3 華月堂にて ー春華ー
「いらっしゃいませ〜 今日は朔日まんじゅうがお安いですよ〜 本日だけの特価です〜」
華月堂の店頭にハキハキとした声が通る。
朗らか声に、道行く人がふと顔を上げて華月堂の方を見ると、赤い前掛けをかけた年頃の娘がにこにこと笑いながら、またハキハキと呼び込みの声を上げていた。
「おっ! 春華ちゃんじゃないか! 久しぶりだね、年季が明けて戻ってきたのかい?」
「風林堂さん、お久しぶりです。はい、十日前に明けて、戻って参りました。またごひいきにお願い致します」
「あいやー、すっかり女っぷりも上がって、言葉使いも後宮のものになったねぇ。よろし。来月、また茶葉利きの会があるんだよ。今回は春華ちゃんの戻り祝いで華月堂さんで茶菓子を注文しようかね」
「わぁ! ありがとうございます! 父を呼んできますね。どうぞこちらに」
中にいる店員を呼んで、風林堂の旦那さんを奥の商談ができる部屋へ案内を頼んだ時だった。
「しゅんかちゃ〜ん、いつ帰って来たのぉ、ぼくぅ、今か今かと待っていたんだよ〜ぅ、ぐふふ」
猫なで声と共にぐにゅっと手を掴まれた。
その感触にぞわりとした春華は、眉をひそめないように十二分に注意してなんとか笑顔を作る。
「こんにちは、呂さま。お久しぶりです」
「しゅんかちゃん、呂さま、なんて他人行儀ぃ。丁ちゃん、て呼んでよぅ」
「……丁さま、今日はいかがなされましたか? 何か、ご入り用ですか?」
春華は生唾を呑み殺しながら、さりげなく手を抜いて要件を聞こうとすると、呂丁はぐにゅぐにゅと太い指で離さぬように春華の手を両手でしっかりと掴むと、はち切れんばかり育った腹を春華の方に寄せて、さらに顔も近づけてきた。
(い、いや……)
手を振り払おうにも店内や路肩からこちらの方を見ている人々の手前、そんな風には出来なかった。しかも、この男は、父の取引先である砂糖問屋・金糖の息子で、春華の婚約者だった。無下に扱えば何を言われるか分からない。
「やぁだなぁ、用なんて、しゅんかちゃんに会う事しかないじゃないかぁ、さぁ、一緒に茶屋でも行こうよぅ」
(何を馬鹿なことを……っ)
お店はかき入れ時で立て込んでいた。折しも砂糖の高騰により、財政難から一人の店子を辞めさせると、蜘蛛の子を散らしたように勤めてくれていた店子が辞め、てんやわんやで何とか操業していた所に春華が帰ってきたのだ。
今、春華が店を離れたら、大変な事になるのは目に見えている筈なのに。
本当はすぐにでもあしらって店に戻りたいのに避けることも出来ず、ただ黙ってじっと耐えている春華を見て、呂丁は行く気になったと見なしたのか、じゃあ、行くよぉ、とぐいっと春華を引き寄せた。
(いや……やっぱりいやっ!!)
鼻息荒く肩を抱かれそうになった、その時。
「失礼、春華さんは今から仕込みのお手伝いがあるなので、申し訳ないのですが今日はご要望にはお応えできませんわ」
声とともに春華を捕らえていた手に細く長い指が重なった。するとすっと圧が消え、するりとあの太い指から解放される。
と、同時にくっと両肩に手が伸びて数歩後ろに下がらせられられた。
そして次の瞬間には、春華の目の前に、背の高い女性が立っていた。
「何だ、お前は」
春華には気持ちの悪いぐらい猫なで声だった呂丁の声が鋭いものに変わる。
「今日からお世話になる店子ですわ。呂さま、今日は何をご所望でしょう? 今日のおススメは朔日まんじゅう、花びら餅ですわ」
「僕は茶菓子など……」
「あら、こちらに来て茶菓子をご所望でないとなると、もう用はございませんわね。どうぞお引き取り下さいませ。後ろにいるお客様にも迷惑になりますので」
店子の女性が言い放つと同時に、そうだそうだ、ずっと待っているんだぞっ、と声がかかり、いつの間にか呂丁の後ろに十人程客の列が並んでいた。皆、一様にきつい目線を呂丁に浴びせている。
呂丁が後ろ見てぐぬぬぬ、と呻き、しかしまだ背の高い女性を睨みつけている。
「ちょっと〜、早くどいてくれませんか〜、お使い物で早くもって帰らなきゃいけないんですぅ〜」
「そうだそうだっ、さっきから俺もここで十分も足止めくらってるんだっ」
「おらも、おっかが今か今かと待ってるだにー」
なかなか場所を譲らない呂丁に、周りの声が高くなってきたのを見て観念したのか、覚えてろっ、と捨て台詞を吐いてその場を去ると、わっと、周りの人間が湧いた。
「やー、べっぴんさん、やるねぇ! すかっとしたよ」
「あの人、いっつも買わないのに、うろうろうろうろ店の前を邪魔していてねぇ、お姉さんがビシッと言ってくれてよかったよぅ」
「春華ちゃんの事ベタベタ触ってさ、気味が悪いったら! ありがとうねぇ、お姉さん。やだ、春華ちゃん、ぼけっとしてないで、あんたもお礼言いなよっ」
ばんっと馴染みのお客さんに背中を叩かれて、春華はハッとなった。
気がつけば、目の前の女性はまだこちらに背を向けて、周りを囲んだ野次馬に柔らかく声をかけて対応している。
その後ろ姿を、春華は忘れた事などなかった。
凛とした背筋、後ろで半分にまとめられ、残りが艶やかに垂れていた黒髪は、今は簡素に一つにまとまっている。
着ている衣服は春華と変わりない、町娘のような出で立ちだが、春華は間違いなくこの女性と見える人物の名を忘れた事など、なかった。
「あ……りがとう……ございます…………紫鈴……さま……」
信じられない気持ちで、その者の二つ名を呟くと、紫鈴と呼ばれた者は振り向き、にっこりと薄い唇を弓なりに上げた。
「お久しぶりです、春華さま。お手紙を読んで、馳せ参じましたわ」
その言葉に、ひくっと喉がなった。
目の前の人は、笑っていた。嬉しそうに。
あなたに会えて嬉しい、とでも言うように。
だが、その表情の奥の目が、笑っていなかった。
にこやかに笑いながら、怒っているようだった。
星影さまより素敵なFAを頂きました。
ありがとうございます。
FAは紫鈴を描いて下さいました。
そのイメージを元に緑栄をイメージしていたら、星影さまはサプライズで緑栄も描いてくださいました。
そのおかげでこうして更新ができました。
ご興味のある方、私の2018.3.8の活動報告へどうぞいらして下さい。
作者のイメージ通りの、紫鈴が迎えてくれます。
星影さま、本当に本当に、ありがとうございました!




