3 女官長と蕾と陛下
野菊を探す手を動かしながら、先程気にかかった言葉を青蘭はどうしても問いたくなった。
直答は許されても、こちらからお声掛けなんてしてもいいのかな。
逡巡してやめ、花の捜索に目を凝らすのだが、気が入らない。青蘭は意を決して陛下の方へ身体を向けた。
「……あのっ、陛下!」
「なんだ?」
腰をかがめるようにして探していた帝は身体を起こす。青蘭は勇気がどこかへいってしまわない内に早口で言った。
「お許し下さるなら、先程の言葉の意味を教えて下さりますでしょうか」
「固い!」
「え?」
「違う、もっと普通に話せ」
「えっと……」
「普通に聞け。でなければ教えん」
そ、そんな、とたじろいで五歩ぐらいの間が空いている帝を見上げる。帝は両腕を腰にあてると、ちょっと首をかしげて当然のようにいった。
「ちょっと気の合う近所の兄ちゃんにその様な物言いはせんのだろう?」
え? 陛下が、近所のおにいちゃん?
青蘭は吹きそうになって慌てて袖で口を押さえる。
陛下が近所の兄さんだなんて……あり得ないのに。
「笑ったな?」
「め、めっそうも……」
ジトっと見ている帝の気配に何とか取り繕おうとするのだが、気配でいえと言われている気がする。でも無理だ。
黙っていれば近所のお姉さんでもいけそうだとか……流石に言えません。
とにかく何とか腹に収め、コホンと咳払いをして言った。
「分かりました。では……陛下、ことわりとはどんな意味ですか?」
「……あまり変わっていないぞ?」
「私の中ではだいぶ譲歩しています」
「そもそも出てくる言葉が難しいのだ、十歳ぐらいがいう言葉ではないぞ?」
「……十四です」
「は?」
「私は十四です! 今年の生まれ月で十五になります!!」
帝はぽかんとして青蘭を上から下までみた。
「それは……誠か?」
「陛下に嘘など言う訳がありません!」
「ちゃんと食べているのか?」
「三食頂いております」
「三食食べてます、だ」
「……食べてます」
「分かった。こちらで考えておこう」
「?」
「気にするな。理だったな。
理というのはな、物事の筋道の事だ。
道理ともいうか。
そなたが言った一株の花を摘まぬ理由には、来季を慮る理由があった。その理由こそが理。
私が知らぬ事をそなたは知っている。それなのに理の意味は知らぬ。面白い事だ」
「面白いも何も」
はっと口を噤む。
ちろっと見ると、陛下の目がまたっというように言っている。
言え、反論があるならば、ちゃんと、と。
「……私はおばあちゃんから言われた事を、そのままお伝えしているだけです」
「ふむ、ばば様のな。だが、その教えが身に付いていたからこそ私が摘もうとした時、急いで止めたのであろう?」
「はい、お花が無くなると思ったので」
「よい。分からずとも。分からずとも、そなたには私には無い理が身に付いている。面白い。っと、これならばいいか?」
「はい。理の意味、ありがとうございました」
頷く青蘭に、そうじゃない、と帝は肩越しに指をさした。
え? と振り返ると、指の先には深紅の野菊が。
今度はちゃんと三株。しかもそれぞれ四、五輪咲いている。
「はい、大丈夫です!」
満面の笑みを広げた青蘭に、陛下はよし、と頷き、二人でどちらの株から何輪取るか、など話しながら野菊を摘んだ。
帰り道にはすすきもみつくろって数本拝借し、こちらの生活に慣れたか、と気さくに聞いてくれる主人に応えながら帝の私室に戻った。
「お待たせしました!」
水場にて花を切り、花器に入れて持っていくと、帝は興味深げに花を見た。
「ほぉ。すすきをどうするのかと思ったが、共に入れると菊が映えるな」
細型の器の口に、すすきが一本、高さを抑えて入れてあり、そのすすきの下にそっと咲いている様に紅の野菊が三輪。
すすきの穂が秋の実りを思い起こさせ、野菊が深い暖かみを演出している。
「良いな。青蘭の花は」
帝にしみじみと言われて、青蘭は大いに照れた。
「ありがたき……じゃなかった、ありがとうございます」
「伏礼はいいと言うのに」
呆れた様に言う帝に、青蘭は深々と伏して頭を下げる。
臆面もなく褒められて、野菊の様に赤く染まった頰が見えぬ様に。
それ以来、帝は週に二、三回は青蘭の出仕している時間に顔を出す様になった。
何を話すと言うでもなく、世間話をしてまた政務に戻っていくのだが、お茶菓子を出すと必ず青蘭にも付き合えと食べさせる様になった。
花も、よく分からぬ、と言うのだが、あれは良かった、今日の花は嫌いだ、など何かしら思った事を言ってくれるので、青蘭は張り合いがあって嬉しかった。
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「ちょっと青蘭、やるじゃないの! 陛下の御目にとまったんですって?」
帝が日中にも私室に戻られるようになって数日後、青蘭と同室の紫鈴が風呂上がりの青蘭を部屋でまちかまえて聞いてきた。
「御目に、というか、お話をさせて頂いてるだけです」
「またご謙遜! 陛下と笑い合ってたって聞いたわよ!」
「それは……」
普通に会話していれば笑う事もあると思うのだけど、と少しだけ首をかしげると、紫鈴は自身の緩やかな顎に手を当て、ふんふんとしきりに頷いていた。
「陛下が幼女趣味だったとは知らなかったわ。どおりで私がしなを作ってものって来ない訳だわ」
「そんな! 誤解です。私はただの話し相手で……女人とは思われていないと思います」
「じゃあ何だというのよ? 御多忙の陛下があなたが出仕する日は必ずというほど顔を見に私室に戻られるって聞くわよ?」
「それは茶飲み……ううん」
友達、なんておこがましいよね。
大陸に名を馳せる白陽国の帝なのだもの。
青蘭は紫鈴をみてきっぱりと言った。
「私があまりに小さくて、心配をして下さっているのだと思います」
「え、そうなの?」
「十だと思われていたみたいです」
「……陛下」
帝のあまりの言いように流石の紫鈴も絶句する。女心がわからないとは思っていたけれど、と紫鈴が本人とは思えない低い声を出したので青蘭は驚いた。
「紫鈴さま?」
「あ、いえ……ま、私の耳にも入ったぐらいだから、いろんな方がいろんな事言ってくると思うけど、適当に流しなさいよ?」
すっと肩をすくめてそう言うと、紫鈴は夜の身支度をし始めた。
青蘭はなんとなく不穏な雰囲気になりそうだったのが緩んでほっとし、自分も後に倣って寝台に入った。
それからというもの紫鈴の言ったとおり、少し顔を見知って挨拶を交わした事のある女官から何度も声をかけられた。
女官だけでなく帝を呼びにくる従者に上から下まで見られたり、挙げ句の果てには、出仕が叶った時にご挨拶した女官長にまで呼ばれる事態になってしまい、青蘭は背中に冷水でもかけられた気持ちになった。
「陛下からお声をかけられているとか」
朝一番に女官長の部屋に来るように言われて恐る恐る入っていくと、執務室に座っていた女官長、柑音は開口一番にそう言った。
「は、はい。出仕した際に、陛下が戻られた時にはお話をして下さります」
「褥は?」
「は?」
「夜は共にしておらぬのか、と聞いている」
「? はい。夕方には辞して自室に戻ります」
青蘭には柑音の言っている言葉がさっぱり分からない。
柑音の、片眉が少し上がる。
「では、昼にか?」
「お昼間は……だいたい少しお話致しましたら従者の方がお呼びに来られ、戻られますが……」
「どの位いらっしゃるのだ?」
「四半刻、ぐらいでしょうか」
柑音はふむ、と少し横を向き、誰にともなく呟いた。
「微妙よな」
「はぁ」
「相、分かった。幼女とはいえ、陛下が女人にお声をかけるなど、稀な事じゃ」
そう言って青蘭の目をひたっと捉えると、
励めよ、と一言言い、退室を命じられた。
女官長の部屋を辞してなんともしっくりいかぬまま出仕すると、程なくして青蘭の入室が分かったかの様に帝が自室へ戻ってきた。
「おかえりなさいませ、陛下」
「ああ、今日はまた遅い出仕だな、青蘭」
「はぁ、いろいろと呼び止められまして」
「聞いたぞ、女官長に捕まった様だな」
何でこの方はこんなに耳聡いんだろう。紫鈴姉さんみたい。
珍しく嫌そうな顔が表に出たのだろう。
おや、と帝が面白そうに聞いてきた。
「何を聞かれた?」
「はい、陛下との事を」
「して、何と?」
「夜は一緒なのか、とか、お昼間はどうなのか、とか」
ぶっ、と帝が吹いている。
「青蘭は、何と?」
「普通に出仕して、夕方には戻ります、と言いました」
「他には?」
「よく分からない事を……陛下は何刻ほど居るのか、とか」
「おお、何と答えた?」
「あるがままに。四半刻ほど、と」
「そうだな、それぐらいだ」
「そうしたら女官長、変な顔をして」
「うん?」
「微妙じゃなって」
ここまで来ると帝は腹を抱えて笑い出した。
「あっはっはっは! 確かに微妙だろうな!」
突然笑い出した帝に、青蘭は納得がいかない。
「女官長には聞かなかったのですが……何が微妙なのですか?」
「何がって、お前」
ひーひーと涙を流しながら笑っていた帝帝が、青蘭の顔を見てまた笑う。
「いや、流石に……私の口からは言えぬな」
「なんですか、人の顔を見てそんなに笑って!」
青蘭は自分と女官長の事を笑っているのは分かるが、何故笑われているのか分からない。
「いや、すまぬ。蕾のお前には無理からぬ事だ」
笑いながらも慰める様に言った帝に青蘭はむっとなった。
誰も彼もつぼみつぼみって……!
「私もう、蕾じゃありません!」
青蘭は吐き捨てる様に言うと、笑っていた帝が一瞬止まって青蘭を見た。が、そのふくれっ面にまた吹き出して、ぽんぽんと、頭を軽くはたいた。
「蕾じゃないと言ってもまだまだ蕾だな」
「どうゆう意味ですかっ」
「それが分からぬ所が蕾という事だ」
「もういいです!」
あきらかに馬鹿にされていて、その理由も答えてくれなさそうな帝に、お茶の準備をします! と言って茶房に下がった。でも、まだ笑い声が聞こえてくる。
とにかくお茶を熱々に沸かして持って行こう。いつまでも笑っている帝にせめてもの反撃である。
素知らぬ顔で戻ってきた青蘭のお茶に口をつけて、アヂッと悲鳴を上げた帝は、笑い転げた非礼を詫びるまで、その日一日青蘭と口を聞いてもらえないのであった。
「四半刻じゃあねぇ」
「え? 紫鈴、知ったような口だね」
「え? ……知ってるわよ」
「ふぅん」
「緑栄こそ、どうなのよ」
「知ってるに決まってる」
「ふぅん」
「何」
「別に」
「……」
「……」
by紫鈴&緑栄
腹の探り合してます。さて、真実は。