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白陽国物語 〜蕾と華と偽華の恋〜  作者: なななん
第二部 高位女官と一族の掟
39/77

13 呆然とくしゃみ



 

「紫鈴」


 名を呼ばれてはっとする。

 気がつけばさっきまで父が居た場所に今度はシルバが膝をついている。


「な、なに?」


 紫鈴はさっと居住まいを正す。


「もう出る時間だ」

「出る?」

「日没までに戻らねばならんのだろう?」

「あ……」


 シルバの言っている意味がようやく飲み込めた。まだ日は傾いていないが、中天は過ぎている。

 王都に戻るだけならば日が西に傾きかけるぐらいでも間に合うが、シルバが懸念しているのは王宮・奥宮に日没までに戻れるか、という事だ。

 王都門・城門・表門と主だった門でも三門通らなければならないが、全ての門は日没の合図と共に、同刻閉められる。


「これを食べろ、そしたらすぐに出る」


 手に待たされたのは俵型のお弁当だった。

 そういえば、朝早くに出て今まで何も口にしていなかった。


「父様とシルバは?」

「私達は先に頂いたよ」


 穏やかに言う利葉の傍らで、シルバが頷いている。


「ご、ごめんなさい」


 二人への給仕もせずに、どれ程呆然としていたのか。

 恥じ入るを通り越して青ざめていく紫鈴に、いいから、とシルバは食事を促す。

 利葉もまた、午後からの患者の為に部屋を出て行った。


 もそもそと食べ始める紫鈴の向かいで、お茶を飲んでいるシルバを見る。

 やはり、気は見えない。


(信じ、られない)


 自分がシルバに気があるなどと。


(だってっ)


 思い返せば出会った時から気が見えてなかった様に思う。

 その時、シルバの弟にも会っているのだが、その弟の気の色にも覚えがない程、自分が衰弱していたのだ。


(フル族は見えないのよ……きっとそう)


 一人、納得する様に頷く。

しかし、私にはシルバ殿の気ははっきり見える、いった父の言葉をすぐに思い出してしまった。


(私は未熟だから見えないのよっ!)


 紫鈴は何度も首を横にふって、シルバに好意があるから見えない、という事実を否定する。


「……大丈夫か?」


 あまりの様子にシルバが心配そうに声を掛けてきた。


「んぐっ、ひゃっ! ひゃいじょうふ」

「慌てずゆっくり食べろ」


 噛んで含む様に言うシルバに、あんたのせいよっ! と睨みつけたくなるが、実際にはふいっと横を向く。

 父にあんな事を言われて、意識しない訳がなかった。


(この人の前髪が長くてよかった)


 前髪のおかげで顔色が見えない。

 今の紫鈴にとってはありがたい。

 とにかくつめこむだけ口につめこみ弁当を空にして、おもむろに立ち上がった。


「お待たせ。行きましょう」


 シルバは、ああ、と頷く。

 紫鈴は別部屋に居た利葉に出立する旨を伝えると、わざわざ屋外まで見送りに来てくれた。


「では父様、また寄ります」

「ああ、待ってるよ。シルバ殿も、またいつでもいらっしゃい」

「ありがとうございます」

「母さんと緑栄にも」

「良しなに伝えます」


 では、と頷いてシルバと紫鈴は馬上の人となった。

 ハッと言う掛け声と共に去っていく二人を、利葉は微笑みと共に見つめる。


「あまり、苦しまないと良いのですが……」


(頑固な所はどちらに似たのやら)


 利葉は宮中に居るであろう自分の想い人を思い浮かべて苦笑する。


(私も今だに〝見えない〟のだから、早々に観念したが良いのですがね…)




 ****




「え?! 紫鈴が戻らない?!」


 夕刻になっても戻る気配がない紫鈴を、自室にてじりじりと待っていた緑栄は、同室の青蘭が持って来た情報に耳を疑った。


「いえ、王都には戻られているそうです。城門に間に合わなかった様で、今晩は王都にある宿に泊まる、と」


(何やってんの……)


 緑栄は思わず天を仰いだ。


「ただでさえ休みが多いと思われているのに」


 従者長の苦虫を潰した様な顔が目に浮かび、ため息をつく。


「緑栄様、大丈夫ですよ」


 朗らかな青蘭の声音に顔を上げる。


「陛下のお使いで外出した事にして下さったそうです。公務扱いになっているとの事ですよ」

「本当ですか?」

「はい、ただ……」


 青蘭は困った様に緑栄を見た。


「ただ?」

「陛下が〝貸しだ〟と伝えよと」

「〜〜〜〜〜〜っ」


 声ならぬ声を出してガクッと頭を垂れた緑栄を見て、青蘭は不思議に問う。


「その様にされなくても。緑栄様なら直ぐに返せるのでは?」


 紫鈴と並び立つ緑栄である。影に日向に帝や青蘭を守っていて、尚且つ先日の紫鈴の激昂も鮮やかに収める手腕に、貸しは直ぐに返せるだろうと思ったのだ。

 しかし緑栄はふるふると首を振った。


「青蘭、青蘭は知らないのです」

「?」

「青蘭が相対している陛下と、私が相対している陛下は違うのです」

「ええ! 陛下は二人もいるのですか?!」

「あんな方が二人も居たら身が持ちませんよっ! いやいや、そうじゃなくて」


 キョトンとしている青蘭を見て、緑栄はガックリときている自分がバカバカしくなってきた。

 青蘭の前ではあの帝も聖人君子となってしまうのか。


(となれば、主の貸しも、青蘭絡みとつけ合わせれば何とかなるかもしれない)


 いつも無理難題を吹っかけてくる帝の攻撃を防ぐ良い盾を見つけたかも。

 緑栄はふっと柔んで居住まいを正した。


「ありがとう、青蘭。陛下の貸しを返す時に青蘭の協力を仰ぐと思いますが、その時はよろしくお願いします」

「はい、喜んで!」


(……良し)


 緑栄がやっと笑顔になったのを見て、青蘭も微笑んだ。

 ところで、と青蘭がトトッと箪笥から身支度を出しながら聞く。


「そろそろ湯浴みの時間ですが、緑栄様、どうされますか? 私が見張りに立って、交代で入りますか?」


 当然のように聞いてくるこの可愛い人に、緑栄は微笑んで首を振る。


「いや、私は大丈夫」

「でも」

「こういう時の為に人気の無い場所で湯浴み出来る様になってますから」


 そうですか? ではお先に、と部屋を出た青蘭を見送って一つため息をつく。


(時間差とはいえ同じ湯殿を使うなど、主に知れたら首が飛ぶ所の話ではないよ、青蘭)


 屈託無く紫鈴と同様に接してくれる青蘭に、男として見られていないのは若干の寂しさを感じるが苦く笑う。


(ま、この恰好で男だと言ってもね)


 緑栄も紫鈴の箪笥から夜衣を出し、そして外衣も出した。

 自室を出る前に鏡の前で身なりを整え、佇まいを確認する。

 一つ、頷いて歩き出した。



 紫鈴の部屋から中庭へ降り、北へ北へと進むと奥宮の北壁へに着く。緑栄にとってはさして高くはない壁をひと息に飛び上がり、降りるとすぐに道ともなしの山に入る。


 堅剛な城塞の中で、この北だけ緩いのには訳がある。

 王宮の背後にある北山の反対側が断崖絶壁なのだ。そして奥宮とは別に王宮を守る城壁が山の三方を囲んでいる。

 絶壁が言わば自然が作った王宮の城壁となっていた。


 北壁から山に入り少し歩いた所に地脈から湧き出ている温泉があった。

 緑栄は紫鈴の姿で奥宮に泊まらなければならない時、この温泉で湯を浴びる事にしていた。

 人目を気にする事もなく、また、時間も気にしなくても良い。

 半月の月明かりが雲隠れする夜は、ことさらに気兼ね無く自らの身を開放出来て、気持ちが緩んだ。


 と、その時、

 パシャン

 水音がした。

 さっと岩影に隠れる。


 パシャン パシャ


 湯けむりと暗がりで見えはしないが、明らかに人が入ってきた気配だった。


(水音からして、女)


 さらに気配を消す。

 女であれば十中八九奥宮の女。

 素の自分の姿を見せる訳にはいかない。

 男と認識してもらえばまだましだが、

 〝紫鈴に似た男〟として見られるとまずい。


「……で、大丈……」


 緑栄とは対岸の所にいるのか、はっきりとは聞こえないが、誰かを呼ぶ声がする。


(複数? 万事休すか)


 ミャーオ


 細い猫の声がした。


(猫?!)


「大丈夫、熱くないから。おいで」


 少し大きめの声にギクッとする。


「一緒に入れば大丈夫だから、ほら、抱っこしてるから」


 ミャーウ ウミャウ


 猫は嫌がる様な声を出しているが、どうやら容赦無く洗っているらしい。


 ミャミャミャミャ


「あ! まだ途中!」


 ガサゴソと草を這う音がして、消えた。


「もう!」


 ため息と共にチャプンと水音がした。


 緑栄は息を殺す。

 間違いない。

 今、共に湯に浸かっているのは春華だ。

 湯に入っているのに冷汗が出てくる。

 よりにもよって春華とは。

 面が割れている、というだけではない。


 ピシャン パシャン


 水音と共に深く息をはく音。


(拷問か!)


 そう思った途端、春華の白い二の腕が脳裏に浮かんだ。


(くっ)


 思わず頭まで湯に浸かってしまった。


 チャプン


 我に返りそっと頭を出すと、向こうの水音が静かになった。息を潜めているのが分かる。

 数瞬の後、ザバザバッと激しく音をさせ、春華が湯から上がった気配がした。

 慌ただしい着衣の音と共に走り去る足音。

 緑栄は、たっぷり時間が過ぎるのを待ってから、やっと上がった。


「まいった……」


 ザッと着衣し、外衣を着る。


「っくしゅッ」


 思わず出たくしゃみにため息が出る。


「紫鈴は帰ってこないし、湯を浴びればかち合うし…厄日だ」


 前方に神経を集中させながら、急ぎ来た道を戻る。


「はっくしゆッ」


 二度目のくしゃみに、慌てて首元をかき集めた。




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[一言] 緑栄、あわやラッキースケベ!?
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