23 闇の中
青蘭は暗闇の中、身体を丸めて泣いていた。
花弁を見て何かに包まれる様にして意識が遠のいた後、青蘭は直ぐに気がつき、驚いた。
自分の意思とは別に、身体が動いている。
何が起きているのか分からないまま、身体は勝手に動いていく。立ち止まろうとしても立ち止まらない。右を向こうとしても向かない。
(これは……一体……)
呆然としている間に、朝礼の間に着いた。
紫鈴が視線を送ってくれているのに気付く。気付いているのに。
(紫鈴姉さんっ!)
縋るようにそちらを見たいのに、顔はただ真っ直ぐに正面を向いているだけだ。
(姉さんっ、助けて! 身体がおかしい!)
声を上げようとしているのに、口が開かない。
朝礼が終わり、紫鈴がこちらに向かってくれたのが視界の端に見えた。だが直ぐに消え、青蘭の身体は帝の私室へと足を向けていく。
(姉さんっ! 姉さんっ!!)
悲鳴を上げて呼んだ。が、何事もなく私室に着いた。
青蘭の戸惑いも、意思も関係なく身体は動き、青磁の箱の元へ行った。淀みない動きで開いていく。
(え、何?)
青蘭が知らない動きをしたかと思うと、二重底が出てきた。身体は慣れた手つきで指を入れて開ける。
そして小粒の丸薬を袂に入れた。
(やめて、そんなもの、何に使うの⁈)
何とか袂に手をやろうとするのだが、青蘭の意思ではピクリとも動かない。
やがて青蘭は苦心して入れたコブシを抜き、ばっさりと棄てて新しい花を活け始めた。
(やめて! 私はそんな風には活けない!
私の身体を操るのはやめてっ!!)
声なき声で叫ぶのだが、応じる者も気配もない。
ぐったりとした所に帝がやってきた。
(陛下!!)
帝の元へと駆け寄りたいのに、足が動かない。
(陛下、私が私じゃないのです! 陛下!)
いくら叫んでも届かない。
帝も、青欄の様子に気付く気配も無い。
いつものようにお茶を所望してきた。
(陛下っ!!)
後ろ髪を引かれるように叫んでいるのに、身体はすっと茶房へ向かい、お茶の準備をする。
やがて、袂に手を入れた。
そして白い綿の中から小粒の丸い物を出し、急須に入れた。
この時になってやっと、青蘭は、自分の身体が何をしようとしているのかを理解した。
(いやぁぁぁーーーーーーッ!!!!)
無茶苦茶に手を振り回した。
動かなくても動かなくても、振り回した。
やがて、日没の銅鑼がなった。
その音に反応して、何かが緩んだ気がした。
(急須をっ)
とっさに急須を払おうと右手を伸ばした。
その手が、凄い力で掴まれた。
(誰?!)
掴んだ手は、誰の手でもなく、
紛れもなく自分の左手だった。
青蘭は悲鳴を上げた。
恐怖と絶望の悲鳴だった。
身体は、右手から力が抜けた事を知ると、つつがなく動き、お茶とお茶菓子を持って帝の元へと戻った。
遅かったな、と気遣ってくれた帝を、青蘭は泣きながら見る。
(陛下……陛下……)
帝は変わらなく青蘭に微笑みかけてくれている。
やがて身体は、お盆を円卓へ置いた。
そのカタンという音に青蘭は正気に戻る。
(だめ……陛下……そのお茶は……)
労って茶器を受け取る帝。
(だめです、飲んだらッ……!)
「良い香りだ。花茶か」
しばし香りを楽しんだ帝は、茶器を口元へ持っていった。
「ダメーーーーーーーーーーッ!!!!」
青蘭は無我夢中で叫び、手を出した。
……つもりだった。
青蘭は暗闇の中に居た。
叫んだ直後、また意思が届かない状況を見て、泣き続ける。
(私が……陛下を……!)
陛下はきっと、飲んでしまわれたのだろう。
そして……。
その後の事を思うと、青蘭は泣き伏した。
やってしまった事の大きさ。
逃れられる筈もない罪。
何より、自分の手で帝を、陛下を手にかけてしまった。
タエラレナイ
タエラレナイ……
イッソノコト
イッソノコト……
キエテ、シマイタイ……
そう思った瞬間、青蘭の意識はずぶっと闇に沈んだ。
正座をし、祈るように胸に手を当てる。
ごめんなさい、ごめんなさい。
陛下……ごめんなさい
青蘭の意思が、ずぶり、ずぶりと膝から腰へと闇に呑まれていく。
静かに胸まで呑まれた時、遠くで音が聞こえた気がした。
反射的にそちらの方へ向く。
暗闇の中で、小さな光が見える。
音と共に近付いてくる光。
碧、紫、橙、銀、緑、くるくると回りつつ、大きく近付いてくる。
その中でもひときわ輝く紅金。
闇に半身を委ねつつも、青蘭は光に誘われる様に手を伸ばす。
青蘭の側まできた光の渦は、やがて青蘭を包んだ。
温かい光の中、色々な光が青蘭の周りを優しく回り、まるで蝶の様に瞬いている。
青蘭は、呼ばれた気がして紫の光に触れた。
その瞬間、青蘭の心に声が響く。
(青蘭、あなたの笑顔が見たいの)
「紫鈴……姉…さん…」
次に近付いてきたのは碧い光。
(月は満ちたよ、青蘭。約束を聞きにおいで)
優しい声が、紫鈴に似て、でも紫鈴ではない。
「やくそく……覚えています」
今度ははっきりと分かる。
紫鈴に似た人に向けて答える。
橙の光も、とても大きい。
(しっかりしなさい! 青蘭)
「女官長さまっ……」
普段は厳しいのに、青蘭が弱っている時はいつもさりげなく声をかけて下さる温かい方。涙がまた、溢れ出た。
銀の光は、青蘭の知らない言葉を発していた。
触れて見ると草と風の匂いがした。とても心地よかった。
そして、弱くなったり瞬いている紫の光に寄り添っている。
緑の光は全体に満遍なく広がっていた。
その光が発する音が、青蘭を光へと気付かせてくれた音だった。
そして、紅金。
この光が、誰だか青蘭は知っている。
この色味の衣を身にまとったその方は、いつもに増して輝いて見えるのだ。
「陛下」
青蘭はそっと、震える手で、触れた。
(戻ってこい、青蘭。
お前の、花が見たい)
「はい、陛下」
ぐっと身体が持ち上がった。
青蘭は、光に包まれた。
****
ピクッと全身が揺れた。
その揺れに、一同はっと目を開ける。
利葉を見るが、まだ目を瞑り祝詞を唱えている。
まだか……という落胆に気が転じた時、また、ピクピクッと青蘭の身体が揺れた。
「青蘭!」
思わず声を上げた煌明に利葉が素早く声を発した。
「このまま、手を離さずに。
もう少しです、あと少し……」
それだけをいうと後は祝詞をさらに上げ続けた。すると青蘭の両方の腕がピクピクと震え、やがて、肉体と意識が細かな律動とともにゆっくりと繋がっていく。
反射で動いていた手が、静かに動きを止めた。
煌明と紫鈴の両手を、弱々しく握る小さな手。
「「青蘭!」」
二人の声が重なる。
利葉は頷き、戻りました、と言った。
薄く目を開けた青蘭は、しばらく中天を見ようともなしに見ていた。
目の色がはっきりしてくると、傍にいた煌明を見た。
煌明だと分かったのであろう。見る見るうちに涙が盛り上がってくしゃくしゃの顔になる。
煌明は身を乗り出して抱きしめた。
「青蘭、泣くな。大事ない」
そう言うと、青蘭は子供の様に声を上げて泣き始めた。
やがて、泣き疲れて煌明の腕の中で眠ってしまった。
煌明は寝入った青蘭をいつまでも離そうとはしなかった。
その姿を見て、側近達は誰ともなく、そっとその場を離れた。




