20 故郷へ
ふと目を覚ますと、隣にいる筈のシルバはもう居なかった。慌ててカリマを出ると、アリを連れてシルバが戻ってくる所だった。
「起こしてくれたら良かったのに」
昨日アリの水やりに行ったので、今朝も自分が行こうと思っていた。
「一応、声をかけたが眠っていた」
「うそっ」
身内ならいざ知らず、他人の横で正体なく眠ってしまうなんてあり得ない。
「疲れていたんじゃないか?」
「……」
(たとえそうであったとしたって……え……もしかしてもう身内扱いなの……?)
自分の意思とは裏腹な行動に、自分自身がついていけない。
「と、とにかく朝食の準備、します」
まだ火が炊いてなかったので起こそうとすると、シルバに止められた。
「あ、いや、すまんが、簡単に済ませて出る。カリマを畳むのを手伝ってくれないか?」
「分かった」
シルバがさっと空を見て言ったのに、紫鈴はうもすもなく従った。
今までの経験からして、シルバが先を急ぐ時は天候が崩れていく時だ。こう言う時は必ずと言って良いほど当たる。
二人で早々にカリマを片付けアリに積み、直ぐに馬上へ上がろうとした時、シルバが紫鈴の口にある物を放り込んできた。
「なにす……甘い」
「暫くは駆けるからな、すまんがそれが朝食だ。日中に着きたい。大丈夫か?」
簡潔な問いに紫鈴は黙って頷いた。
(この人と一緒に居ると、私までどんどん言葉が少なくなっていく)
変えられていく自分に若干の不安を覚えたが、いや、と思い直した。酒の席や洞窟の中ではそうでもなかった。
行動する時の言葉が極端に簡潔なのだ。
了承を得たシルバは、自分も紫鈴にあげた物を口に頬張り、紫鈴を馬上へ上げた。
シルバは前日と違って紫鈴の前に乗る。
紫鈴は馬上の位置替えで早駆けと分かる。
すぐにシルバの腰に手を回して、力の限り腰紐を固く掴んだ。
シルバはその様子に軽く笑み、ハッと声をかけてアリの腹を蹴り、走らせた。
****
林道を越えて、丘を何丘か越えると、辺り一面が平たい草原になってきた。
丘がある所までは街道が有ったが、それを超えると道無き道。紫鈴では何処を走って居るのか分からないが、シルバは迷いなく走らせている。
一刻走らせてアリを休憩させ、直ぐにまた早駆けをする。
風が生温い風に変わってきた。先程よりも空が曇っている。シルバは空を気にしている。雨が降るかもしれない。
南東へ下がってさらに一刻。小さな集落が見えてきた。
ここか、とほっとした矢先に、ここで昼食を取って、さらに南へ下がると聞かされた。
げんなりとして集落に入ると、一つの大きなカリマから男が出てきて馬から降りたシルバと抱き合った。
シルバはテュルカ国の母語、フリカ語で何やら話している。暫くして紫鈴をアリから降ろした。
すると直ぐにカリマの中に入って行く。
紫鈴がアリの側で待っていると、カリマから上半身だけ出して手招きをした。
布と布の間を抜け、大きなカリマの中に入ると、もう既に布を引いた床の上に昼食の準備がなされていた。
シルバはずっとフリカ語で話しをしていて、紫鈴には何を言っているのか分からなかった。
シルバが紫鈴を指して何事か言っている。
紫鈴は紹介されているのかと思い、両手を組み、白陽国の正式な礼をとった。
男は黙って頷いて、手で席を進めてくれた。シルバを伺うと頷いたので、黙って指された所に座る。
シルバと男も喋りながら座り、固いパンがまわってきて、昼食が始まった様だった。
紫鈴は若干の居心地の悪さを感じつつ、黙って見様見真似で食べた。
シルバは、意外な事によく喋っていた。時には笑い、また話題も自分から提供している雰囲気だった。
(無口なんじゃないの?)
シルバの口数も気になったが、それよりもフリカ語だけで話されている事の方が気になった。
白陽国の母語である白陽語は言わば公用語で、周辺の国の民ならば大抵話す事が出来る。だがシルバと男はフリカ語でずっと話している。
まるで紫鈴はこの場に居ないかの様に。
いや、紫鈴の話もどうやら出ている様で、何度かシルバと男の視線がこちらに向いたのだが、要するに本人が居るにも関わらず本人ではなくシルバに尋ねているのだ。
(もしかして、喋れない?)
白陽国のほんの外に出たか出ないかの所で、まさか言葉が通じない?
ごくんと豆のスープを飲んだ。
温かいはずのスープなのに、何故か胃には冷たい物が入っていく錯覚に陥る。
どんどんと食欲がなくなっていく所へ、すっと湯気の出ている椀が脇から出てきた。
顔を上げると、フル族の民族衣装を着た女性がニコッと笑った。
「ありがとうございます」
紫鈴は白陽語で言うと、女性は、どうぞ、といった意味であろうか、紫鈴の手に椀を持たせてくれた。
ヤクの乳だ。シルバにも作って貰った事がある。
一口飲むと、親しんだ味がした。ほっとして胃にまた血が流れ始めた。
(大丈夫、落ち着いて)
そう言われたみたいだった。
もう一口飲み、ゆっくりと息をはいてき、気をとりなおして女性に話しかけようとした時、バタバタバタッとカルマの屋根が鳴った。
何事か、と身構えると、雨だ、とシルバが紫鈴に伝えた。シルバの読み通り、天候が崩れたのだった。
二言三言男と話して、シルバが紫鈴の方へ向き直った。
「今日はここで泊めてもらう」
紫鈴は分かったと頷いた。
シルバがそれを見てまた男の方に向き直る前に、袖を掴んで止めた。
「あの、泊めて頂くし、きちんとご挨拶したいの。通訳してくれる?」
「ああ、通訳しなくても叔父貴は通じるぞ」
(何ですって?! 早く言いなさいよっ!)
紫鈴は眉を釣り上げてシルバを睨むが、なぜ怒っているのかわからないようだ。珍しく少し首を傾げていた。
紫鈴は通じないシルバからなんとか目を離し、語気をおさえてキサに丁寧に頭を下げた。
「ご挨拶が遅れ、大変失礼致しました。伯紫鈴と申します。今晩泊めて頂けるとの事、大変ありがたく、よろしくお願い致します」
シルバには柳眉を上げつつもこちらには居住まいを正して挨拶する紫鈴に、キサは鷹揚に頷く。
「いや、こちらこそ失礼つかまつった。キサ・グルカと言う。シルバの叔父だ。ゆっくりとされるがいい」
挨拶を白陽語で受けてくれたキサ・グルカに改めて略礼をとる。するとキサは、先ほどスープを注いでくれた、小柄で朗らかな笑顔の女性を紹介してくれた。
「そしてこれは妻のサリヤだ。何か有ればサリヤに聞いてくれ」
そう言うと、またすぐにシルバと話し込んでしまった。
(こちらを受け入れてくれたようにも思ったが、警戒されてしまった?)
そう思って二人をしばらくみていたが、特にこちらを排除する雰囲気でもない。たまに二人が紫鈴の方に目を向けてむしろ笑みを浮かべて話している。
しかしフリカ語なのだ、全然、何を言われているのかわからない。
しかし矢継ぎ早に話している二人に口を挟む間もなく、所帯なさげにまたヤクの乳を飲んでいると、サリヤがこちらへ、と言うように手招きして奥の布の先に導いてくれた。
このカリマは大きく二棟に分かれていて、奥は客のための寝室兼居間になっていた。
サリヤは紫鈴を居間のクッションが沢山置いてある布の上に座らせ、一旦部屋を離れてまたすぐ手に黄色い小さなパンのような物を持ってきてくれた。
揚げたモチモチとしたそれを一つ紫鈴に渡して、どうぞと動作で勧めてくれた。
紫鈴は初めて食べるその揚げパンを一口含むと、甘い。
思わず顔が綻んだ。
その顔を見たサリヤが、ニコッと嬉しそうに笑った。




