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白陽国物語 〜蕾と華と偽華の恋〜  作者: なななん
第二部 高位女官と一族の掟
35/77

9 軒下 ー緑栄ー

 



「あら? 紫鈴様、今日はお休みなのでは?」


 しずしずと廊下を歩いている緑栄を呼び止めたのは顔見知りの女官だ。


「急務が入って呼び出されたのよ。まいっちゃうわ」


 振り向きざまにふてくされた様には言うと、まあ、と眉をひそめられ、お気の毒に、と慰められて行き交う。

 本当に、と眉をしかめた顔を顔面に縫い付けながら内心は動揺している。


(こう毎回、休養日のたびに入れ替わっていたらさすがに不審がられる。どうしたものか……)


 紫鈴曰く、掟で七日に一度は顔を合わせなければならないらしい。

 シルバとは普段、同じ奥宮にいるとはいえ、職種が違うので会うことはない。従って互いの休養日に顔を合わせるしかないのだという。


 それにしたって毎回はきついと断ると、内々に紫鈴を呼び出したと聞くから相当に厳しい掟なのだと思う。

 辟易している紫鈴を送り出し、げんなりしているのは私も同じなんだけどなぁ、と一人ごちる。


 緑栄とて表宮の仕事があり、紫鈴に化けるときは必然、自分の休養日を当てるしかない。

 私の休みも返してくれ、とぶちぶちと心の中でこぼす。

 それに合わせるように足さばきが荒くなり、はっとして元の歩調に戻した。

 さりげなく周りを見るが、特に見られている訳でもないのでほっとする。

 心穏やかになれず、宮中の様子を見回ったら紫鈴の私室でゆっくりしようと心に決めたその時。


「きゃーーーー!!」


 前方の廊下で悲鳴が上がった。

 さっと裾を掴み走る。


 角を曲がった所で中年の女官が腰砕けて座り込んでいた。

 近くに数人の女官が心配そうにたたずんでいる。


「どうされました?!」

「あ、ああ、あそこ、あそこに……!」


 座り込んだ女官が庭の片隅を指差す。


「庭になにか?」

「黒い……黒い……」

「黒い⁈」



「黒いネコが横切ったのですっ!!!!」



 悲痛な叫びと共に周りの女官が まぁあっ! とすっとんきょうな声を上げた。



(……)



 緑栄は努めて周りの女官達と同じ様に、まぁあ!! という顔をした。



「不吉だわ!」

「怖いわ!」

「なんという事!」

「早く白いものを身にまとわなくてはっ」


 口々に騒ぎだす女官達に向かって、緑栄はわざと意を決した様に告げる。


「皆様、落ち着かれて。私がまだ近くに居ないか見てきますから」


「まぁそんな!」

「危ないわ!」

「でもよろしいの? 見て下さるっ?!」

「ありがたいわ!!」


 きゃんきゃんと声高な勝手極まる言葉を背に、庭へ入って行く。

 ガサガサと適当に木を揺らし、探すふりをして適当に戻った。


「皆様、黒いネコとやらはもう何処かへ行ってしまった様です。もう心配いりませんわ」


「本当に? 大丈夫?」

「ありがとうございます、紫鈴様」

「ああ、今日は日が悪いわ、このままお休みもらおうかしら」

「とにかく戻りましょう、そうしましょう」


 危機がすぎてもかしましく言いながら女官達がわらわらと去る。


 しばらく微笑みながらその一行を見送ると、緑栄は一息ついて廊下の軒下にいる人影に声をかけた。


「もう出てきても良さそうよ」


 しばらくしてうつむき加減に出てきたのは春華だった。

 その腕の中に黒い小さなネコが、金色の目を瞬かせながらこちらを見ている。


 黙っている春華に緑栄はあえて厳しい声をかける。


「宮中での飼育はご法度よ。知っているとは思うけど」

「……飼っているのではありません」

「その格好で?」


 大事そうに抱えているネコは、大人しく春華の胸に収まっている。


「会うと近くに寄ってくるだけです」

「年配の女官方が腰を抜かしてしまうわ」

「あんな噂、迷信です」

「それは同感だけど」


 白陽国では最近、何故か〝黒猫が横切ると不幸が起きる〟という迷信が年配の女性の中で流行っていた。

 〝見た後に白い物を身にまとうと不幸が回避される〟などと回避方法までも流行っていて、王都で白い布が一時期品切れする現象も起きた程である。

 ちなみに迷信に踊らされているのは年配の方のみで、若者はそんな馬鹿なと鼻にもかけないのだが。


 春華は同感という言葉にぱっと顔を上げるが、緑栄の厳しい表情を見てまた俯く。


「餌を上げるのはやめなさい」

「餌など」

「やめなさい」


 春華は黙ったままだ。

 少し強く抱き締めたのだろう。ネコは苦しそうに鳴き、慌てて力を緩めた春華の腕から飛び降りて庭の方へと走って行った。

 ばつわるそうに横を向いている春華の手を取り、緑栄は廊下へと上がる。

 そのまま黙って歩き出した。


「あの」

「手、引っかかれているわよ。薬つけるからついて来て」

「結構です」

「医務室には行かないから。いいからついて来て」


 そう言うと、手を離そうとしていた力が抜けた。

 緑栄はそれを認めると、幾度かの回廊を抜け、紫鈴の私室へと導いていく。


 私室の扉を開けて入ろうとすると、春華の足がピタッと止まった。

 緑栄は構わず入ろうとするのだが、動かない。どうしたのか振り向くと、思いの外緊張した面持ちの春華の顔があった。


「何も取って食やしないわよ。傷の手当てをしたいだけだから、入って」


 そう言うと、何度か生唾を飲み、意を決した様に足を踏み入れて来た。

 緑栄は春華が何をそんなにためらうのか不思議に思いながらとにかく窓際の卓に座らせた。一旦部屋の外に行き、桶に水を張ってもどる。

 借りてきた猫のようにちぢこまって座っている春華の隣に座ると、腕を取って浸した布で丁寧に患部を拭いた。


 春華の右上腕の内側はミミズ腫れのような筋が二、三ヶ所あり、緑栄は切り傷に効く軟膏を滑らかに塗っていく。


「あの……紫鈴様は医療の心得があるのですか?」


 処置の手際がよかったのだろう。春華は口についたように問うてきた。


「いえ、私は」


(職業柄生傷が絶えない、とは言えない)


 普段は帝の側仕えをしているが、有事の時は内偵として市井にも下る。荒事の渦中に入っていくこともあり、これでも普段の訓練は欠かさない。

 しかし、それは緑栄であって紫鈴はそこまでの訓練は課されていないのだ。

 緑栄は間をおかずにそれとなく春華が納得できそうな理由を言う。


「陛下のお側に仕えているので、簡単な処置法をご皇医から教えて頂いているのです」

「そうなのですね。先日の膏薬といい、今回といい、重ね重ねありがとうございます」

「……前回は私の責任です。その後、腕は?」

「おかげ様で良くなりました」

「そうですか? 少し腫れ具合を診ましょうか?」

「とんでもない、大丈夫です」


 慌てて痛めた方の腕を後ろにまわす仕草に、緑栄は春華のささやかな嘘を見抜く。


「あなたの場合の大丈夫は、大丈夫ではない事が往々にして有る事を私は学びましたよ」


 言うが早いか、腕を捕らえて袖をまくし上げた。


「だいぶ腫れが引きましたか。でもあと少し薬を塗り続けた方が良さそうです」


 そう言って前回渡した薬を寝台の側の箪笥から取り出し塗っていくと、微かに震えた声がした。


「あの……もう、どうか、そのあたりで……あとは帰ってから自分で塗れますから……」


 えっ? と顔を見ると、春華は顔を真っ赤にして、やっとの思いで羞恥に耐えている。

 その顔を見た途端、自分が手で支えている白くふくっとしたたおやかな二の腕が、とても艶めかしく感じた。


「こ、これは失……失礼」


(まずい、失敬と言いそうになった……! というか……いかん、言葉が)


 緑栄はいつの間にか自分(おとこ)の言葉で話している事に気付いた。

 あわてて二の腕が出るまで上にあげた春華の袖を、手元が隠れるまできっちりと伸ばして下げる。

 恥じらった目元の赤さに吸い寄せられる意識を無理矢理窓にむけて、何か当たりさわりのなに話題を探した。


「そ、それにしてもいい天気ねぇ。今日、私、休養日なのよ。よかったらお庭でも散策しない?」

「は、はい。私も休みなので、丁度いいです」


 なんとも言えない妙な間から抜け出せるとあって、春華も話を合わせてきた。

 お互いほっとして、ではいきましょうか、と紫鈴の私室を出る。


 庭園に降りていくと、今までは木の花が多かったが、足元の野草も少しずつ色づいてきている。


「いつの間にか、もう春なのですね」


 口からこぼれ落ちる様に呟く春華に、そうね、とほほえみ返す。

 青蘭に聞けば花の名前をすぐに答えてくれるだろうが、あいにく緑栄には花の知識がない。だが、知識なくとも人並みに綺麗だと思う。

 黙って春の花を楽しんだ。


「……お休みで、ご実家には帰らないの?」


 ふとついた疑問を口に出す。

 見習いの女官は大概が良家の子女で、王都の王宮に近い一等地に住んでいる者も多い。

 特別な長期休暇でなくても休養日にはほとんどの者が実家に帰っている。


「私はいいのです」


 以前、湯殿で見たあの頑なな表情になった春華を見て、緑栄はあえて軽い口調で、「そう、残念だわ」とため息まじりに言った。


「え?」

「あなた、華月堂の娘さんでしょう? 私、華月堂の黒糖まんじゅうが大好きなのよね。もし実家へ帰られるのだったら、あなたに頼んで買ってきて貰おうと思っていたのよ。残念だわ」


 よどみなく話す緑栄をあっけにとられて見ていた春華だが、ふふっと笑って、実家には帰りませんけれど、と前置きをしつつ言った。


「よろしければ私が作りましょうか?」

「え?! あなたが?」

「材が違うので店と同じ味にはなりませんが、作り方は分かりますから」

「いいの? 悪いわ!」


 緑栄の目が爛々と輝いている。

 悪いわといいながら頂戴と言っている様なものだ。


「次の休養日はいつですか? 合わせて作ってお待ちしますが」

「次は、ね」


 うっかり自分の休養日を言いそうになってしばし黙る。


(紫鈴、紫鈴、紫鈴の休養日は)


「五日後、かな」

「分かりました。 あの、その代わりといっては何なのですが」

「黒いあの子を見逃せって?」


 皆まで言わずとも言い当てられて赤面する所はやはり良家の子女といった所か。

 どうしようかな、と思案する振りをする。

 勝気そうな猫目の顔がハラハラと心配そうにまなじりを下げるのを見て、微笑ましく思うと同時に、あのネコが彼女の支えなのだと思うと、何故か胸がじりっとした。


「では、黒糖まんじゅうを十個持って来て下さい」

「十個? あの、日持ちしませんけれど」

「大丈夫。当日食べますから」

「……分かりました」


 本当に? という疑惑の眼差しをしつつも了承してくれた。


「では、五日後に。場所は……」

「今日、私がいた場所でもいいですか? あの子、あの軒下が好きなんです」


 飼ってはだめだと言ったのに、と睨め付けると、飼ってないです、と横を向いて言う春華。緑栄は一つため息をついて、分かったわ、と承諾した。

 勝気な目が緩んだのを見て、緑栄はうっと思う。

 ではまた、と別れた後、緑栄は急いで例の小部屋へと滑り込んだ。


 ばさっと結い上げた髪を解く。

 ガシガシと乱暴に頭を掻くと、不味いなと呟いた。


 大人になってから二度目の化身が解けた意味を、緑栄は紫鈴と違って素直に受け止めた。

 言葉を戻してもまた自分の言葉になってしまうのも。


「どうするかな」


 呟きながらも緑栄の脳内はすでにある目的の為に動き出している。

 こうなった以上、どうするかは実はもう結論としては出ているのだ。


 光の差さない薄暗闇の中で緑栄の口元が弓なりに上がる。とくりと動きだす想いを逃しはしない。


「私は紫鈴と違って正直だからね」


 本人がいないからこそ言える台詞をはきながら、緑栄は鼻歌まじりに着替えていった。





春華が紫鈴の部屋に入る時、躊躇するには理由がありまして……

緑栄は忘れているのですが結構凄い事を言っておりました。

気になりましたら、第一部 18 食堂にて を参照して下さい。

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― 新着の感想 ―
[一言] 手取り足取り笑 だから春華はためらったのか~。緑栄は軽く言ったことだったけど、言われた春華のほうはバッチリ覚えてたわけで。 でも早々に気持ちを自覚してしまった緑栄だから、春華これからは本当に…
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