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20 コブシ

 


 青蘭の眠りは、昨晩から浅かった。

 何度も目が覚め、すぐにまた目を瞑るのだが、うとうととしたかと思うとふっと目が覚めてしまう。

 何度目かに目覚めた時、諦めて身を起こした。

 ひとまず水を飲もうと、窓際の水差しに手をやると、窓の外が仄かに明るい。


 陛下、まだ起きているのかしら。


 青蘭はそっと窓を小さく開ける。

 庭園を挟んで向かい側にある帝の私室から、人が出た様だった。

 やがて青蘭の部屋へ人の気配が近づいてくる。青蘭は軽い恐怖にかられ、寝台に潜り込んだ。

 しばらくして扉がそっと開かれ、気配は青蘭の方へと近付いてくる。


 だれ……?!


 どっどっと自分の心臓の音だけが聞こえる。気配は青蘭の側まで近付いたら、すっと隣の寝台に滑り込んだ。


 な、なんだ、紫鈴姉さんだ。


 よかった、と肩の力を抜いた。

 ほっとしたからか急激に眠気が襲ってくる。


 でも、こんな夜中にどこに……?


 チリリと首の後ろが痛んだ気がしたが、睡魔の方が競り勝ち深い眠りへと意識が遠のいていった。



 ****



「青蘭、ほら、起きなさい。遅れるわよ」

「うー……はい……」

「珍しいわね」


 独り言の様に言って身支度をする音が聞こえる。

 もう朝か、と思うがまだ日が上がっていないので、体感的には夜中に起きているのと同じだ。

 半身を起こしたが、まだ動けなさそうな青蘭を見て紫鈴は苦笑すると、頭に手をぽんぽんと優しく置いた。


「朝の務めは代わりにやっておくから、朝礼には間に合う様に来なさいよ」

「すみません、姉さん」


 まだ動かないでいる青蘭は額に手を当てながら謝ると、たまにのことだからいいわよ、と言って紫鈴は先に部屋を出て行った。


 青蘭は朦朧もうろうとする頭で再度礼を言い、やっと寝台から足を下ろそうとした時、視界の端に、白い花弁が見えた。


 これが……なぜここに?


 紫鈴の寝台の足元にある白。

 手に取ってみると、それはコブシの花弁だった。


 トクッと心臓がなった。


 このコブシは通常の所には生えていない。

 王宮の北側にある山に近い庭に植えてあるのだ。広大な奥宮の庭の中でも、奥まっていて青蘭ぐらいしか足を踏み入れない所にある。

 何度も見に行って、やっと咲いたコブシを一枝切って活けたのだ。それも、昨日。


 紫鈴姉さん……陛下のお部屋に行ったんだ。


 苦心しながら入れた枝の花弁が、ここにある。

 脳裏に昨夜の事がよみがえる。


 小さな扉の開閉の音。

 夜分に戻ってきた紫鈴。

 コブシの花弁。


 ドクッドクッと心臓の音が耳元で聞こえる。自分の心臓は聞こえるのに、周囲の音が段々と消えていく。

 青蘭の指先から、ゆるりと花弁が落ちた。



 姉さんは


 陛下の


 側…




 ドンッと胸に穴があいた。


 と同時に首からするするとナニカが出た。

 それは、闇を蠢くように青蘭の頸周りを悍ましく舐め、段々と太くなりながら胸、腰と徐々に徐々に絡みながら包んでいく。

 ぐうぅ、と鳴ったことのない音を喉から絞り出して抵抗するのだが、容赦なく上肢、下肢、さらに指先へ。


「い……や……っやめ……てぇ……!」


 闇に隙間なく覆われた途端、自分の意思とは関係なく伸び上がる様にびんと仰け反ったかと思うと、通常ではあり得ない弓なりとなって震えだした。

 身体が悲鳴を上げて縋るように側卓の端を掴む。


 うぅぅぃぃぃぃ


 飲み水の入った水差しと杯が重なり合って耳障りな音が鳴る。だが、その硬質な音も徐々に弱くなり、やがて止んだ。


 今、ここに、気を診る者がいたならば、こう見えていただろう。

 首筋から出た闇夜より黒い気が乳白色を徐々に犯し、最後には何もかも包み込んでしまった。



 しばらくして、青蘭は無言で立ち上がった。埃を払い、身支度をして、朝礼が行われる官舎へと進む。足取りに一片の乱れもなかった。

 ただ淡々と、急ぐでもなく、緩むでもなく、静々と歩いて行った。



 ****



 緑栄は遅れて入ってきた青蘭を見つけ、ほっと一息ついた。

 遅いわよ、と目線を送るのだが、青蘭はただ前を見つめている。


 いつもだったらすまなそうな反応が返ってくるのだが。


 違和感を覚え、朝礼の後話しかけようとしたのだか、青蘭はすっと帝の私室へ足を向けて行ってしまった。


 緑栄は目を細め、女官長の元へ近付きぼそぼそと何事か喋り掛ける。女官長がさりげなく鬢を整える様に右の簪に手を当て、是、と音なく応えた。


 緑栄は何事もなかったかの様に側を離れる。人気が無くなったのを見計らって官舎の柱の影に入った。

 そして、戻ってはこなかった。



 ****



 青蘭は帝の私室に入ると、

 真っ直ぐに青磁の元へ行った。

 正確には青磁の箱に。

 コトリと蓋をあけ、青磁を取り出す。

 いくつかの木目を押し、箱の底に指一つ入る隙間を作ると、おもむろに示指を入れた。

 くいと指を曲げると二重底が開き、白い綿を取り出す。重なり合う綿をゆっくり開き、中に入っている物を確認した。

 そして、迷う事なく袂に入れる。

 先程と逆の手順で木目を動かし、元の箱の位置に戻すと、箱から少量の粉が落ちた。

 青蘭は気付かずにその場を離れる。


 やがて花器に近づいた。

 コブシの枝が重なり合い、絶妙の加減で活けてある。八分と四分とふた通りの開き加減で、右奥にはまだ開きかけであろう蕾がいた。


 青蘭は何の感慨もなく徐に枝を抜く。

 片手に壺、片手にコブシを持ち、茶房へ行くと、がたりと音を立てて壺を置いた。

 そして竃にばさりと棄てる。


 パチパチと火が爆ぜる音がした。

 蕾のコブシは、開く事は無かった。





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