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5 流行り病

 



  女官長の事でからかわれた日を境に、帝は私室に寄り付かなくなった。

 青蘭はこの間の反撃が気に障ったかと気に病んだが、新年を迎える準備にお忙しい様だ、との噂と、青蘭自身も手が空いたら雑務に駆り出されるくらいなので、帝に至っては自分の何倍もの忙しさなのだろうと気持ちを切り替えた。

 それに、気を悪くしていない証も帝は残して置いてくれた。


 今日はあるのかな……?


 部屋を整えてから、そっと花器を持ち上げると、花器の下に四つに畳んだ紙が置いてあった。

 わくわくしながら紙を開くと、◯の記号か書いてあった。うーん、普通かぁ、と青蘭は少しだけ唇をちゅっとつぼめた。


 帝と顔を合わさなくなって七日以上が経ち、なんだか少し寂しく思っていたら、ある時花器の下に小さな紙が置いてある様になった。


 最初は紙いっぱいに大きくバツ。

 花の良し悪しなど分からんと公言していた人からのダメ出しである。

 よし、と思って次の日からいろいろ試していくと、その内△になって◯やら◎も出てきて、段々とその訳が分からない評価が楽しくなってきた。


 それに、帝の花の好みも分かってきたのだ。


 華やかに大きく入れるとバツ

 小さくまとめるとだいたい◯

 楚々と入れすぎると△

 この殺風景な部屋と同様にすっきり入れると◎


 自分の為に入れているので時には帝の好みとは違う花も入れるのだか、それがバツと返ってくるのもまた楽しい。

 あんまり顔を合わせないと、バツになる花ばかり入れたくなってくる。


 どうしてそんな気持ちになるのかな。


 そう思うと、少し胸が苦しい。


 なぜ苦しいのだろうと考えるのだけど、かすかなもやもやが胸をかすめるだけで……答えは出ないのだった。




 ****




 まともに顔を合わせないまま、年の瀬もあと二十日余りと迫ったある日、陛下がお戻りになります、と従者が息を切らして伝えにきた。

 いつも戻られる時は先触れもなく突然の事が多いので、珍しい、と思いつつ茶房に行き、すぐにお茶の準備をした。

 部屋を整え、居間で待っていると帝が戻って来た。


「おかえりなさいま……陛下? どうなさいました? ひどい顔」

「はは、ひどい顔とは……さすがに言われた事はないぞ……」


 帝は冗談の一つも出していたが、顔色は真っ青である。

 とにかく寝台へ、と青蘭は帝をなんとか寝台へ誘導したが、倒れ込む様にその身を投げ出した後はピクリとも身体が動けない様子だ。


「っ、お医者様を呼んで来ます!」


 青蘭は只事ではないと皇医を呼びに寝台を離れようとすると、帝は息苦しそうな声を出しながら止めた。


「よい……既に呼んである……青蘭、衣を脱がせてくれ」


 自分の身支度もほとんど青蘭の手を借りずにすます帝が、初めて介助を頼んだ事に、青蘭は手が震えるのを何とか抑えた。

 表の装束を苦労して脱がし、肌衣にした所で手足の異様な冷たさに気付く。


「陛下、失礼します」


 首元と額を触る、汗はほとんどかいていない。でも額は物凄く熱い。とにかくあるだけの布を被せ、足をさする。


 そうこうしている内に皇医が来た。

 診るから少し下がりなさい、と言われそれでも帝の足元で待機していると、ふーむ……と思案する声がした。


 青蘭は帝の症状を見た事があった。

 それを進言したいのだか、目上のしかもご皇医に物申していいものか、至極迷った。


 本来、下女は傭人ようにんの世話をする役で、一言も発する事はなく世話に徹するのが良しとされている。

 帝が気安い方なので、こちらでは皆そうかと思い、宮中の従者に声をかけて激しく叱責された事があったのだ。


「う……」


 寝台で苦しそうな唸りが上がり、青蘭ははっとし、意を決して声をかけた。


「恐れながら申し上げます。昨年私が暮らしていた村にて、陛下と同じ様な症状の病にかかった者がいました」


 皇医は陛下の容態を診ながら、同じ症状とは? とこちらに向くことはなく聞いた。


「高い熱を発しているのに、手足が冷たくて、汗がでないのです。温かくして、汗を出せば回復するのですが、冷たいままだと回復に時間がかかるのです」


 具体的かつ、明瞭な答えに、皇医はふむ、と頷く。


「回復にはどれくらいかかった」

「汗をかいた方は三日程で。汗をかかなかった方は五、六日寝込んでおりました」

「死者は」

「お年寄りに亡くなった方がいました。赤児も亡くなりはしませんでしたが、回復が非常に遅れました」

「ふむ、体力が無いものに牙を剥くか」

「恐れながら、もし私の村と同じ病ならば、流行るのが早い病です!」


 青蘭の必死な声に皇医が顔色を変えた。


「どれ位で流行ったのだ?」


 青蘭は正確に思い出そうと唇をかんで思い巡らす。


「確か……最初に倒れた人が居ると聞いて、半日から一日にかけてその周辺の人が倒れていきました」

「何? そんなに早くか!」


 血相を変えて皇医が言った時、失礼致します! ご皇医様はこちらに?! と女性の声がし、足早に女官長が入室してきた。珍しく取り乱している。


「如何した、女官長殿」

「ご皇医様、大変、大変申し訳ないのですが、至急診て頂きたい方が」


 皇医の眉が上がる。


「只今、陛下をご診察しているのですぞ。どこの世に陛下を差し置いて診る方がいるのだ」


 女官長がすぐさま平伏する。そして頭を下げながら声を絞り出すように告げた。


「平に、平に失礼を申し上げております。陛下の先とは申しませぬ。ですが陛下と同様に大事な方が倒れられたのです」

「まさか、皇太后様か」

「はい、熱が出て、苦しまれております」


 皇医はすぐに女官長に問う。


「本日、皇太后様は陛下と会われたのか?」

「はい、春節の件で朝議の後に陛下が参られました」

如何程いかほど

「半刻弱と思います」

「お近く話されたのか?」

「はい、卓を囲んで」

「むぅ……」


 皇医の迷いを見て、青蘭は無我夢中で声を上げた。


「私が、私が陛下につきます! ですからどうかご皇医様、皇太后様の元へ……! 対処が遅れれば長引いてしまいます!」


 青蘭の言葉に、女官長も立ち上がって頷く。


「この者は常より陛下に仕えております。陛下も親しく話す者です。間違いは有りません」

「しかし女官長殿」


 皇医が女官長の目を見た。

 女官長もその眼差しをしっかりと受け止めて頷く。

 皇医は一度目を伏せ、青蘭に向き直った。


「この病、薬は効いたか?」


 青蘭は首を振った。


「いいえ、頓服として熱冷ましを頂きましたが、効果のほどは有りませんでした」

「時間薬じゃな。相、分かった。そなた、名は何といったか。ふむ青蘭か。では青蘭、心して聞け。私は今から皇太后様の元へ行き、なるべく早くに戻る。それまで陛下を頼めるか」

「はい、勤めます」


 皇医は頷き、青蘭の目をひたと見て重々しく言う。


「もし、万が一の場合、そなたは勿論のこと女官長や私の首も飛ぶ。その覚悟は有るか」


 青蘭はひゅっと息を呑む。


 ご皇医が陛下の側を離れるというのはそれ程の事……先ほどお二人が交わしていたのは、その事を。


 青蘭は二人を見た。

 どちらも迷いの無い視線をこちらに向けている。


 この方々が、私に命を預けて下さっている。


 ぶるっと身震いをして、しかしすぐに頷いた。


「はい、心得ました。必ず陛下をお守りし、回復させてみせます」


 その言葉に二人は力強く頷いた。

 そして足早に部屋を去っていった。




 ****




 青蘭は二人を送り出した後、すぐに寝台の側に戻った。

 帝は苦しそうに息をしている。青蘭は再び足をさすり出したが、先程と変わらず凍るように冷たい。


 どうしてた? 私を温める為に、おばあちゃん、どうしてくれてた?


 必死に記憶を思い出す。

 村に病が流行った時、倒れた近所の子供達を世話していた青蘭も、半日程で同じく倒れた。その時、おばあちゃんが看病してくれたのだ。

 額に冷たい布を当ててくれて、足をさすってくれていたのを思い出す。


 そうだ、夜冷えてきた時はおばあちゃんが一緒に寝てくれて暖をとってくれた。


 青蘭は躊躇なく外衣を脱ぎ、肌衣だけで陛下の隣に潜り込む。陛下の片足を、自分の両脚で包むようにするのだが、余りに冷たくて身震いする。

 腕も目一杯伸ばして身体を包みたいのだが、胴までしか届かない自分の身体の小ささを呪った。


 温まりますように、温まりますように。


 帝の体温が戻るよう祈りながら手足でさする。ものの数分で青蘭の足先まで冷たくなってしまった。

 半刻程でそうしていただろうか、足先はまだ冷たいが、胴回りが温かくなってきた。

 次第に腕、腿、と温かくなってくる。


 よかった! あともう少し……!


 青蘭がほっとした時、帝が身をかすかによじって唸った。

 だんだんと身体が暑くなってきたのだろう、無意識に青蘭の身体を外そうと身じろぎをする。


「陛下、もう少し我慢して下さい。もう少しで汗が出ますから」


 そう語りかけ、自分を離そうとする帝の身体を包んだ。


「うーん……側女など、いらんと申すに」


 帝が呟く様に言った。

 意識が戻ったかと青蘭は陛下の顔近くまで身を起こした。


「陛下、ソバメ様ではありません。青蘭です。分かりますか?」

「うん……?」


 帝はまだ目を開けずに何事か聞き取れない事を言っている。

 青蘭は帝の額に手を当てた。

 少し汗ばんで、熱が下がり始めていた。


「よかった……」


 胸を撫で下ろして脱力した所に、ぐっと腰に腕が絡んだ。


「陛下! 気が付かれましたか?」


 喜び勇んで帝を見ると、帝は薄く目を開けた。


「……青蘭……? まさ、かな……夢か」

「青蘭です。陛下、大事ないですか?」


 それを聞いた帝は、鷹揚に頷いた。


「うん、夢だな。夢なら良いか」

「夢じゃ……うぐっ」


 夢じゃないですよ、と言いたかった言葉は塞がれて消えてしまった。

 あっという間に上から下へ組み換えされ、口蓋を弄られる。

 苦しくて、空気を求めて帝の胸をどんどんと叩くのだか、その手も絡め取られてしまった。

 ググッとくぐもる様に喉を鳴らすと、ようやく開放され、陛下! と声を出そうとしたら、首元を吸われ、あまりの感触に声が出ない。


 な、何?


 首元、胸元に帝が唇を落としていくたびに鈍く痛む。

 それが青蘭の奥底に何かを生みつけた。

 それと同時に得体の知れない恐怖も。


 喰われるっ


「陛下、へいか!!」


 青蘭は帝の顔を無理矢理上げて、頬を叩く。

 帝は胡乱うろんな目をして、ぼーーっと青蘭を見た。


「……青蘭? どうした?」

「陛下、陛下はもう少し眠って下さいっ、ご病気なのですっ」

「病気? 青蘭が付いてくれたのか?」

「そうです。側にいますから、今一度横になって下さい」

「そうか」


 帝は言うが早いか、ごろっと横になってすぐに寝息を立て始めた。

 青蘭も同様にドサッと隣へ横になる。

 息が荒く、動悸が収まらない。


 何がなんだか、分からなかった。

 ただ、只事ではない事だけは分かった。


 ぐっと自分の袖で口元を拭う。

 深い寝息になった帝を見た。


 よかった……!


 これで体力が回復すれば、明後日にも動ける様になるだろう。

 帝に掛け布団を丁寧にかけ、自分も乱れた肌衣を整えて外衣を着る。

 帝が汗をかけば、もう添い寝をする事もない。寝台を離れ、居間から椅子を持ってきて枕元の側に控える。

 布団から出た腕を入れようとして、思い直してじっと手をみる。

 節があり、打ち傷もあり、青蘭の手よりもずっと使われた手だった。


 全然、近所のお姉さんじゃなかったな。


 美しい外見とは裏腹な傷だらけの手を見て、帝の本質を垣間見た気がした。


 青蘭は帝の手を額にあて、目を瞑る。


 天の神、地の神、水の神、火の神よ、

 感謝致します。

 我らが帝をお救い下さり、感謝致します。


 それを唱えるだけが、今の青蘭の出来る限界であった。

 崩れる様に寝台に突っ伏す。

 帝の行動とか、胸の鼓動とか、思考すべき事は沢山あったが、もう何も考えられなかった。




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― 新着の感想 ―
[一言] 青蘭の淡い恋心に、きゅんとしたところの急展開。 陛下、夢ならいいかって!(笑) 普段理性で抑えてる欲も、熱と青蘭の肌衣姿には敵いませんね。いいぞもっとやれ(え) 改稿後の文章運びで、物語へ…
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