27 帝からの課題
頑張れ!
青蘭は、自分の顔を見た途端泣き崩れた紫鈴に動揺した。姉さん、と声を掛けても泣くばかりで動けない紫鈴。
どうしよう、と途方に暮れた所で姦しい声がした。
はっとする。
確か先程緑栄がこちらに向かって歩いていた筈だ。見渡すと姿がない。
(よかった、お隠れになられた……でも紫鈴姉さんをこのままにしておけない)
さっと帝の私室を顧みると、扉は閉ざされていた。
〝紫鈴を支えてやってはくれまいか〟
以前帝に言われた言葉が蘇った。
(はい、陛下)
今、その時。
青蘭は紫鈴の肩をぐっと支えた。
「姉さん、一先ずお部屋に入りましょう。
私で良かったら話を聞きます」
青蘭のしっかりとした口調に、紫鈴はこくこくと頷き、小さい青蘭に支えられて、やっと立ち上がった。
二人で自室に戻り、紫鈴を寝台に座らせた後、青蘭は急いでお茶を用意した。
何は無くとも一杯のお茶が紫鈴を慰める筈。
湯は沸かしすぎず、温いぐらいの温度で用意し、鎮静効果のある茶葉を混ぜて入れた。
「姉さん、とにかく一口、飲んでください」
うなだれている紫鈴の手を取り、被せるように持たせる。
紫鈴の横に座り、寄り添った。
紫鈴はのろのろと茶器に口を付ける。
一口飲んで、また下ろした。
青蘭は黙ってまだ残っている茶器を預かり、側卓に置いた。
緑栄からシルバに同行して村へ行っていると聞いていた。
シルバとの婚約の延長をしに行っているのだと聞いていたのだが。
「姉さん、どうされたのですか? シルバ様と、喧嘩でも?」
紫鈴は黙って首を振った。
「何か、向こうで嫌な事でも?」
紫鈴は先程よりも更に大きく首を振った。
その様子で向こうでは良くして貰ったんだと分かりほっとした。
でも、他に考えられる事が無くて、青蘭も押し黙る。
(考えろ、考えろ、姉さんは口を割らない。私が引き出さないと)
自ら話さないだろうが、この状態は尋常では無い。いつも自分を律している紫鈴が、人目も憚らず泣いたのだ。
(姉さんが心乱れる時は、いつもシルバ様の事。いったい何が)
紫鈴が泣く。
泣くのは心に反しているから。
心に反した事を言ったか、したか。
青蘭ははっとする。
「姉さん、まさか……婚約を破棄してきたのですか?」
答えの代わりに紫鈴は泣き出した。
青蘭は慌てて布を取り出して紫鈴の目元に当てる。
紫鈴はそれを受け取って、肩を震わせて泣いた。
青蘭は思案した。
(こんな事はあってはいけない。だって姉さんはシルバ様を好いていて、シルバ様も姉さんの事、大好きなんですもの)
好き合っている者同士が何故別れなければならないのか。
どんな理由で……。
〝何だ、心中は分かっても理由は分からないのか?〟
帝の言葉がまた蘇る。
青蘭は珍しく顔をしかめた。
おそらく、帝は理由を知っているのだ。
知っているのに、青蘭に自分で気付けと課したのだろう。
(何故、こう、陛下は……)
重要な事柄になれば成る程、青蘭に答えを言わない。はぐらかしているのとは違う。隠しているのとも違う。
分かりにくい助けだけ出して、後は自分で解けと放り出されているみたいだ。
実際、具体的に言われないままこの現状があり、青蘭は自分一人で解答を出さねばならなかった。
しかもここをしくじったらまとまるものもまとまらず、紫鈴とシルバは別れてしまうかもしれない。
こくっと紫鈴に気付かれない様に唾を飲み込んだ。
「姉さんは……シルバ様がお好きですよね」
青蘭はゆっくり言った。
紫鈴はビクッと肩を震わせた。
「シルバ様も、姉さんの事、好いておられます。私は数回しかお会いしておりませんが、そんな私から見ても分かります」
紫鈴の目元を隠している手が震える。
「姉さんの中で、何が踏み止まらせているのです? 何も、問題は無い筈です」
紫鈴は黙って首を振った。
「私に、教えて下さりませんか?
一緒に考えれば、何か糸口が」
紫鈴は激しく首を振った。
その様子に、青蘭はまた思案する。
(私には言えない……では陛下か緑栄様なら言える?)
二人を連れてくるべきかと悩むが、否、と首を横に振る。
(姉さんは真っ直ぐ私の所に来た。心乱れても、真っ先に私の所に来てくれたのだ。私を信頼してくれているのに、私に言えない。とするならば……)
青蘭は一つの仮説を口にする。
「……私が、原因ですか?」
紫鈴は目元を覆っていた布を落とした。
「当たり、ですね」
青蘭は紫鈴の目を見て言った。
後から後から滴が流れてくる目に、青蘭はニコッと笑った。
「姉さん、どうしてそんな風に考えたんです? 私は原因として、聞く権利があります」
紫鈴の眉がぐぐっと重なった。
震える口元を青蘭は粘り強く待った。
笑ってはいたが、目は真剣だった。
言い逃れは駄目です、と、しっかり目に込めて。
その目を見て、紫鈴は目を瞑った。
はらりと流れた涙が、何かを変えた。
紫鈴は目を瞑ったまま、語った。
自分はシルバを好きだけど、帝を、青蘭を、白陽国を支える為に婚約を破棄した、と。
嫁ぐとなったらシルバの村に入る事になる。自分は白陽国を離れる訳にはいかない、と。
青蘭は黙った。
(姉さんの決意は固い。それは覆せない。決意が緩んでいたら、姉さんは悩みながらも嫁いで行った筈。ではどうするか……)
白陽国は離れられない。
嫁ぐには家に入らなければならない。
村には行けない。
これを覆すには……。
(覆す……反転する……反対にすれば……)
「姉さん! 良い事を思い付きました!!」
青蘭は目を輝かせて紫鈴に詰め寄った。
「シルバ様に白陽国に来て貰えば良いのです! シルバ様が姉さんの所に来て下さったら、何も問題なく一緒に居れます!!」
紫鈴は目を見開いた。
「そんな事……」
「出来ます! シルバ様に嫁いできてもらう? 違いますね、なんて言ったら良いか分かりませんが、こちらに来て貰うのです!」
「そんな…聞いた事ないわ……」
「聞いた事無くても良いのです、それならば一緒に居られるでしょう?」
紫鈴は信じられないという顔をした。
「良し。早速陛下に相談しましょう。私に任せて下さい。姉さんはシルバ様を説得して下さい!」
そんな、無理よ……と紫鈴は気弱な事を言った。
青蘭は正面に立ち、さっと片膝をついて真摯に見上げた。ともすれば俯いてしまう紫鈴の目を捉える為に。
「姉さん。今回の件、シルバ様と話し合いましたか?」
紫鈴はうなだれて首を振る。
「では一方的に姉さんが婚約解消を宣言して戻って来たと」
紫鈴は力なく首を垂れた。
「婚約解消のお話があった後、姉さんはシルバ様のお気持ちは聞きました?」
ふるると首が振られた。
「では、まだ間に合います。シルバ様に姉さんへのお気持ちが有ると思います。間に合います。シルバ様にこの件を相談して下さい」
「もう、帰ってしまってたら、間に合わな」
普段にはない気弱な紫鈴の言葉。青蘭もいつもとは違い、目上の人の言葉をかぶせるぐらい、大きく叫んだ。
「間に合います! 王都を去っていたら村まで行けばいいのです! 紫鈴姉さんっ、間に合います!!」
青蘭は必死に言った。
(諦めないで!! 動いて!! 姉さんには、姉さんには……!)
「姉さんには笑っていて欲しいのです!!」
紫鈴ははっと顔を上げた。
〝青蘭、あなたの、笑顔が見たいの〟
いつか自分が思った事。
青蘭も、同じ気持ちなのか。
あの時の、自分と。
紫鈴はぐいっと袖で涙を拭った。
「行ってみる……青蘭」
「姉さんっ!」
わっと青蘭は立ち上がって抱きついた。
紫鈴もギュッと抱き締める。
「ありがとう、青蘭。駄目かもしれないけれど、間に合わないかもしれないけれど、行ってくる」
「はい! 姉さん!!」
力強く頷いて、紫鈴は立ち上がった。
「盛り上がっている所、悪いんだけど、主から伝言だよ」
いつの間にかするっと部屋に入ってきた緑栄が紫鈴に紙を渡した。
「主がここに行けって。シルバの定宿らしいよ。なに? 喧嘩でもしたの? どうせ紫鈴が思い込んで突っ走ってシルバ殿を怒らせたんでしょ」
言葉なくまだ震えている紫鈴の背中を緑栄は押す。
「早く謝ってきなよ、男なんて女に涙目で謝られた許すしか無いんだから。そんで外泊許してやるからちゃっちゃと夫婦でもなんでもなって僕を解放してよ。僕はこれ以上紫鈴には化けないからね!!」
最後は不機嫌にまくしたてて、早よ行けとばかりに紫鈴を追い出した。
「凄い……緑栄様……」
「何です?」
「朴念仁、返上ですね」
「はぁ?」
きょとんとしている緑栄に、青蘭はすごいすごいと一人ごちて、あ、お茶を飲みますか? と慌てて言った。
腑に落ちないながらも、飲みます、と甘味も含めて緑栄はきっちり返答した。
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青蘭に奮い立たせて貰って、緑栄に追い出され、帝には……。
紫鈴は紙を見る。
そこに書かれていた宿は、紫鈴が初めてシルバと外泊した時に泊まった宿だった。
帝は何もかも分かっていそうだ、と思った。
それでも。
決めるのは、私。
そして。
紫鈴は走り出した。
もしかしたらもう王都を出ているかもしれない。
もしかしたら西の宿には居ないかもしれない。
もしかしたら。
それでも。
それでも会いに行く。
会って告げる。
まだ何も言っていない。
シルバに、自分の気持ちを。




