15 酒を呑む理由
日没を過ぎてまだ一刻。
宿から出た界隈はまだ人通りがあり、飲食の店から呼び込みの声も高く賑々しい。
存外と日没後の王都に居たことがない紫鈴は、どの店に入ったものかと目移りしていると、シルバがこっちだ、と歩きだした。
シルバは何故かこの界隈を知っている様で、迷いなく一軒の店へ入っていった。
奥の方の空いている席に座ると、注文を取りに来た店員にすらすらと何品か頼み、酒は? とだけ紫鈴に聞いた。
「あ……いらない」
へぇ、と前髪の下の眉が上がったであろう事は、見えなくても分かった。
シルバは紫鈴の為に茶を頼み、自分は生酒を頼んだ。
「いかにも飲めそうなのに、って言いたいんでしょっ」
先手を打って紫鈴はプイッと横を向いた。
自分の派手な顔立ちからすると男どもは皆、そう思うらしい。宮中の宴席に駆り出される時は、適当に逃げ口上を言って絡んでくる者共から逃げまくるのだ。
「まあ、否定はしないがな。飲めなかったら飲めないで、それはそれでいいんじゃないか?」
今度は紫鈴がへぇという顔をした。
飲める男の中で、飲めないのをがっかりされない事例は初めてだ。
「余計な金もかからんし、飲めれば良いという事は無い」
「そう? 一緒に飲んで楽しめた方がいいんじゃないの?」
「さぁな。他は知らぬが、俺は騒ぐたちではないから。食事の時を共に出来ればいい。それに」
そう言ってシルバは手元にある酒を見る。
「好んで飲んでいる訳でもないしな」
「ええっ?!」
紫鈴は驚いてまじまじとシルバを見てしまった。
目線の先でグビグビと飲んで料理が来たついでに酒の追加を頼んでいるのだ、酒豪でなければなんだというのだ。
「好きじゃないなら、飲まなきゃいいのに」
極真っ当に言う紫鈴に、シルバは自分の首をパシパシと叩きながらひどく真面目な顔をする。
「男には、飲まなきゃならん時があるんだ。あんたには分からん」
「はいはい、そうですか」
『参ったな』
言葉尻だけ受け取って、またプイと横を向く紫鈴。シルバはため息をついて何事か呟いているが、フリカ語なので分からない。
「何?」
「なんでもない」
シルバはそう言うと、ま素人目にも強そうなお酒を続けて煽った。
これは美味い、これは口に合わない、と好き勝手言いながら紫鈴が食べ終える頃には、シルバはすっかり酔いが回った様だった。
「よし、戻るか」
紫鈴の皿が空になったのを見計らって立ったシルバは、足元をふらふらとふらつかせながら外に出ようとする。
「まって、お勘定」
と店員を呼ぼうとすると、シルバがひらひらと手を振って、もう払ってある、と言った。
え? と店員を振り返ると、承知している様で、頭を下げてニコニコしていた。
(いつ払ったの? 私達、席立ってないのに)
何度も振り返りつつもシルバがどんどん先に行ってしまうので、仕方なしに一緒に店を出た。
シルバはよろめきながらも宿へとたどり着き、紫鈴は倒れでもしたらどうしようとヒヤヒヤしながら半歩後ろからついて行った。
部屋につくとシルバは寝台に寝転び、すぐに高いびきをかき始めた。
紫鈴はその様子に、仕方ない人、と思いつつも先に寝てくれた事にほっとしていた。
自分も寝支度をしようと靴足袋の紐を緩めた時、コンコンと部屋の戸を叩く音と共に、宿の人の声がした。
シルバをチラッと見たが変わらず寝ているので、紫鈴が戸の近くに行って「はい」と返事をした。
「夜衣をお持ちしました」
「あ、今、開けます」
そっと戸を開けると、宿の女人が女性物の夜衣を一式持ってきてくれた。
「ありがとう、助かります」
泊まるつもりがなかったから、と嬉しそうに言う紫鈴に女人は微笑みながら告げる。
「ご主人から伺いました。奥様の物だけお持ちするようにと。優しい旦那様ですね」
シルバは自分はいらないが、紫鈴の分は用意する様に言い置いて食事に出たらしい。
紫鈴は顔を赤らめて、へどもどとお礼を言って戸を閉めた。
当然の様に奥方扱いされたのと、シルバが用意してくれた夜衣と、同じ部屋で泊まるという事に、変に動悸がしてしまう。
(どういうつもりで)
でも当の本人は高いびきである。
それを見てスッと冷えた。
(どうもこうもないわよ。着替えて寝るだけよ)
でも、と思う。
着替えは本当にありがたかった。
奥宮に戻れない事を知ってから平静になれない紫鈴を、いろいろな面でシルバは気遣ってくれたのかもしれない。
高いびきが規則正しくなっている。
衝立の影でそっと着替えて、そそくさとシルバとは反対にある寝台に潜り込む。
顔だけだしてシルバの気配を読んで見た。
やはり寝ている。
そして、気がみえない。
「…信じられない」
色々な意味でそう呟いて、頭から掛布を被った。
寝入ってしばらくした頃、くしゅんとくしゃみをした。
自分も起きたがシルバも起こしてしまった。
心配そうに半身を起こしたシルバに、大丈夫、と言い、たぶん、と前置いて緑栄が原因だと話す。
「弟がくしゃみをしているんだと思う。たまにあるの、双子だからだって言われてる」
「そういうものなのか?」
「ん、たぶんね。大丈夫だから」
言外に寝て、と言って紫鈴は目を瞑る。
シルバもまた横になった様だった。
うとうととした頃に、シルバが何事か言ったが、紫鈴は答えた様な答えなかった様な、どちらとも言えない返事をして眠っていってしまった。
シルバはため息をつき、意識しているんだかしてないんだか、と誰に言う訳でもなく呟き横になった。
翌朝、普段通りの時間に目覚めて起きると、シルバはまだ眠っていた。起こさない様に夜衣を着替え、手早く朝の支度をしてシルバを見ると、横を向いて寝ていたのが仰向けに変わっていた。
例の前髪が邪魔をしていて目を覚ましているのかどうか分からない。
近くに寄って前髪をかき上げて見たい衝動に駆られるが、なんとか抑える。
してはいけない行為な気がするのだ。
シルバの前髪をかき上げるのは、たぶん、親しい人でなければならない。
(私は、親しくなってはいけない)
だから触らない。
近寄らない。
わざと足音を鳴らして寝台に向かって言う。
「ちょっと! いつまで寝てるのよ!」
シルバは唸ってごろっと横になった。
「ちょっと!」
「あー……大声を、出すな。……響く」
「飲み過ぎ!」
プリプリと怒った風に部屋を出て、水を持って戻った。
シルバは気怠そうに身体を起こしている。
「ほら」
「ああ、すまん」
水を受け取ってぐびぐびと飲んだ。
プハーーと息を吐くシルバ。
「酒くっさっ!」
「……騒ぐな……」
前髪をかき上げてしかめっ面するシルバに、今度は紫鈴が慌てた。
「とにかくっ……顔でも何でも洗ってきたら! 先に行ってるからねっ」
逃げる様に戸を閉めると、肩で息をする。
(反則すぎる……)
かき上げた髪の下から表れた切れ長の目。
寝苦しくて途中で緩めたのであろう胸元。
自分の心臓を捻り上げたい。
(静まれっ)
気持ちとは裏腹に鳴る胸に一喝して、呼吸を整え階下へ降りて行った。




