19 種火ー往路ー
数刻を闊歩していくと、段々と日が西へ傾斜してきた。シルバは少し街道から外れて、小高い丘の岩を背にした場所でアリを止める。
紫鈴をアリから降ろすと、黙ってカリマを張り始めた。紫鈴も慌てて布を押さえたり、張り終えたカリマの中を分からないなりに整えたりした。
シルバが火を起こして夕食の支度を始めると、紫鈴はアリに水をやりに行く。
乗馬を教えてもらった時に覚えた動きだ。
〝やれる者がやれる事をすればいい〟
屋外の煮炊きに慣れてない紫鈴がシルバに詫びを入れた時、何と言うことはない、と言って発した言葉が紫鈴の中に残っている。
あまり多くを語らないシルバは、人の動向をよく見ていて、紫鈴が迷った動作をしていると簡潔に指示をくれる。
そして紫鈴はいつの間にか野営の動きを覚えた。
シルバのおかげで、とても自然に。
紫鈴がアリの水やりを終えて帰ってくると、もう火が炊いてあり鍋が焚べられていた。
塩漬け肉と芋、根菜が入っており、シルバは更に臭みよけの香草を手でちぎっていれている。
簡易なのに何故か美味しく感じるシルバの野営料理を、紫鈴は実は楽しみにしていた。
種火の火の加減が少し弱まってきたらもう頃合で、鍋を外し、火種が無くならない様にまた木を焚べて夕食となった。
塩漬け肉と根菜のスープに、固いパン。シルバはもう予めちぎってくれた。
「ありがとう」
「ああ」
スープを一口飲むと、ほわっと温かくなる。
紫鈴の緩んだ顔を見て、前髪に隠れたシルバの目も細く緩んだ。
「パンは汁につけて食べろよ」
「ええ」
固いパンが柔らかくなって食べやすくなるこの食べ方は、シルバと初めて会った時にシンという少年が教えてくれた。
元気にしているだろうか。笑った顔が青蘭に似ていて、随分と慰められた。もう、何年も前の出来事の様に感じる。
夕食を食べる時分には日が暮れて、食べ終えて乳茶を飲んでいる今は夜の帳がとっぷりと降りていた。
パチパチと種火が鳴っている。
言葉は無くとも、気詰まりではない。
穏やかな顔で火種を見ているシルバの横顔を眺め、紫鈴はほっとした。
強引に連れてこられ、怒っているのは本当は自分の筈なのに、逆にシルバが怒っていて紫鈴は気持ちが落ち着かなかった。あまり感情を表さない人が怒ると、言葉にならない重々しさがある。
馬上では一言も話さなかったので、食事の時に普通に話せて胸を撫で下ろしていた。
「俺は」
「うん?」
シルバがいつの間にか紫鈴の顔を見ながら言葉を発していた。
「俺は、この数ヶ月お前を見て、いいと思っている」
長い前髪に隠れたシルバの穏やかな目が、明かりの加減で透けて見える。 虹彩が茶色から黄金色に揺れては戻り、戻っては揺れて、とても、綺麗だ。
「小さな事に礼を言える所もいい。
間違ったら謝れる所もいい」
紫鈴の事を思い出しているのだろう。話ながら口元が少しずつ緩んでいく。
「俺はお前でいいのではなく、お前がいいと思っている。アリや掟を抜いても。お前は、どうなんだ?」
パチパチと火がはぜた。
〝だから、前にも言ってるでしょ!
私はあなたとは添い遂げれないって〟
とは、言葉に出来なかった。
前とは、違うからだ。
何も、言えない。
紫鈴が唇を噛んで黙ってしまったのを見て、シルバは柔らかく笑むと、紫鈴の頭をポンポンと叩いて、先にカリマに入っていった。
紫鈴は暫く火の番をしていたが、やがて火を消し、カリマに入った。
シルバはもう横になって寝ていた。
一人用のカリマに別々に寝る場所もなく、紫鈴は背中合わせになる様にそっと隣に横になる。
シルバの規則正しい寝息に感謝しながら、眠りについた。
いつも、温かい方へ擦り寄ってしまうのは小さい頃からの癖だった。
生まれた時から隣には緑栄がいたからだ。
夏に入っていく時期とは言え、高地にあたる白陽国の朝はまだひやりとする日も多い。
まどろみの中、紫鈴は温もりの有る方に寄る。
温かく包まれ、紫鈴は満足気に息をつき、また深い眠りに落ちていく。
紫鈴の頭の上でそっとため息がつかれたのには、気付かないまま。




