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白陽国物語 〜蕾と華と偽華の恋〜  作者: なななん
第二部 高位女官と一族の掟
50/77

24 告げる

 



 朝靄が煙る草原をひた走る。

 アリは気持ち良さそうに走っている。

 アリの馬足は早く、草原の景色が飛ぶように流れていく。

 シルバは言葉なく走らせていく。

 何も言わない。

 紫鈴もまたシルバとアリの呼吸に合わせる事に専念している。

 頬をシルバの背中に当てながら。



 アリの馬足が緩まった。

 紫鈴は身体を傾けて前方を見ると、集落が見えた。

 大カリマが数十戸もある姿は壮観だった。

 村と言っていたので小規模の集落だと思っていたが、思いの外大きく、紫鈴は内心、おののいた。


 先触れを出していなかったので、シルバに気付いた村人達が一様に驚いた顔をして、また嬉しそうに挨拶をしてくる。

 紫鈴も降りて挨拶をしようとしたが、シルバはそのまま乗っていろと言った。その方が早い、とも。

 失礼にあたらないか心配だと訴えたが、大丈夫だから、と降ろしてくれなかった。


 シルバはアリを率いて真っ直ぐに奥のカリマまで進んで行った。

 その先々で村人に会うのだが、シルバを見、紫鈴がアリに乗っているのを見た村人が、またぽかんとした顔をするので、紫鈴は本当にこれで良いのかという疑念が拭えぬまま、馬上から肩身狭く会釈をするのであった。

 最奥の一番大きなカリマの前まで来たら、シルバはやっと紫鈴を降ろした。


 ほっとしてアリにもありがとう、と首を叩いていると、シルバに名を呼ばれた。


 振り向くと、カリマの入口に身体の小さな初老の女性がいる。


「母だ」


 シルバが短く言った。

 紫鈴は両手を組み、正式な礼を取った。


「伯紫鈴と申します。お初にお目にかかります」


 シルバの母は、カルン・ルア・テュルカ、

 と自分の胸を指して言ってくれた。

 ニコッと笑った歯が白く、とても印象的だった。


 奥のカリマに一緒に入り旅装を解くと、まず乳茶が振る舞われた。乳茶とともに例の白い固まりも置かれたが、取りあえず受け取るだけにして、勧められると乳茶だけ飲んだ。

 シルバはカルンとフリカ語で話し、時折り紫鈴を見て、紹介している様だった。

 紫鈴は笑みは浮かべていたが、緊張の面持ちで会話が終わるのを待つ。

 一通りの説明が終わったのだろう。

 シルバとカルンがこちらを向いた。

 シルバが紫鈴に語りかける。


「母は白陽語が話せない。すまんが俺が通訳する。いいか?」

「承知しました」


 紫鈴の固い言葉に頷くと、シルバはカルンに紫鈴が了承した旨を伝えた。

 カルンは頷くと、紫鈴を見て言った。


『まずはシルバとの婚約を結んでくれた事、有り難く思う』

「いえ」

『突然の事で戸惑われた筈だ。母親として、又一族の仮長として受けてくれた事に感謝する』

「痛み入ります」

『シルバからはまだ想いが定まらず、婚約の儀の延長を、との事だが、紫鈴殿の意志としてはどうか』

「……」


 紫鈴は直ぐには答えなかった。

 沈黙が落ちる。

 シルバがこちらを見ている。

 前髪は降りたままで、その表情は見えない。

 ずるい人、と心の中で思った。


 唇を噛んで、俯いた後、紫鈴は居住まいを正してカルンを見た。


「私は、延長を望みません」


 シルバは数瞬黙った後、カルンに紫鈴の言葉を伝えた。

 カルンはじっと紫鈴を見た。その小さな眼差しには驚きも憂いもない。ただこの土地の風のように、凪いだ瞳だがこちら見つめている。

 紫鈴は、何も言わないその瞳にうながされるように、静かに語り出した。


「望まぬ理由は、私が白陽国を離れられないからです。今、私には支えなければならぬ人が二人います」


 語りながら立ち姿が浮かんでくる。長身の美丈夫、優美にもみえるその顔立ちを宿るは龍のような鋭い眼差し。


「一人は白陽国今上帝、張煌明ちょうこうめい様。私の乳兄弟であり、主です」


 脳裏に浮かんぶ帝の眼差しがふっと緩んだ。小柄な娘がととっと駆け寄ってくる。こちらに向いた目の大きな瞳が、柔らかく細まる。

 紫鈴の硬い口元が、自然とほころぶ。


「もう一人が、青蘭という私の親友です。青蘭は侍女の身ながら主を慕っており、主も青蘭の事を想っております。後ろ盾のない青蘭を支える為には、国を、奥宮を離れる事が出来ません」


 帝が私室に戻れば常に近くにいる二人。でもその間には恐ろしい程、隔たった身分差がある。

 自分に何ができると言うわけでもない。

 ただの高位女官である者など後ろ盾になってやれることもできない。


 でも、それでも。

 側で支えてやりたいと思うのだ。

 あの小さな、くったくのない笑顔以外、何も持たない娘に。


「我が国では嫁ぐとなると嫁ぎ先の家に入ります。国を離れ、こちらの家に入る事が出来ません。ですので……婚約の儀も……終わりにしとうございます」


 紫鈴が語り終えると、シルバはカルンに通訳した。

 紫鈴を見ず、淀みなく伝えている。

 カルンはシルバに何事か語りかけた。

 シルバは通訳せずカルンに答える。

 カルンの眉がハの字に歪んだ。

 そして、


『状況は分かった。

 だが、紫鈴殿の気持ちとしては、どうか』

「……」


 黙った紫鈴を見て、カルンは真摯な顔でさらに言った。


『現状で無ければ、如何した?』


 紫鈴は俯いた。


「……せんのない話はしたくありません」


 カルンは立ち上がり、紫鈴の前まで来た。

 そっと手を握ってくれる。

 紫鈴の視界がぼやけた。

 カルンの浅黒い、皺のあるしっかりとした手に滴が落ちる。


「しーりん」


 カルンは優しく呼びかけた。


「……本、当は……貴女を、おかあさまと……」


 呼びたかった、と皆まで言う前にカルンが抱き締めてくれた。

 力強い腕の中で、紫鈴は声を殺して泣いた。


『シルバが好きなんだね』


 カルンは紫鈴の頬の涙を拭って語りかけた。

 紫鈴は言葉は分からなかったが、言われた事は、理解出来た。


 はい、とカルンに告げた。


 よしよし泣くな、と言わんばかりに紫鈴の涙をまた拭い、頭を撫でてくれた。紫鈴が泣き止むまで、ずっと。


 少しだけカルンはシルバと言葉を交わした後、泣き止んだ紫鈴に言った。


『あなたの望み通りにしよう。会えて嬉しかった。シルバとの婚約が結ばれなかったとしても、あなたは私の娘。またいつか会える事を望みます』


 その言葉をもって、シルバとの婚約が解消された。

 紫鈴はその事を胸に刻んだ。


「はい、カルン様」


 無理に笑って、紫鈴は頷く。


 カルンはいい子だ、と言うようにギュッと紫鈴を抱いて立たせてくれた。



 カルンが外に向かって何事か言うと、一人の女性が入ってきてカルンから紫鈴の手を引き取り、カリマから出させてくれた。

 奥のカリマの隣にあるカリマに誘導してくれて、乳茶を出してくれる。身振り手振りで、ここに居て、と言ってくれ、紫鈴が頷くと、ほっとした顔をして部屋を出て行った。



 紫鈴は魂が抜けたように座っていた。


 とうとう、言ってしまった。

 婚約を、解消した。

 シルバと離れたくなくて、ここまで付いてきたのに。


 口から出たのは別離の言葉だった。

 後悔なんて、言った側からしている。

 でも言葉は放たれた。

 受理された。

 もうシルバとは、何の関係もない。




 ****




 その日の夜、紫鈴は少し白陽語が話せる女性を介して、カルンと共に夕食を取った。

 羊の肉の煮込みや、腸詰めの焼き物、例の固いパンにすっかり慣れた乳茶。

 白の固まりは相変わらず食べれなかったが、そんな事も含めて歓談した。

 道中キサとサリヤに会った事を話すと、カルンは二人とは一年近く会っていないんだと、言って様子を聞かれ、喜ばれた。


 シルバと会ったのは翌朝、乳茶と岩塩の軽い食事が済んだ頃。シルバが紫鈴を呼んだ。

 カリマから出ると、シルバの側にアリが居て、もう出立するのだと分かった。

 ちょっと待ってて、とカリマに戻り、朝食の用意や、昨日ずっと紫鈴の世話をしてくれた女性に、言葉は通じなくても感謝を伝えた。

 女性はニコッと笑って、紫鈴を抱いてくれた。

 隣に居た通訳の女性も、同様に抱いてくれた。

 紫鈴は、別れの挨拶の時、お互いを抱き合うのがフル族の挨拶なのだと、知る事が出来た。


 旅装を整えカリマを出ると、シルバの隣にカルンが居た。

 紫鈴は自らカルンを抱きに行く。

 カルンも力強く抱き返してくれた。

 シルバの後ろには村人が多数居て、シルバに親しげに声をかけていた。


 やがて、紫鈴はシルバの横に立つよう誘導される。


 カルン、シルバ、紫鈴と並んで立った所で、カルンは朗々と村人に言った。

 シルバ、紫鈴の名前が聞こえ、語り終わった後、村人達が全員ザッと胸に手を当てた。

 そして、村人の中で一人、前にでてきた人物が居た。

 紫鈴はあっと思った。

 以前、馬を助けた事のある少年であり、シルバの弟だ。


 シンはちらっと紫鈴を見て会釈をし、カルンとシルバの前に立つ。


 カルンはまた朗々と言い、シルバも朗々と発した。


 シンが胸に手を当て、やはり朗々と語り、カルンの隣に並び立った。

 それを見た村人がザッと片膝を付いて同じ言葉を言った。

 それを受けてシンが応じ、村人は一斉に立ち、シンやシルバに笑いながら集まって一言二言声をかけ、肩を抱き合っている。


 紫鈴はただ呆然と一連の出来事を見ていた。

 最初はシルバと紫鈴の婚約が解消された事を告げたのだと思うが、その後に続いた何やら厳かな流れが何だったのかさっぱり分からなかった。

 不安になってかたわらのシルバを見上げると、シルバはあの穏やかな目で、大丈夫だ、心配ない、と言った。


 カルンに最後の別れの挨拶をして、シルバはまた紫鈴だけを馬上に上げて集落の端までアリを引いて歩いた。

 カルンとシン以外の村人がほとんど付いて来てくれて、別れを惜しんでいた。

 やがて、シルバもアリに跨り、馬上から朗々と何かを言った。

 集まった村人がまた一斉に胸に手を当てた。


 シルバが手を上げて馬首を返すと、別れの言葉を口々に言って手を振ってくれた。

 シルバは手を振り、紫鈴も会釈してアリを駆けさせた。




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