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2 月と野菊

 



 その夜、青蘭せいらんは寝台に入っても中々寝付く事が出来なかった。

 間近で見た帝。もっと威丈高な人物かと思っていた。


 お声を掛けて下さるなんて。


 謁見の間で会った時とは印象が違う。

 少しの安堵と恐れが入り混じって、胸がざわめく。


 ……信を得ねば。


 送り出してくれた村の人達に申し訳が立たない。


 青蘭は孤児だった。

 物心ついた頃、母と思っていた人はおばさん、父と思っていた人はおじさんと呼ぶ様に言われた。

 その日から、今まで屈託くったくなく甘えていた事を、いさめられる様になった。


 無条件で抱きしめてくれた手が、やんわりと外された時、どうして? と問うと二人は一様に悲しげな顔をした。


 大好きな人達を悲しませたくなくて青蘭は従った。お互い敬語で話すこと、必要以上に近寄らない事。

 おじさんとおばさんを喜ばせたくて、少学しょうがくも一生懸命に勉強したけれど、満点を取っても、良かったわね、と声をかけてもらうだけで、頭を撫でてもらったり、抱きしめてもらう事はなかった。


 ただ、一緒に暮らしていたおばあちゃんは別だった。

 息子夫婦の所業をみて、おばあちゃんはことの外青蘭を気にかけてくれた。

 褒められる事も、人の温もりに触れる事も、おばあちゃんは許してくれた。

 花を愛でる事、人や自然を愛する事も、おばあちゃんが教えてくれた。


 斜向かいで寝ている紫鈴を起こさない様にそっと寝台を離れる。

 煌々とさす光と窓格子の影。

 自分の息も白い。

 そっと、月を見る。


 おばあちゃん、私、元気だよ。

 陛下と言葉も交わしたよ。美人だった。


 月へ思いをはせていく内に少し落ち着いてきて、現実に戻り、くしゅんとくしゃみをした。

 慌てて紫鈴しーりんを起こさなかったか様子を見るが、う〜んと寝返りを打っただけでまた寝息が聞こえてきた。


 ほっとしてそっと襟をかき合わせ、喉を潤しに窓際の卓まで行くと、タタンタンと遠くて物音がした。

 不審に思って窓を数幅だけ空け、外を見ると、遠くで帝の私室の明かりが灯って消えた。


 こんな時間まで……?


 月は中天を過ぎ、もう西へと傾きかけている。


 どうか良き眠りが訪れます様に。


 思わずいつもは自分の為に祈る言葉を帝に捧げた。




 ****




 次の日も、また次の日も。

 帝は相変わらず寝乱れた寝具だけを残し、日中私室を訪れる事はなかった。


 ご自分の部屋なのに、まったく戻ってこられないのね。お忙しい。

 せめて、この花が御心を安らげてくれればいいのだけど。


 盛りが過ぎようとしている花を青蘭の自室に持って差し替えて、帝の花器には新しい花を、と探しに庭へ出て、まだ少しだけ野菊が残っていたはず、北東の方面に足を向けようとしていた時だった。


「そちらには何もないぞ」


 突然頭ごなしに言葉が降ってきた。

 えっ? と振り返ると金糸の刺繍が視界に飛び込んできて、仰け反って見上げれば流麗な目元がこちらを面白そうに見ていた。


「……!」


 ここに居るはずのない言葉の主に驚いて思わず尻もちをつくと、主はおっと、と目を見開いて慌てたように手を差し伸べてくれた。


「あ、良い、伏礼は。驚かせてしまった様だな。すまぬ」


 あろうことか起こしてくれたのは、青蘭の主でありこの国の帝、張煌明ちょうこうめいその人だった。


「こんな所で何をしているのだ?」

「は、はい。花を摘みに」

「花? あぁ、お前はこの間私の所に来た、確か青蘭といったか」

「は、はい!」


 陛下が私の名前を覚えていて下さってるなんて!


 青蘭は驚きと共に慌てて略礼をし、顔の前で合わせた両手の袖に隠れるように顔を伏せた。


「この先はただやぶが続いているだけだぞ? 花は無かった様に思うが」

「あ、はい。その藪の中に花があったかと記憶しています」

「ほう、藪の中に」


 面白そうに帝は藪を見ると、一緒に探しても良いか? と度肝を抜く発言をした。


 陛下が下女の私と一緒に? でも陛下にそんな時間なんてあるはずないのに。


 青蘭は思わず顔を上げそうになってなんとかとどまり、しかし確認はしなければならないと袖越しにおそるおそる聞いてみる。


「あの、宜しいのですか?」

「何がだ?」

「ご政務中では……」


 今度は帝の方が目を丸くした。


「お前、幼いくせに聡いな。抜けて来た事、見破られたか」


 聡いもなにも、この時間に帝が庭にいる事自体あり得ない話だ。

 少し呆れた様な気配感じたのだろう。

 帝はあまり聞かれたくないのか、さて、菊はどの辺りだ? なんて言いながら、そそくさと藪の中へと進んで行ってしまう。


「あ、お待ちを!」


 青蘭は慌てて略礼を解いて後を追った。


 どんな色だと帝が前方で聞くので、探しているのは赤色の小さな菊です、と応えながら青蘭も記憶を頼りに探していく。

 すると、一輪の野菊を見つけた。

 やっぱりここらに在った、しばらく見入っていると、お、すでに見つけていたか、と帝が近付いてきて言うやいなや菊を摘もうと手を伸ばした。


「あ、だめっ」


 青蘭は思わず伸ばされた帝の手を掴んでしまった。

 しん、とした沈黙に、はっと手を放し平伏する。


「し、失礼しましたっ」


 今度こそ叱責が飛ぶ、と身を固くしていると、頭上でふっと笑った気配がして、面をあげよ、と声がかかった。

 御手を掴んでしまったという事実に震えながら青蘭が身を起こしてその場に膝をつくと、帝はしゃがみ、青蘭と目を合わせて問うた。


「良い。しかし何故摘まないのだ? これが探していた花だろう?」

「はい、……理由がありまして」

「申せ」


 青蘭は喉がからからになりながらも野菊を見やる。楚々と風に揺れて咲いているこの小さな花を守るために、思わず手が出たのだ。それをきちんとお伝えしなければと、ぎゅっと拳をにぎった。


「この花は、一株に一輪です。ここで摘んだら、絶えてしまいます。私が摘むべき菊は、一株に二輪以上、または二株ある内の一輪を頂きたいのです」

「……ほう」


 帝の目がすぅっと細まる。


「この花は愛でるだけにしておきます。そうする事で種が落ち、また来秋には花を咲かせてくれるでしょう」

「……なるほどな。相、分かった。良き事を教えてくれた。お前は小さいのに理を知っているのだな」

「ことわり? はっ、失礼しました」


 またやってしまった。

 陛下に直答など許されぬのに。


 青蘭は真っ青になりながら顔を伏せようとすると、帝が制した。


「良い。誰も居ない。これからは私と一緒の時は直答を許す」

「私の様な下女に、ですか?」

「いちいち許すとか許さぬとか、至極面倒なことよ。そなたの申す事、面白い」

「勿体ないお言葉、有り難く頂戴致します」

「それ、その様な堅苦しい言葉もやめよ。お互いに疲れるだけだ」

「は、はい……」


 そんなこと言われても、と青蘭はちらっと帝を仰ぎ見る。

 ん? とこちらを見る帝は故郷の村にいる悪戯ばかりしていた少年の目と同じだった。



「陛下! 陛下は何処に⁈ 緑栄、知りませんか?」

「あ、気晴らしに出ると言って出られました」

「気晴らし⁈ 先程お願いした件も白紙のままなのに⁈」

「あー、暫くほっといた方がいいですよ、戻られたらやると思うので」

「今日中に決めてもらわねばならぬというのに」

「気の無い陛下に言っても無駄ですって。暫くしたらやりますから、お待ち下さい」

「しかし」

「ヘソ曲げてトンズラしたの何日でしたっけ……前回は一日でしたけど、今回は、二、三日行ってしまうかもなぁ」

「……一刻程したら戻ります」

「はい、お伝えします」


貸し一 ですよ、主。


by 侍従長&緑栄

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