合ったことがないであろう紫鈴は、気恥ずかしそうに目を伏せている。


「しーりん、よく、きた」


 片言の白陽語で声をかけたくれたのはサリヤだ、青蘭と同じぐらいな背丈のその人はにこにことして目一杯に腕を広げてくれた。


「サリヤさん、会いたかったです」


 紫鈴もこんどは遠慮なくサリヤを抱きしめる。サリヤも、ぎゅっと応えてくれてとても嬉しそうにワタシもデス、と言ってくれた。赤みのある健康そうな頬に触れると温かかった。


 ここでシルバへの想いに気づいたこと、テュルカ国からの帰りに寄れず寂しかったこと、サリヤの顔をみたら急に思い出してしまって、紫鈴は胸が一杯になってしまう。


「シルバ、わるい? シルバ、やさしくない? ワタシ、いう」


 そんな紫鈴の様子にもう一度優しく背中を撫でてくれる。サリヤはシルバに顔を向けると、大きなくりっとした黒目をじとりと細めた。


「嫁を泣かすな」

「優しくしている」


 キサまで眉をひそめたので、心外だ、と抱擁をすませた紫鈴の肩を寄せて、どうした、と覗き込むと、ごめん、ほっとしただけ、と目元を指でぬぐって新妻は笑った。


「紫鈴殿はすこし疲れているようだな、サリヤ」

「ハイ。 しーりん、ワタシとゆっくりする。いい?」

「はい、ありがとうございます」


 サリヤに連れられて先にカリマに入っていく紫鈴を見守り、シルバはキサに短く礼を言うとアリの世話をするために三人に背を向けた。


 と、キサがシルバと肩を並べてくる。


「新妻はなにかと不安定だ。気をつかってやれ」

「分かっている」

「そうか? 足元がおぼついてない。お前の好きなようにしたのだろう。少しは労わってやれ」


 今朝の事を見破られてさすがのシルバもぐうの音も出ない。黙って頷くと、キサは鷹のような目を少しゆるませて肩を叩き、カリマへと戻っていった。


 アリに水や飼葉をやりシルバもカリマの入り口をくぐると、キサがヤクの乳を勧めてくれ、二人、絨毯の上で胡座をかいた。


「それで、急な要件とはなんだ」


 先にキサが杯をあおって置くと、こちらを向いて聞いてきた。

 あらかじめキサには鷹を使って先触れを出していたが、話の内容まではもちろん書いていない。

 しかし仮とはいえ白陽国皇帝の側仕えをしているシルバがわざわざ足を運ぶ意味を、キサは十分に解っているようだ。


「白陽国今上帝が妃を娶る」

「ほう、めでたい事だ」

「問題はその娘をこちらで預かる事だ」

「……身分が低いのか?」


 キサが声を低く落として聞くので、ああ、とシルバも頷き、青蘭が下女として入宮し、陛下の危機を身体を張って退けた、という名目で現在は侍女になっている事をつげた。


「政略的婚姻は別の者で結ぶということか」


 キサが暗に、妾妃として準備が整うまで一時預かるのかと聞いてきたので、シルバはいや、と首を横に振った。


「正妃に、と申された」


 短く、かつ重い内容に、鷹の様な鋭い目が見開き、わずかに口を開けてそのままになる。やがて、軽く天を見上げて静かに目を瞑った。


「……フル族であずかり、テュルカ国の総意で送る、それにより内外共に政略的婚姻とみせる、か。事だな」

「ああ、白陽国とテュルカの関係を強化は周辺国への抑止力になる。テュルカにとっても悪いことではないだろう、との事だ。キサ叔父には五大部族長の総集をかける際の補佐と、一時身を預かる娘の護衛を頼みたい」

「それはもちろん可能だが……」


 キサは腕を組みしばらく思考をめぐらした後に、シルバを見据えて告げる。


「お前も承知だと思うが簡単なことでもない。この事、族長には伝えたのか」

「いや、まだだ。テュルカでこの事を話すのはキサ叔父が初めての者になる。すまないがフル村に出向き、俺から預かったと直接伝えてくれないか」


 キサはそうなるだろうな、と一つ息を吐く。


「シンには荷が重いな……」


 ふっと溢れたキサの言葉に、シルバは苦く頷いた。本来シルバが担う任を自分の婚姻を貫くために降り、その代わりに後継に収まっていた弟のシンはまだ十五になったばかりの未成年だ。


「母に再度立ってもらうしかない。さすがにシンだけであのジジイどもの相手はさせられん」

「やれやれ、それを告げるのも俺の仕事か」

「たのむ」


 膝に両手をつき、首を垂れる姿はキサでもあまり見たことがなかった。


「この貸し、高くつくぞ?」


 小さく笑いながら肩を叩き了承の旨を伝えると、シルバは身体を起こして軽く肩をすくめる。


「人の営みの全てを持っているキサ叔父に貸せるものはなさそうだが」

「そうか? 今年はヤクの発育が悪くて冬が越せるか心配なのだがな」


 そういってあご髭を撫でる姿はどっしりと落ち着いていて、何も心配そうではない。


 実際のところキサ叔父はいうなれば白陽国の動向を監視する為にここに駐留している者だ。いざという時は村に帰れば事足りる。


 子育ても終え、家畜を養いながら夫婦水入らずでゆるりと生活しているキサの暮らしは、シルバから見れば理想に近くうらやましい限りだ。


 しかし自分はそんな悠々自適な生活を送れそうにはない事も承知している。


 紫鈴を選んだ時点で、放牧の民として生きることは捨てたのだ。

 紫鈴と共に在る事は、政治という混沌の渦中で生きること。


 遊牧の風を懐かしく思うことを無いといえば嘘になるが、かたわらにある紫鈴の笑顔に勝るものはない。


「今晩休んだらテュルカが了承した旨を伝えに戻る」

「まだ決まった訳ではないのに気が早い」

「キサ叔父に頼んだからには時期がずれようとそうなる。こちらとしても送り出す準備がいる」

「迎える準備も頭数に入れておけ、まったく」


 ふっと鷹の目が柔らかく細まったので、シルバも大きく息をついた。それをみたキサがくつくつと笑いながらヤクの乳を勧めてくるので、シルバは軽く顔をしかめながら杯を受けた。


「この頃は喉が乾く話ばかりをしていて疲れる」

「嫁のためだ、仕方なかろう。族長として暮らすよりは、そちらで動いている方がお前の性に合っていると思うがな」


 テュルカの長として望まれた時もあったが、多くの民に目を配る気のないシルバにとって、今の立場は丁度いいといえた。


「俺が守れるものは両手で掴める範囲だ」


 杯の握っていない手を見ながら告げると、キサは静かに頷く。


「充分だ、それすらも守れぬ時もある。嫁御を大事にな。決して無理をさせるな」


 とつとつと静かに語るキサの想いにシルバは思い当たり、はっと顔を上げるがキサの顔色は変わらずヤクの乳を飲んでいる。


「大事にする。キサ叔父を見習おう」


 シルバの声の深さに真意が届いたと見たキサは口元で微笑むと、満足そうに杯をあけた。



 ****



 翌朝、シルバは出立の前に紫鈴と共にカリマから少し離れた丘の上にある小石を積み上げた墓標の前に立つ。


 キサには亡くなった前妻があり、看病の末看取った経緯があった。

 シルバは紫鈴に向かい、厳かに誓う。


 自分は紫鈴を生涯をかけて守る事。

 紫鈴の側を離れる事はない、とも。


「お前は俺の唯一だ。例えお前がこの先そうでなくなったとしても、この誓いに変わりない。その事でお前が苦しまなければいいと思うが……テュルカの漢とはそういうものなのだ。忘れないでくれ」


 愛を語るにはあまりに重々しい夫の言葉とその深々とした瞳に、新妻はただ息を呑む。そしてしばらく時間を置き、はい、と頷くことしか出来なかった。


 後に紫鈴はこの丘での誓いに頷いた事を激しく後悔する。


 血を吐く想いで夫に自分の側を離れて欲しいと叫ぶ事になるのだが、シルバの誓いは破られる事はなく、その故に紫鈴は半身がもがれるほどの想いをする事になるのである。










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