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18 食堂にて

 


「あら、珍しく一人なのですね」


 頭上から降ってきた声に顔をあげると、綺麗所の女官が三人ばかり、ご一緒させてね、と青蘭の返答を求める事なく座った。

 もちろん断るつもりもなかったが、何となく囲まれた様になって、少し居心地が悪い。

 そうでなくても紫鈴が隣に居ない。


 心細い。


 少し笑って、どうぞ、と言い、とにかく目の前の食事を食べようと思った。

 食堂は賑やかなのに、青蘭は喋る相手もなく、ただひたすらに食物を口に入れた。

 帝の私室から部屋に戻ると紫鈴からの書き置きがあって、仕事で遅くなるから先に食べてて、と詫びが書いてあった。

 何の気なしに食堂に行って思い知る。

 いつも紫鈴と一緒だったから、気にならなかった。


 さみしい。


 心の底から思った。


「ッ……」


 首の後ろが刺すように痛んだ。

 手をやるが、何ともなっていない。


「どうかしまして? 大丈夫?」


 向かいに座っていた女官が声をかけてきた。


「はい、大丈夫です」


 首をさすりながら答えると、三人とも心配そうな顔をしていたが、すぐに興味深そうな顔で話しかけてきた。


「ね、あなた、青蘭さんよね。陛下の側女の」


 ソバメという名前に聞き覚えがあるが、どこで聞いたか淡い記憶で思い出せない。青蘭は少し首を傾けながら頷いた。


「ええ、陛下の私室のお世話をさせて頂いております」

「ふーん。陛下はお優しい?」

「はい。お声をかけて下さいます」

「ヘ〜え」


 三人の内の二人が意味深に頷いて青蘭を上から下まで不躾に見た。


「ねぇ、どうやって側女になったの? 陛下は今まであの方以外取らなかったじゃない?」


 またソバメという言葉。青蘭は訝しげに聞いた。


「あの、すみません。私はソバメという名前ではないのですが、ソバメというのはどういった事でしょう」


 二人の女官は一瞬黙って、すぐに甲高い声で笑った。


「なに、あなた、そんな事も知らないでお側に仕えてるの? 信じられない」

「側女も知らずに?」

「じゃ、側女じゃないの?」

「すみません、ソバメが分かりません」


 青蘭が答える度に嬌声が上がる。


 ねぇ、誰か教えてあげなさいよ。

 えー こんな所で? やぁだぁ。


 きゃあきゃあと嬉しそうな、嘲る様な声。

 何か分からないけれど、居た堪れない気持ちになった。

 早く食べて席を離れよう。

 もくもくと食べ始めた青蘭を見て、二人が目配せした。


「あなたの他にも側女が居るのよ。知ってる?」

「え?」


 聞こうと思った訳ではないのに、箸が止まる。


「私、あの方の同室になられたからあなたが側女になれたのだと思ったわ」

「そうそう、今まで誰とも同室にならなかったのにね」


 そして、一人は口元だけ笑い、もう一人は少しだけこちらに身を乗り出して青蘭に聞いた。


「閨房での所作を手とり足とり教えてくれるの? 紫鈴様は」


 笑いを含んだ二人の声が、まるでねっとりと泥水の様に青蘭の耳に入り込んでくる。


 閨房 側女 紫鈴


 閨房は、知っている。

 男女が肌を合わせる事だ。


 家を出る前夜、母がそっと教えてくれたのだ。万が一陛下に閨房を求められたら、断らぬ様に、と。

 あなたは何も知らないのだから、陛下にお任せする様に、と。


 ソバメって、閨房をする人……?

 紫鈴姉さんが……側女……?


「ウッ」


 強烈な痛みが首筋を走った。

 とても顔を上げる事が出来ない。

 首とともに胸がどすっと重くなる。


 苦しくて……息がつまりそう……!!


 その時、頭上から清涼な水を思わせるようなさらりとした声音が響いた。


「ある事ない事吹聴するのは良家の子女のやる事とは思えないけど?」


 場違いなほど穏やかな声に、青蘭の息がふっとつく。


「紫鈴様」


 同席していた三人は畏まって目礼する。


「待たせたわね、青蘭。申し訳無いのだけど急用よ。打ち合わせしながら説明するから、食事を切り上げてもらってもいい?」

「はい、紫鈴姉さん」


 渡りに舟と青蘭は食器と共にのろのろと立ち上がる。

 いつの間にか食堂は少し静まっていて、こそこそとした話し声だけが彼方此方でする。

 こちらの動向を伺う様に皆が見ている様だった。


 その中で奥まった所にいた四、五人が立ち上がった時、今まであまり話しかけて来なかった三人の内の一人がさっと立ち上がって言った。


「では、紫鈴様。ある事を教えて下さいませ。さすればあれこれ想像せずに済みますもの」


 勝気そうな目がこちらを見据えている。紫鈴は目を細めて、口の端を釣り上げた。その女官の腕をぐっと掴み、引き寄せ、耳元で囁いた。


「こんな明るい所で聴きたいとは。子女の中にもあけすけな方もおられるのね。本気で知りたかったら一人で部屋を訪ねて来てごらんなさい。お望み通り手とり足とり教えて差し上げてよ」


 バッと耳を塞ぎ顔を真っ赤にした女官に一瞥し、青蘭を促して食堂を出た。

 後のかしましい喧騒を尻目に足早に遠ざかって渡り廊下まで出ると、紫鈴は改めて詫びた。


「ごめんなさいね、食事、途中だったでしょ?」

「いえ、あまり食べた気がしていなかったので……姉さんが連れ出してくれてよかった。ありがとうございます」


 青蘭は心からほっとして言った。

 やっぱり姉さんは姉さんだ、と思う。

 相対してみると、最近感じていた距離感も違和感もない。

 気にし過ぎだったのかな、と安心した所で、女官の言葉がちくんと思い出された。

 ニコッと笑って歩き出した紫鈴の背中に、躊躇いながら切り出す。


「あの、姉さん。……姉さんは、陛下の側女なの?」


 普通に話そうと思うのに、語尾が震えてしまった。言った瞬間から今の言葉を取り消したい衝動に駆られる。

 だが、言葉は放たれ、紫鈴の足は止まる。


 かなり長い沈黙の後、紫鈴は振り向いた。微笑んでいる様だか、柱の影になってよく見えない。


「今の私には、答える術がない」


 そう言って影が夜空を見上げる。

 つられて見上げると、空には少し欠けた月が冴え冴えと輝いていた。


「あの月が満ちる頃、もう一度尋ねてごらんなさい。その時は、きっと答えられる」


 そう言って、今度は自室へと淑やかに歩き出した。


 残された青蘭は、気恥ずかしさと、どうしようもない不安を胸に残し、先に行ってしまった紫鈴の後を足重く追っていった。







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