7 雷雨 ー洞窟ー
シルバと紫鈴は山の中腹にある広い洞窟の中に居た。
紫鈴は雨が来ると言ってアリを走らせたシルバが、馬首を王宮とは反対に向け、森に入っていった時はどうかしたのかと思った。
しかし森に入った後、直ぐに雨足に追いつかれ、視界に現れた洞窟に飛び込んだ後、雨音が激しくなったのを見て、シルバの判断が正しかったのだと感心する。
おかげでほとんど衣服は濡れず、身体にまとった水滴を払うぐらいで済んだ。
シルバは直ぐに布で馬たちの体についた雫を拭き取り、洞窟内にある乾いた枝を集めて火を起こした。
煙が篭るかと思ったが奥から外へと緩い空気の流れがあり、充満する事は無かった。
続いて荷物から小鍋を取り出すのを見て、紫鈴は目を見張る。
「雨宿りしてお昼をまたぐの、知ってたの?」
「いや、遠乗りする時は常備しているだけだ。あんたが馬に乗れないと言ったから置いていこうとも思ったんだが、念の為持ってきて正解だったな」
アリ達にこれを上げてくれ、と果実と根菜を渡される。
黒く大きな身体のアリと栗毛の馬はこのような事になってもおくする事なく広い洞窟の入り口にいる。
紫鈴が近くに寄ると、まってましたとばかりに二人とも首を伸ばしてきた。
「おちついてて、えらいね。今日はありがとう」
アリの凛とした眼と栗毛の澄んだつぶらな瞳に声をかけながらそれぞれに餌をあげた。
首を撫で、少し交流ができたかもと気分良く戻ってくると、シルバが手際よく湯に干し肉と根菜を煮た簡単なスープを作ってくれていた。
「すごい、もう出来ているなんて」
「煮るだけだからな、火の近く座るといい」
「ありがとう」
手渡してくれた温かいスープは胃にしみた。雨が降って急速に気温が下がっている中で湯気が立つ物が食べられるとはと、紫鈴の頬も自然と緩む。
シルバは例の固いパンを渡してくれる。
小さくちぎって渡してくれる心遣いに、紫鈴は重ねて礼をいう。
黙って頷くシルバの表情は見えない。
でも多分、あの穏やかな目をしているのだろうと思う。
「天気を読むの、上手ね」
ふーふーと湯気を逃せながらぽそりと言うと、すぐに返答が返ってきた。
「生活に根付いているからな」
「?」
「俺たちは基本、移動して暮らしている。所有している家畜が一所にいると草を食べ尽くしてしまうからだ。移動や家畜の放牧には常に天気読む必要がある」
「柵で囲って飼わないの?」
「お前達はそれでいいんじゃないか?」
ふと奇妙な感覚に見舞われる。
質問の答えを明確に答えてくれている訳ではないのに、納得させられそうになるというか、二の句が告げれなくなるというか。
「私から見ると不思議な事も、あなた達からすると必然な事という事?」
額に手を当てて正気を保つ様に言うと、シルバは少し目を見張った様に紫鈴を見た。
前髪が邪魔をして見えないけれど、動きでそうだと推測する。
「ああ、そうだ」
やっと明確な肯定を引き出し、満足してスープを飲む。
雨音はまだ強い。
遠くで雷鳴が聞こえる。
この洞窟も、偶然見つけて入ったのだと思っていたが、シルバならば事前に見つけていたのだろうと思った。
周到とは少し違う。
生活の一部として、雨宿りのできる場所を見つけていた様に思う。
シルバの暮らしの中には、
常に自然が共存している。
(私とは余りにも違う)
その事実を噛みしめる。
この人は、その事を分かっているのだろうか。分かっていて、今、一緒にいるのだろうか。聞いてみたい気もするが、言葉にするのが恐ろしい。
(是でも否でも……心に突き刺さりそうな気がする)
それが、怖い。
こんな時、気が見えたら、と思う。
気は心を映す。
紫鈴はそれを色として見る事が出来る。
しかしシルバは見えないのだ。
今まで出会って来た人の中で、見ようと思って見えなかったのはシルバだけだ。
最初にそれを気づいた時、自分の能力が無くなったかと激しく動揺した。が、その場にいた他の人達の気が見えたから、能力自体が無くなった訳ではなかった。
シルバだけ見えない。
そしてシルバは感情を表に出さないから読み辛い。
さらに前髪で目を隠しているから。
「何故そんなに前髪を伸ばしているの?」
「それは教えられない」
「また掟?」
辟易して聞くと、掟ではなく、と前置いて「個人的に教えられない」と言った。
紫鈴〝には〟教えられないと言われたみたいで、何よ、と横を向く。
「気が見えるとか」
今度はシルバが質問してきた。
「それが?」
「俺の一族には感じる事は出来ても見える奴は居ないんだ。どんな感じなんだ?」
「色が見えるだけよ」
「色か。ちなみに俺は何色だ?」
「……」
小さい頃から幾度となく聞かれた台詞。
今まで全ての人に淀みなく答えていたのに。
「……分からない」
「フル族だからか?」
「分からない。分かっている事は、見えないのはあなたが初めてだと言う事だけ」
「そうか」
若干残念そうな声に、そんなに知りたかったら父を訪ねてみたら、とふてくされよつに言った。
紫鈴の父も自分と同様に気を色として見る事が出来る。
若い頃は王宮内で勤めていたが、今は市井に下がって民の気を見る仕事をしている。
紫鈴が見えない気でも、父、利葉ならば見る事が出来るかもしれない。
「そうだな」
今度は気乗りしない返事だった。
「次の休養日にでも行ったらいいじゃない?」
「まぁ、行ってもいいが。一人で行くとその日はそれで終わってしまうだろう?」
父の家は王宮の郊外にある。往復だと丸一日は費やしてしまうだろう。
それは、そうね、と頷くと、シルバも頷き、おもむろに言った。
「お前に会う時間が無くなる」
「……え?」
突然、直球を投げられて、顔が真っ赤になった。二の句が告げれない。
「べべべ、べつに休養日のたびに会わなくても」
顔が上げれず、スープのお椀に言うと、それは困ると即答がきた。
「そんな困るっていわれても」
「決められているからだ」
「え? 決められて?」
シルバを見ると、至極普通に頷いている。
「まさか」
「掟だ」
ポカンと口を開けた紫鈴は、しばらくして口をぎゅっとつぐんだ。
すっくと立ち上がる。
「どうした?」
「帰る」
「まだ無理だと……おいっ」
雨の中出ようとする紫鈴の腕を掴んで止める。
「馬に乗れなくったって帰れる。離して」
「まだ雷鳴が聞こえる。今、外に出るのは危険だ」
「いいから離して」
「危険なんだっ」
強い口調にはっと顔を上げると、前髪から透けて見える目が真剣だった。
「お前が出て行ったら俺も出ざるを得ない。馬も連れてだ。雷は背の高い所へ落ちる。俺たちは伏せて逃れられるかもしれない。だが馬は?」
「あっ」
すぐに伏せる事なんて出来やしない。
アリ達が自分達の代わりに雷に打たれる姿を想像し、紫鈴は身震いをして首を振った。
シルバは頷いて、腕を離した。
「俺がお前を怒らせたのが原因だ。謝ろう。
だが理由が分からない。言ってくれ」
「……っ」
言葉には、とても出来なかった。
言ってしまえば、何かを認める事になる。
それを認める事を、紫鈴は出来ない。
(理由だなんて……言える訳ない)
「……いい」
紫鈴は首を振った。
その頑なな表情に、シルバも無理に聞き出そうとは思わなかった様だ。
雨が止むまで座ってろ、とばかりに紫鈴を火の側まで連れてきて、飲みかけのスープの椀を渡した。
シルバ自身は紫鈴と火に背を向けて横になってしまった。
話さなくて済んだ事にほっとし、飲みかけのスープを飲む。
冷めてしまったスープは塩がきつく、底に渦のようにとごった汁の粕が、まるで紫鈴の心を写しているかの様だった。




