5 乗馬訓練
「きゃ、やだ! ちょっと、まって、こわい!」
「手綱に捕まったら馬が苦しいだろ! 姿勢を正して緩く持つんだ!」
「あ、だめ! うごいちゃ、おちる!!」
「動く合図をしたらから動くんだ! 止まりたかったら後ろに重心を置いて手綱を引け! 合図をするんだ!」
「だめ! わからない!!」
へっぴりごしで馬にしがみついている紫鈴を見てシルバは長いため息を吐くと、額に手をやりながらゆっくりと馬に近づく。
するりと手綱を掴み、どうどうと声を掛けて止まらせると、滑り落ちるように紫鈴が降りた。
肩で息をしながら木の陰まで行き、よれよれと尻餅をついている。
「だから、乗れないって……言ったじゃない」
幹に身体をぐったりと預けながら、息も絶え絶えに呟いた。
****
緑栄から袍をむしり取って馬舎に行くと、シルバはアリともう一頭の馬を用意して待っていた。
「え? アリに乗せてくれるんじゃないの?」
「自分で乗れないのか?」
信じられないという顔をしたシルバは、おもむろに頷き、俺が教えてやろう、とアリに紫鈴を同乗させて器用に二頭を操り、王都の郊外の開けた場所まで来た。
そして恐怖の乗馬訓練が始まったのである。
紫鈴にあてがわれたのは、足元だけ白い足袋を履いてる様な茶毛の馬だった。アリよりも一回り小さいので、乗りやすいだろうな、とは思ったが、まず鞍に乗る所からも高さがあって出来なかった。
鞍に手を掛け、左足を鐙に掛けて弾みをかけて乗る。
シルバが事もなくさっとやる行為が、紫鈴だと何処に力を掛けて良いのか分からない。
シルバは後ろに控えていて、騎乗する際のぐっと足に力を入れる瞬間を見計らって補助で上げてくれるのだが、紫鈴自身が恐る恐る乗ろうとして力が入らなかったり、逆に勢いをつけ過ぎて向こう側に落ちそうになったりして、結局シルバに抱き上げて乗せて貰った。
鐙に足を掛けて上体を起こしているだけでゆらゆらと揺れしまう。今迄前か後ろに必ずシルバが居たので気付かなかったが、拠り所がない事がこんなに心細いとは思わなかった。
もしかしたらアリじゃないからかもしれない。
(アリなら乗せてくれるかもしれないのに)
無意識にアリの方へ視線を向けると、シルバから正面に身体を向けろ、と直ぐに指示が飛ぶ。
何でこんな事なったの、私はアリに会いに来ただけなのに! と心の中で叫ぶのだか、乗ってしまった以上やらない訳にもいかず、半べそをかきながら半刻程も馬の背の上で悪戦苦闘する羽目になったのである。
シルバが二頭を連れて紫鈴の所へやって来て、水筒を渡した。
紫鈴は礼もそこそこに貪るように飲んでむせた。
「一口ずつ噛むように飲むんだ。前にも言ったぞ、この台詞」
「う、ごめ」
背中をさすってもらってやっと息がつける。
「こんなに乗れないのに、よくアリを貸して欲しいと言ったものだ」
シルバが言外に言っているのは、出会った時の事だ。
紫鈴は王命で青蘭の故郷である万丘へ行き、急ぎ帰る時にゆえあって倒れた所をシルバに助けられたのだ。
王都へと急ぐ為に馬を借りたいと申し出たのは紫鈴自身だった。
「あの時は火急で、どんな事をしてもと思っていたから」
「アリや俺と呼吸を合わせていたから、てっきり乗れるのだと思っていたのだがな」
「アリなら一人で乗れるかも」
近くで草を食んでいる黒毛を見やると、だめだ。俺と一緒ならばいいが、即答された。
紫鈴はだめか、と残念そうに頭を幹につけて目を瞑る。
「何故、アリなら乗れると思うんだ?」
シルバも紫鈴の横に並んで座りながら言った。
え? うーん……と重くなっている瞼を薄く上げてぼんやりと思いを巡らせると、ある想いが心に浮き上がってくる。
たぶん、と前置きをして言った。
「アリとは心が通っているから……かな。安心出来る」
「そうか」
心なしか嬉しそうなシルバを見やる。
紫鈴も疑問をぶつける。
「何故アリを貸してくれないの?」
「俺の馬だからだ」
短い即答に納得がいかない。
「乗れる様になったら貸してくれるの?」
「いや、そうゆうものでは」
シルバは何をいっているのだ、という顔をして紫鈴を見ると、ああ、そうだったなと頷き説明をしてくれた。
フル族は成人した時、自分の馬を選ぶ。
選んだ馬は、馬の命が尽きるまで自分の馬とし、基本的にその馬以外は乗らないし、他人に貸し借りもしない。
へえ、と頷く紫鈴は、内心他にもいろんな掟やら決まり事がありそうだ、と気持ちが重くなる。
(いやいや、重くなる必要ないし)
頭を振って考えを散らす紫鈴を見て、さてもう少しやるか、と腰を上げたシルバは、不意にスン、と鼻を鳴らした。
そして空を見る。
直ぐに紫鈴を立たせた。
「何? どうしたの?」
「雨の匂いがする。屋根のある場所へ移動するぞ」
え? と空を見上げるが、薄い雲ははっているが雨雲がある様には見えない。
そんな紫鈴を急かしてアリに乗せると、シルバはもう一頭と手綱を結んでハッと駆け出した。
紫鈴は慌ててシルバの腰に手を巻く。
振り落とされない様に呼吸を合わせた。




