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白陽国物語 〜蕾と華と偽華の恋〜  作者: なななん
第三部 側近の恋、蕾の転機
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7 和水亭から王宮へ ー緑栄、桓惠ー

 



 和水(なごみ)亭の近くまでくると、緑栄は足を緩めて表通りに出た。人の流れに添いながら迷うことなく例の勝手口に入り、すっと閉める。厨房は夕飯の仕込みの最中なのだろう。昼とはまた違った活気のある声が飛んでいた。


(いい店だ。いつかここのご飯も食べたいが、今日はもう十分だな)


 壁越しにいい匂いが漂ってくるのだが、先程肉まんじゅうをたらふく食べたので食欲はわかなかった。

 そして階段をあがり、取手に手をかけた瞬間、上の間に人がいる気配がした。


 が、緑栄は躊躇なく扉を開けた。


「わー、容赦ねぇ。敵だったらどうするんですかい」

「気配がお前だから開けたんだ。知らない奴ならこんな真似するか」


 階段を上がりきって丁寧に隠し戸を元通りにし立ち上がると、髪の短い細身の男が寝台にあぐらを組んで座っていた。

 この男は父の部下で桓惠(かんえ)という。主に宮中と市井の繋ぎの役目をしているので表宮では滅多に会うことはないが、場所は違えど同じような事をやっている緑栄とは煌明の私室で出くわすので顔見知りである。


 緑栄は棚に荷物を置くと、じゃま、と桓惠を寝台から追い出し自分が座る。桓惠ははいはいと気にもせず壁に背中を預けてこちらをみた。


「やれやれ、そんな気ぃ使う仕事だったんですかい」

「良くして貰ったからな、話を引き出し辛い」

「あらら、(わか)さん、ほんと向かないですよね、この仕事」

「若さん言うな。世襲にするの止めればいいのに」


 緑栄の父、利葉(りよう)は表向き市井で医者をやっているがその裏では諜報を司る長だ。緑栄や紫鈴もその機関に属しているが、次世代の長は長兄である者が担う事になっている。

 しかし緑栄は自分は向いていないと思っているのだ。自分には人に対して冷酷になりきれない部分があると父にはその都度言っているのだが、まぁまぁその内にね、とのらりくらりかわされている。


「そうは言っても素質はありますからねぇ、若さんも仕方なしと早々に諦めた方がいいですよ。なにせあの陛下の側近ですから」

「若さんやめろ。どこに居ても使われるのは一緒だけどね。お前がここに居るのも主の差し金か?」

「そういうことです」


 桓惠は、まなじりの上がった細い目をさらに細めてにやりと笑ったので、緑栄はふん、と両腕を後ろに回して身体を支えながら足を投げ出して報告した。


金糖(こんとう)は不当に卸値を上げているようだよ。砂糖を買えなかった者には店の荷役が声をかけてさらに金を巻き上げていく流れができていた」

「俺も二、三、他の卸を見てきたのですがそもそも砂糖が入ってきていないようですね」

「元が締めている、という事か」


 白陽国は元々が耕作地帯で主食である米、麦、根菜類に事欠かない土壌の国だ。しかし甘味に関しては栽培する風土ではなく隣国からの卸に頼っている。


「ウガン国が止めている、と陛下は見ているのだろう?」

「妙な噂を市井に流して揺さぶりもかけていますしね」

「あちらから直接要望は来ているのか?」

「まだそこまでではなさそうす」

「ではウガン以外の流通を広げるよう進言してくれ」

「えぇ? そんな重要な事は自分で言ってくださいよ」


 なんでそう進言するのか説明を求められるじゃないですか、と桓惠は呆れたように呟くが、緑栄は用は済んだとばかりにバサリと袍を脱いで立ち上がると女性物の着物を着付けていく。


「こちらも離れられない。そう言えば後はシルバ殿が手回しして下さるよ」

「額を上げている彼の方の前には出たくないんすけど」

「それは誰しもそうだろうさ、自分でも気づかずに腹の中を見られているようなものだろ。でもそのお陰で物言わなくてもこちらの意図は伝わるしね。陛下もよく側に置いていると思うよ」

「誰のせいだか分かってますよね」

「まぁね。でも仕方ない。私の人生においての一大事だからね」


 肩をすくめながら帯を巻くと、そこまで溺れる人だとは思いませんでしたー、と桓惠が棒読みで言うので、馬鹿だね、と緑栄は髪の毛を下ろして櫛をかけながらにっこりと妖艶な笑みを浮かべた。


「女の姿だし、男だって言っても信じてもらえるかどうかって悩んだ挙句に本人は知っていて告白の機会もなく目の前から去られたんだよ? 隠密で動く私の前から。側に置きたいに決まってる」

「仕事的に、って事ですかい?」

「逆だ。仕事にならない」


 あ、と桓惠は察し、そしてまた死んだ魚のような目をこちらに向けた。


「結局溺れているようなもんじゃないすか。若さんの恋路が実るまでこの体制? 冗談じゃないすよ」

「だから協力してよね! ってこと。あと若さん言わない、三回目」


 緑栄は手早く手鏡を見ながら眉と口紅を描くと、紫鈴の声色に変えて桓惠をにらんだ。


「姐さんはそんな軽い感じでは言いませんよ」

「気持ちが高ぶってる時はこんなもんじゃない?」

「はぁ……なんでもいいからちゃちゃっと片付けて戻ってくださいよ」

「そのつもり。諸所よろしく」


 そう言って軽く手を振ると、緑栄は荷物を持って部屋を出た。下の食堂にいた女将に会釈して宿を出る。桓惠はおそらく自分とは違う場所から表宮へ戻っていくだろう。


 何かあればここに連絡がくる。


 緑栄は政事は宮廷に任せて、目の前の攻略すべき相手の元へと足早に戻って行った。




 ****




 王都から戻った桓惠を私室で迎えたのは煌明(こうめい)と緑栄の代わりに側近として控えているシルバであった。

 顔合わせは既に済んでいるが帝の後ろに眼差しをこちらに固定して控えているので、桓惠は居づらくてしかたがない。


「伝達ご苦労。緑栄は連れて来られなかったんだな」

「金糖の倅が日を置かずして華月堂にちょっかいを出すらしく、離れられないようです」

「というのは建前で本人が離れたくないだけだろう」

「その通りす」

「仕事にならんな」

「ご本人も同じ事を言っていましたね」

「さもありなん」


 最初からそのつもりで飛び出していったのは重々承知とばかり笑う主に桓惠はもう一つ伝言をさっさと口にした。


「緑栄さまからは主へウガン国以外の砂糖調達を提言せよ、との事でした」

「シルバを通じてやってはいるが」

「小国が多いので流通するには時間がかかる。ウガン国近郊は反応も鈍い」


 帝の前でも必要な事だけをしゃべりむつっと口を閉じる体格のいい男はむやみに覇気を持っていて部屋の空気を悪くしている。


「シルバ、疲れているのは分かるがもう少しその不穏な気配をどうにかしてくれ。 側近というよりかは睨みをきかせている鬼神のようで仕事がしづらいと苦情が来ている」


 背後からくる不機嫌な気に呆れながら煌明が後ろを振り返ると、シルバはじろりと視線だけを帝に向けた。


「どちらが上位の悪鬼かという思考を毎日見させられている。どうしろと」

「流して様子を見たい奴もいるのだ、背後のシルバを恐れて動きが鈍い」

「これほどの事で鈍るのならば小者。放っておけばいいのです」

「いや、だからな、泳がせたいのだ」

「では休暇を取ります」

「お前、いい歳した漢が子供みたいに……まったく……シルバがすんなりテュルカの長を降りることが出来た理由がなんとなく分かるな」


 人の思考思惑を瞬時に読み取り慧眼を発揮するシルバの能力は、戦場など刻々と状況が変化する場合には有用であるが、内政等大きな流れを読みながら物事を決めていく場ではいろいろな思考が飛び交い、あまり有効ではない。


 その情報を精査する能力も兼ね備えていたら非常に有用な能力なのだが、シルバという男は面倒だと思ったらばっさりと情報を切ってしまう性質を持っていた。


「口と頭で真反対な事をしゃべる輩を見て不快になるなというのが無理な話」

「わかったわかった。明日休みをやる。骨休めしてこい。あ、青蘭(せいらん)、ちょうどいい、使いを」

「はい」


 会話を合間をぬいながら卓にお茶の用意をしていた女官へ帝は声をかけた。

 とと、と空いたお盆を持ちながら煌明の近くに行く小柄な少女を桓惠は注意深く観察する。


 普段市井におり、宮中へも深夜に訪ねる事の多い桓惠はこの女官を間近で見るのは初めてであった。


 座っている帝の頭一つ高いぐらいしか背のない彼女は、煌明の言葉にこくこくと頷いている。

 頭の半分の髪を編み込んで結い上げられた姿は終身後宮に仕官する意味を持ち、柔らかな雰囲気の中にも背筋が通った立ち振る舞いから、芯が一本入っているのがみえた。


「では紫鈴の休みも合わせるように女官長にそう伝えてくれ。紫鈴の仕事が滞るならば青蘭が補佐に入るように」

「わたしが、ですか?」

「ああ、紫鈴が普段どんな仕事を担っているか見てくるのも面白いぞ?」

「はい、分かりました」


 青蘭は戸惑いながらも頷いて、ではしばし失礼いたします、と室内の者に宮廷女官らしい洗練された礼をすると、またととっと急ぎ足で部屋を辞していった。


「彼の者が例の」

「まぁな、桓惠から見てどう思う」

「いや、俺の意見なんて……分かりました、言いますよ、言いますから」


 微笑しながら力強い意思の目で言えと脅迫してくる主人にため息をつきながらも、桓惠はこめかみを人指し指で掻いた。


「女官としてはまぁ、及第点? お茶は上手いしこちらの話を折らずに給仕できるし。ただ主には気安過ぎる。そういう意味では女官らしくない」

「お前からそう見えるならば上々。だいぶくだけて話せるようになったんだ。最初は固くてなぁ」

「主の差し金ですかい……」


 それを聞いた桓惠はげそっと肩を落とした。


「あんな幼いのに、気の毒なこった」

「おいっ! 人聞きの悪い事をいうな」

「へ? たぶらかしてるんじゃないんですかい」

「……命が惜しくないようだな」

「主上、事情を知らない者は恐らくそう見る」


 殺気立った煌明に、シルバが間髪入れずに進言してくれた。桓惠はやはりか、と背中にぴしゃりと氷水を浴びせられたような錯覚におちいりながら緩んでいた背筋を伸ばし、臣下の礼を取った。

 緑栄とは別に、もう一つ伝達事項があったからだ。


 煌明は瞬時に気を収め、発言を許す、と告げる。桓惠は帝の切り替えの速さに舌を巻きながらありがとうございます、とゆっくりと顔を上げて主の顔を正面から見た。

 ひたとこちらに送られる聡明な眼差しにぱしりと片手に拳を当て間を取ると、桓惠にとって本日の最重要案件を口にした。


 曰く、伯利葉(はくりよう)より、煌明帝は呉青蘭(ご せいらん)を妃に上げるつもりか、と。




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