5 西の宿〝和水亭〟にて ー緑栄ー
次の日、開店とともにやはり売り切れが続発し、お昼を過ぎた後には店を閉める事になった華月堂の様子をみて緑栄はまた休みをもらう事にした。
今日は春華の所に例の婚約者も来ず、春華自身が突然現れた緑栄に遠慮があるのか気を緩めない。
あまり良い状態ではないと判断した緑栄は早々に華月堂をあとにした。
春華がこちらをみていたが、にこりと笑って。
そもそも陛下から密命を帯びてここに来ている。場合によってはふいに店の外へ出なければならない時もあるだろう。その為にも事情を察して動ける春華とは良好な関係を築かねばならぬ。
影としての顔を持つ緑栄は、どの場面でも仕事に絡むのであれば好ましく思う相手であっても冷静に対処してきた。
しかし春華には出来ない。
どの場面でも、自分が出てしまう。
自分だけでなく、感情までも。
こんな自分を見られたら各方面から罵声を浴びせられる。しかし直すことも出来ず現状変わらないので、かくなる上は春華を乱す元凶に目を向けて自分の安寧も取り戻すのが先決だと考えた。
そもそもあんたが先に手を打っておかないからっ! という姉の甲高い声の幻聴が聞こえる気がするが、首をぶるぶる振って振り落とすと、表通りを南へ歩いていく。
「言おうとしたら去られたんだ……」
誰に言うともなしに呟いた言葉は王宮にいる姉に届く筈もなく、行商の呼び声にかき消されて消えた。
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緑栄が訪れた場所は自分自身は初めてであったが、緑栄の顔を見て親しげに会釈する案内人の様子に紫鈴がこの場所をよく使っているのを感じた。
(陛下も人が悪い。一言申して頂ければこちらも対応ができるのに)
一階の食堂を通って二階の一番奥の部屋に案内されると、すぐに女将がやってきた。
「ようこそいらっしゃいました。まあ、本当によく似ていらっしゃって」
落ち着いた中年の女性は緑栄をみてすぐに驚いたように目を見張りながら、微笑んであいさつをした。
女将と二人だけだというのを確認し、緑栄はすっと両手を胸の前で合わせ男性としての礼をとる。
「お初にお目にかかります。緑栄と申します。姉がだいぶお世話になったようで」
「まあ、ご丁寧にありがとうございます。私はオユンと申します。ただの宿の女将ですので、どうかお楽に。紫鈴さまには長が大変お世話になっております」
「シルバ殿は一族の長を退かれたと伺っておりますが」
「はい、そちらの長は退任されました。ですが私たちの長であるのは変わりませんので」
穏やかに告げる女将に、緑栄はなるほど、と頷いた。
シルバの母国であるテュルカ国は複数の一族からなる合議制で政事を動かしていく国である。数年に一度有力な一族が集まり長を決めると文献に書いてあった。
今はフル族が長を務める時期で、シルバが退いた後は弟が任を担っていると帝から聞いている。シルバはそれとは別の顔を持っているということなのだろう。
そして緑栄にもその拠点を使わせる、と言うことはシルバは白陽国側についた、という事を指していた。
「西の方はこちらを使って頂ければと思います。また近くに〝来風〟という食事処があり、そこも長や紫鈴さまも使っておりますのでよろしければ」
大通りを挟んで東側の拠点もこことここと、と惜しげもなく話す姿に内心舌を巻いた。懐の深さを感じる。
「西の、は紫鈴さまのお顔だちも見ておりますので声をかけずともお使い下さい。東の、は〝和水亭〟の客だ、と申して頂ければそのように動きます」
「分かりました。詳しく教えて頂き痛み入ります。シルバ殿によろしくお伝え下さい。それでは一旦女装を解き、出ます。経路は……」
「失礼しました、こちらです」
オユンは壁に沿って置かれていた荷物を入れる棚をずらし、現れた床の一つの板を足で踏み込むと板が外れ、取手のある戸板が外れた板分だけ現れた。そのまま上に、というオユンの指示通り取手を掴み上に開けると、急勾配の階段が見える。
「降りていきますと厨房脇の勝手口の扉に繋がります。外から見ると宿で働いている者が出入りしているように見えるかと。また、戻られた時もこの部屋を出るときに宿の者に顔を見せて頂ければそれで分かりますので」
「何から何までありがとうございます。使わせて頂きます」
「ご無事のお戻りを」
思わぬ武運を祈る言に目を瞬かせると、オユンは穏やかな中に真摯にこちらを思っている瞳を向けていた。紫鈴と重ねてもいるのかもしれない。
「大丈夫です。姉よりは冷静に動けると思いますので」
姉や義兄の事を想い、自分にまで気にかけてくれる温かい人に目礼をする。
申し訳ありません、余りに似ていらっしゃるので、と慌てて謝罪をするオユンに、余所行きではない笑顔を見せ、ありがとうごさいます、行って参ります、と緑栄は頷いた。
オユンが恐縮しながら部屋を出て行ったのを見計らって、緑栄は持参した袋の中から袍を出した。素早く着替え、一つに垂らしていた髪をまとめ使い古した髪布袋の中に入れる。
「おっといけない」
化粧をしたままだった顔を布で拭い、紙を食んで紅がきちんと取れたかを確認した。女性物の着物や小道具一切を袋にまとめ棚に置き、最低限の荷物を肩掛けの袋に入れて先ほどの隠し扉を開けた。
身を滑り込ませ戸を閉めると厨房の賑やかな声が聞こえてくる。しかし顔を合わせずに済むように勝手口も別にしてあるようだった。
なるべく音を立てずに戸を開閉し外に出て表通りに身を紛れさせ、行商らしき店ですげ笠を購入すると頭に被った。
(まずはあのぶにぶに野郎の所)
決して帝の密命をないがしろにする訳ではないが、一先ずこちらを調べなければ春華が落ち着かない。彼女が落ち着かないとすると、自分の精神にもよろしくない。ともすれば密命の仕事に支障が、と誰に言い訳するでもなく正当な理由らしきものを心の中でブツブツ言いながら緑栄は足早に目的地へと足を向ける。
目指すは砂糖問屋・金糖。
何本かの表通りを横切ると、見えてきたのは王宮の北を背負って立つ大白山を源流に流れている透河。それを跨ぐようにかけられている紅い桟橋の上から見てもはっきりと目立つ緑の縁取りに彩られた金と銀が散りばめられた看板を発見する。
「趣味の悪い……」
問屋街の中でも悪目立ちしている店に足を向けるのは気持ちが著しく萎えるが、これも仕事、と心で唱え緑栄は足早に桟橋を降りていった。
exaさまから陛下と青蘭のFAを頂いたり、ご感想を頂いたり、ブクマを頂いたり。
その一つ一つが書く原動力となっています。本当に本当に、ありがとうございます。
物語、少しずつ進んでいます。
なん
P.S. exaさまの素敵なイラストは、2019.1.26の活動報告でご披露しております。よかったらそちらも覗いてみて下さい。




