7 気づき
明くる朝、帝は回復したが青蘭の容態は芳しくなく、長引きそうだとの事で別室に移動する事になった。
帝が側に居る間に何度か目覚めたが、意識は白濁とし、白湯を飲むだけで、すぐにまた目を瞑ってしまっていたのだ。
皇医の診立てでは、熱の出始めに身体を冷やしてしまったのが原因との事だった。
帝も滞った政務をこなさねばならず、青蘭の症状の経過を報告に上げる事を条件に、渋々了承した。
青蘭は三日目にしてようやく身体を起こせる様になった。
身体の回復に努め、三食やっと食べられる様になった時、自分の休んでいる部屋の広さにやっと気付いた。
症状の経過を診にきた皇医に尋ねると、皇太后様のご厚意だ、との事だった。
「皇太后様はご無事ですか?」
「ああ、そなたのおかげで処置が早くてな。大事ない。その代わりそなたの処置が遅れてしまったがな」
「私は大丈夫です」
「そうだな、もう一日休めば通常通り動いても良いだろう」
青蘭はほっとして頷いた。
ではもうすぐお部屋に戻れますね、と問いかけると、皇医はふーむ、とあご髭に手をかけた。
「しばらくは、戻れぬと思うぞ」
「え?」
「そこから先は私が説明致します」
不思議そうに皇医の顔を見た時、重々しい声と共に女官長、柑音が部屋に入ってきた。
「女官長様」
青蘭は寝台の上で礼をとろうとすると、よい、身体を楽に、と止められる。ありがとうございます、と会釈をして側にきた女官長を見上げると、言葉とは逆に厳しい顔をしていた。
「青蘭、次の月の物がくるまで、そなたはこの部屋に止まって貰います」
「……え?」
青蘭は女官長の言ってる意味が分からなかった。
「そなた、帝と床を共にしましたね」
「はい、失礼ながら添い寝をしました。陛下の身体がとても冷たかったので」
「寝ただけで、何もなかったと?」
そう言われると青蘭は少しだけ引っかかるものを覚えた。帝が寝ぼけて自分を噛んだことは、ただ寝ただけとは言えないと思えた。
「何も……なくはありませんでした」
「お手はついたのか?」
「よく、分かりません。その……お手がつくという意味が」
少し小首を傾け困ったように言う少女に、はーーーーーーーー……と長いため息が、皇医と女官長から出た。二人同時に、である。
「陛下にも確かめた所、よく覚えておらぬ、との事でした。従って、そなたの月の物がくるまで、ここに止まって様子を見ます」
「様子」
「平たく言うと、身籠っているかどうか分からないので、身籠っていると仮定して身体を休ませる、という事です」
女官長の言葉に、青蘭は大きく口を開けて、しかし二の句が出なかった。
身ごもる? 赤ちゃん?
動揺する青蘭に、女官長はやや膝を折り、視線を合わせて言った。
「青蘭、案ずる事はない。言葉は悪いが蕾のそなたに手を出した陛下も悪い。結果が出ればまた戻る事も出来る。心穏やかにいなさい」
「結果が出れば、とは……?」
「月の物が来れば御子はおらぬ。逆に月の物が来なければ、御子がおられる。という事」
「ではそれまでは」
「この部屋で穏やかに過ごしなさい」
「わかり、ました」
こくん、と心あらずに頷いた青蘭に、女官長と皇医はまた来る、と言い置いて部屋を出た。
「まったく陛下は!」
「あんな幼き者に!」
同時に吐き出した言葉に、お互い目を合わせる。
今度こそ陛下に苦言を申さねば、と頷きあって、皇医は表宮に、女官長は奥宮にと足早に去って行った。
一人、部屋に残された青蘭は、ずるずると身体を寝台に横たえる。
つぼみ、つぼみと言われてそうじゃない、と言ってきた。
でもふたを開けてみたらどうだろう。
きっと、この知らなさをつぼみと言われてたんだ。
月経が来たからもう大人だと思っていた。
帝に〝ことわり〟が分かっていると言われて、誇らしく、一人前になったつもりでいた。
私は……何も知らない
つつ、と涙が溢れる。
無知だという事が恥ずかしく、そして悔しかった。
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身体が回復してしばらく経って、あまりする事がなくお庭でも散策しようとしたのだか、身体にさわる、との事で止められてしまった。
物心ついてから身体や手を動かさない事などなかった青蘭にとって、何もせず静かにしているという事がこれほど苦痛な事だとは思いもしなかった。
早く、ここから出たい。
三度の食事にお茶の時間。どれも食べた事のない煌びやかで美味しそうなのに、まったく味を感じる事が出来なかった。
心がうろんとした日々を過ごすようになって幾日か経った頃、一枝の梅が届けられた。
花の蕾はまだほとんどが固かったが、一輪だけ咲きかけそうな花がついている。
「陛下からの賜り物です」
女官はそう言って下がっていった。
「陛下が……」
枝元に細くした紙が結ばれていた。
紙を破らない様にそっと開く。
「食え」
ただそれだけが書いてあった。
食が細っている事を聞きつけたのだろう。
ぷっと思わず笑ってしまう。
帝はきっと、青蘭が読み書き出来る事を知らないのだ。
どれほど幼く思われているのだろう。
もしくは下女は読み書き出来ないと思っているのだろうか。
知ってほしい、という思いが込み上げてきた。
知ってほしい、私の事。
と同時にもう一つの思い。
知りたい、陛下の事。
そして、知る為に、学びたいと青蘭は梅を大事に押し抱く。
やろう、今ここで、出来る事。
「まずは、美味しく頂かなくちゃ」
次の食事はしっかり食べよう。
まずはそれから。
心から思った。
「陛下、覚えておらぬとは……! あの様な小さき者に。失態ですぞ」
「我とて覚えておりたかったわ。…青蘭の様子は」
「まったく…………、環境の変化に戸惑っております。食が細ってきました」
「…」
「陛下、どちらに?!」
「庭だ」
「…分かりました、侍従長に伝えておきましょう。あと女官長からも伝言が」
「…何だ」
「後で参ります、と」
「…時間は取れぬと伝えておけ」
「御免被ります。ご自分でお伝え下され。では」
「…」
「早く行かれませ。侍従長が来ますぞ」
ガタタッ
その夜、帝の私室では懇々と話す女官長の声が聞こえ続けたという。
by 皇医&帝