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白陽国物語 〜蕾と華と偽華の恋〜  作者: なななん
第二部 高位女官と一族の掟
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12 見えない気

 



 先日の直談判があってからの休養日、紫鈴はどんな顔をしてシルバに会いにいけばいいのか悩んでいた。

 帝の言を信じれば、シルバに他意はなかった、と言う事になる。

 でも、あの態度は無いでしょう? と思う自分もいる。

 そもそも顔を合わせたくなかった。シルバに会ったら、怒った顔しか見せれない。それを嫌だと思う気持ちがどうしても浮き上がってくるのだ。


(いやいやいやいや、怒った顔を見せればいいのよ。それ以外に何を思うことが?)


 その先に有るであろう何かを頭を振って断ち切り、何もない、怒ってていい、怒り顔でなにも不都合はない、と自分に言い聞かせる。

 ため息を吐き、身体全体を写せる鏡を見ると、袍に身を包み眉をぐっと寄せた自分がいた。

 自分でみても情けないぐらい不機嫌な口元。


(こんな顔をさせるシルバが)


 思わず(なじ)りそうになって、またぶんぶんと頭を振った。なじる、という行為がさらに紫鈴を惑わせる。


(別に()め寄らなくったっていいのよ、怒っていればいいのよ、怒るの!)


 きゅっと唇を噛んで部屋を出る。何も考えなくていい様に足音も荒く馬舎へ行った。

 渦中の人をみつけ、腕を組み、横を向く。


「ああ、来たか」


 シルバはそれだけ言うとアリを連れて歩き出した。

 紫鈴は黙って突っ立っている。

 アリがぶるるっと鳴いた。

 シルバが振り返る。


「どうした?」


 紫鈴は横を向いたままだ。

 シルバは黙ってこちらを見ている。


 紫鈴はたまらず腕を解いてきっと睨む。


「何か言う事は無いの?!」


 声が浮き上がってしまった。

 アリが驚いたように、ぶるる、と唸る。


 紫鈴ははっとして目を落とし、上着の端をぎゅうと掴む。


 なんて情けない……自分の感情を抑えることができないだなんて。


 紫鈴は唇を噛み、右肘を掴んで恥じる。


「……ああ」


 シルバはしばし間を置いてから頷くと、何を思ったか、アリの手綱を近くの柱にくくると、すっと側にきた。

 なにを、と紫鈴が逃げ腰になる前に、腕を腰に回し、身体をぐっと近づける。


「悪かった」


 低い低音を耳元で聞かされて、紫鈴は微かに身震いをした。囁かれた耳がじわじわと赤くなってしまうのが自分でも分かる。


(反応しないで!)


 自分で自分を戒めるのだが、意思に反して耳元はおろか首筋まで赤くなってしまった。

 シルバはそんな事はおかまいなしにすっと身体を離すと、今度は紫鈴の腰を両手で掴むとぐいっと抱き上げた。


「なっ、なっ、なにをっ」


シルバは慌てふためく紫鈴を気にする事もなく大股にアリに近づき、あっという間に紫鈴を鞍に載せる。


「な、なんなの?!」

「今日は案内を頼みたいんだ。あんたの父親に会いに行く」

「父様?」

「ああ、道を教えてくれ」


 アリの手綱を解くと自分もサッと紫鈴の後ろにまたがり、ゆっくりと歩き出す。


「ちょっと! 突然行っても診療しているから、会えないわよ」

「大丈夫だ。了承は取ってある」

「了承?」

「文を出しておいた。今日あんたと共に行く旨を書いておいた。返答も来た」

「うそっ」


 紫鈴が驚いて言葉を呑むと、シルバの笑い声が上から降ってくる。


「ここで偽りを言ってどうなる」


 紫鈴はにわかに信じられなかった。

 普段はちゃらんぽらんだが、事、診療となると、父は何よりも人々の診療の時間を重んじる人だ。

 ちょっとやそっとの訪問はいつも断っていた記憶がある。シルバの訪問を受け入れた事に、父の意思を少なからず感じた。


表宮の一番外の表門に近づいていくと、王都の喧騒が微かに聞こえてくる。


「どちら方面だ?」


騎乗しながら二人とも身分証の札を憲兵に見せると、頷いて門が開けられた。


「……王都より北西、城門から出て三つ目の集落」

「分かった」


 シルバは軽く頷くと、あぶみでアリの腹に合図をし、大門のから広がる大通りの真ん中をゆっくりと走らせた。




 ****




 三つ目の集落に入った所で、馬足を緩めた。


「東の丘の上にある家よ」


 シルバが問う前に紫鈴が答える。軽く頷いて歩を進めた。

 集落の中でも外れの方にその家はあった。

 アリの足が止まると同時に紫鈴は滑り降り、家の中に入って行く。


「只今戻りました。父様?」

「ああ、お帰り」


 居間の一室で書き物をしていた利葉りようが顔を上げた。


「今丁度患者が帰った所だよ。シルバ殿はどうした?」

「え? あ……」


 言われて後に付いて来ていないのに気付く。その様子に父は苦笑した。


「お客様をお連れしなさい」

「はい、父様」


 しゅんとして戻ると、シルバはアリに水をあげていた。


「悪い、桶を借りた」

「いえ、どうぞ」


 紫鈴はアリの首を撫でて謝った。


「ごめんね、アリ。お疲れ様」


 アリはゴフゴフッと水を飲み終えた後、ブルルッと鼻を押しつけてきた。


「アリ、冷たいよ」


 文句を言いながらも嬉しそうにアリの首筋を撫でる紫鈴を眺めていたシルバは、診療中か? と家の方を見た。


「今は大丈夫。中に入って」


 今度はシルバを連れて中に入ると、利葉は中央の卓へといざなった。


「ようこそ、シルバ殿。紫鈴、お茶を用意してくれるかい?」

「はい、父様」


 紫鈴がいつになく殊勝に下がって行くのを見つめたシルバは、利葉に向き直った。


「お時間を取って頂き、ありがとうございます。利葉殿」

「いえ、久しぶりに紫鈴に会えて嬉しいですよ」


 にこやかに笑う顔はやはり紫鈴に似ている。


「それで、今日はどういったご用件でしょう」

「実は」


 シルバが話し出した所で紫鈴が突然飛び込んで来る。


「父様っ!!」

「どうしました? 紫鈴」

「お台所、いつ使ったのです!」

「ああ、そうですねぇ」

「母様が戻られたのはいつです?!」

「十日前ぐらいでしょうか」

「……お茶が出るまで、しばらく掛かりますからっ!!」


 噛みつく様に言い置いてすぐ戻っていった。


「すみませんね、騒がしい娘で」

「いえ」


 十日も触っていない台所を想像すれば、紫鈴の所業もやむなしだろう。

 存外と逆上しやすい紫鈴からすると、大人しく引き下がった方だとも言える。

 シルバが動じないのを見て、利葉はまた深く微笑んだ。


「娘をよく理解して下さっている様で、ありがたい」

「どうでしょうか。自分では分かりかねますが」

「そうですか? 大丈夫だと思いますよ」


 もしかしたら義理の父になるかも知れない人物に太鼓判を押されてシルバは困惑する。

 一度帝の前で会っているので激昂する人物で無いことは分かっているが、突然降って湧いて来た娘の婚約話に、もっと何か思う所があるだろうと覚悟して来たのだ。

 それが笑顔で迎えられている。


(読めん)


 読めない相手と対するには一つしかない。


「お尋ねしてもよろしいでしょうか」

「どうぞ?」

「気が見える、とは常に見えるのでしょうか」

「そうですね、見ない様にしようと思えば、そうも出来ますし、見ようと思えば多岐に見えます。が、やはり心身に負担がかかるので普段は見ない様にしています」

「万物に見えるのでしょうか」

「いえ、どちらかと言うと命有るものに反応しますね。これは個人差がありますが」

「個人差とは?」

「自分にとって興味の有る対象はより見える、という事です」

「成る程」


 シルバは興味の有る対象という所で目を瞑った。


「気が見えない、という事は?」

「そうですね、病や怪我で重篤な者は殆ど見えません」


 以前、帝の私室で伏していた青蘭を見て、紫鈴が酷く動揺したのはそう云う事か、と納得した。


「では、紫鈴殿は私の気が見えない、と言うのですが、それは近い将来私が死ぬ、という事でしょうか。もしくはこの国の者では無いので見えないのでしょうか」


「そう、ですか……!」


 シルバは利葉が動揺する所を初めて見た。


「その話、私も一緒に聞きたい」


 丁度お茶を持って来た紫鈴が慌てて言った。利葉は二人を交互に見て、困惑した表情をした。


「そうですね……まず、シルバ殿は近い将来亡くなる気配は無いですね。私にはシルバ殿の気ははっきり見えるので。そもそも予見出来るものでも無いのです。死に近い者を見ると気が無くなって見える、というだけですので」

「父様にはシルバの気が見えるの?!」

「はい、見えますよ」

「よ……」


 よかった、と言いそうになって慌てて口を噤み、お茶を配る事で誤魔化した。

 その様子をシルバが温かく見つめている。

 それを見て、利葉はニコニコと頷いた。


「では何故」

「紫鈴は見えないか、という事ですね。

 これに関しては、申し訳無いのですが紫鈴と二人で話したいのですが」

「分かりました。席を外します」


 秘匿すべき事柄と踏んだのだろう。シルバはすっと席を立つ。

 あ、ちょっと、と利葉が呼び止めた。


「すぐに、は無理かも知れませんが、いつか紫鈴が教えてくれると思いますよ」


 シルバは向き直り、利葉を見つめ、深く頷いた。

 そして胸に手を当て、略礼を取って部屋から出て行った。




「なかなか良い人を見初めましたね、紫鈴。

 お目が高くてよろしい」

「べ、別に私が見初めた訳ではありません」

「そうなのですか? あなたの方から求婚したと聞いたのですか」

「それは、あちらの掟を知らずに……って父様! お聞きになっていらっしゃるでしょう?!」

「あ、そうでしたね」


 ニコニコと笑っている父にげんなりとする。母から一通りこれまでの経緯は伝わっている筈だ。

 この父の調子っぱずれた所に紫鈴はいつまでも慣れない。


「先程の質問に答えて下さいっ」と無理矢理話題を戻す。

「そうでしたね」と利葉も笑って紫鈴に向き直った。


「紫鈴、見た所正常であるにも関わらず気が見えない、というのは初めてですか?」

「はい」


 改まって聞かれて、紫鈴も表情を引き締める。


「そうですか」


 利葉はうんうんと頷いた。


「……」

「……」

「父様っ!」

「ああ、そうですねぇ。うーん、どうしても知りたいですか?」

「……父様」


 先程とは違って一段と声色が低くなったのを見て、すみません、と利葉は苦笑いをした。


「本来こういう相談を受けるのは父ではなく母だと思うのですが、気が見えるという一点だけで私が先に相談を受ける事になって母さんには申し訳無いのですが」

「父様、全然話が見えません」

「ああ、そうですか。そうですねぇ、母さんが一緒に居てくれたらよかったのに、という話です」

「〜〜〜〜!!」


 この父を膝蹴りしたくなる思いを許してもらえるだろうか。

 紫鈴は強靭な精神力で自分の四肢を踏ん張った。

 その様子に再び、すみません、と苦笑して、利葉はとんでもない言葉を発した。


「正常者の気が見えないというのは、あなたの能力が無くなった訳ではありません。ただ単に、自分がその者に気が有るから見えない、というだけです」


「……は?」


紫鈴は何を言われたのか分からず、ぽかんと口を開けた。


「あ、分かりにくかったですかね。どちらも気が気が、ですからね。具体的に言うと、あなたがシルバ殿を好いているのでシルバ殿の気が見えない、という事です」


「……はぁ?!」


理不尽ですよねぇ、と利葉はうんうんと頷く。


「だって一番気を見たい方の気が見えないんですから。私もどうしようかと思いましたよ、懐かしいですねぇ……」


 父の声が遠のいていく。


(は? 気?)


 シルバの気が見えないのが、いつも引っかかっていた。

 それがどう云う事なのか、知りたかった。

 私の能力が心配で。

 ついでにシルバも心配で。


 それなのに。


 気が見えないのは。


 私がシルバを。




「それは……だめです」




「紫鈴?」

「……認められません」

「紫鈴」


 そっと利葉は紫鈴の側に寄った。

 呆然としている紫鈴の前で膝を折り、目線を合わせる。

 紫鈴は父を見るともなしに見る。

 父の笑顔の中に、真摯な目があった。


「あなたの思いとは別に、これは真実です。それは変わらない。

 〝それを知った上で、あなたがどう動くのか〟は、また別の話です」


 紫鈴は虚ろな目でただただ父を見る。


「自分と相談しなさい。

 答えは自分が知っていますよ」


 そう言って、利葉は少し席を外しますね、と部屋を出て行った。

 紫鈴は頷くことも身じろぎする事も出来ず、ただ呆然と佇むだけだった。



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[一言] 頑なに認めなかった事実を、自らの能力により証明されてしまって。気持ちは傾いているのに、理性がそれを拒む。どうする、紫鈴?
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