17 出会い ー紫鈴ー
いやな予感は、ずっとしていた。
帝の命とはいえ、青蘭の側から離れた事。
道中病んだ馬を見捨てられなかった事。
病人になりすます為に薬を飲んだ事。
全ての物事がここにきて、紫鈴の行く先を阻んでいる。
薬で身体が思う様に動けない上に気が急くあまり、道中の休憩を充分に取らず歩き続けた結果、今の紫鈴の歩みは道々を行き交う旅人よりも遅い。
あと二日、あと、二日あれば、王都に辿り着けるのに……!
つんのめりながら歩く紫鈴の目の前が、どんどん白くなっていく。周りの音も遠くなった。
ああ、まずい……。
ぐらりと視界が傾きだしたのを意識出来たときにはもう、地面が目の前に迫っていた。衝撃にそなえて、せめて受け身を、と身体を堅くした所でふっと浮遊感を感じた。
ひどく遠くで、大丈夫か? という声がする。
あ、兄さん、この人! という若い声が聞こえたが、助かったという事実に安堵し、紫鈴はあっという間に意識を手放してしまった。
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さわさわ、という心地よい葉の音が聞こえる。額をくすぐる柔らかな風が、春の新芽の匂いだ。満足気に息をついた瞬間、意識が覚醒した。
ガバッと起き上がると同時に目の前がチカチカした。
「まだ横になっていた方がいい」
低い声がして、やがて肩をぐいっと押されて横にされた。
でも、と半身を起こそうとするが、肩に置かれた手が重く、紫鈴は諦めて力を抜く。
状況を把握しようと目を凝らすと、街道脇にある樹木の下に横たわっている様だ。
側に男と馬の気配。
またくらっと目眩がして額に手を当て、目を落とすと胸元が大きく開いていた。
女だと悟られぬよう巻いていたさらしも緩められている。
「っ!!」
慌てて胸元をかき寄せると、呼吸が浅かったので緩めた。他意はない、と上から降ってきた言葉に身体が揺れた。
その動揺に自分自身が慄く。
落ち着け! 今は自分の身を案じている場合じゃない。
騒ぐ心臓に心の中で叱咤して、男に顔をむける。
「ありが……とう」
喉の奥が乾いて上手く出せなかったが、なんとか礼を言った。
「わ、たしは……ゴホッ」
言葉にならず咳き込んだのを見かねて、男は紫鈴の身を抱き起こし、水の入った瓶を口元に持ってきてくれた。
貪る様に飲んだ為またむせて、ゆっくり噛むように、と諭され一口飲んで息をつく。
そうしてやっと声が出た。
「私は、何刻程ここに?」
男はちらっと日の傾きを確認して言った。
「一刻半程だな」
「そんなにもっ」
ぐっと力を入れて起きようとするのだか、今度は身体を押されている訳ではないのに動けない。
「今は無理だな」
「無理でも行かなければ」
性懲りも無く起き上がろうとしている紫鈴を見て、男は空を見上げる。
「あと半刻もしない内に雨になる。今日の移動は無理だ」
雨という言葉に一瞬動きは止まったが、すぐまた起きようとしている姿を見て、男は口を開く。
「今、弟にカリマを用意させている。暫く待て」
「カリマ?」
耳慣れな言葉に動きを止めると、天幕の事だ、と男は頷いて言い直した。
そしてふいに立ち上がり、ピューイと口笛を吹く。直ぐに馬の足音が聞こえてきた。
「兄さん、カリマ持ってきたよ!お姉さんは大丈夫?」
ハツラツとした声が最後は心配そうに曇った。そっと、覗き込んできた若者と同じくして馬の鼻が横から出てきた。
「?!」
紫鈴は驚き思わず身じろぎする。
「ごめんね、こいつお姉さんに助けてもらったから覚えてて。どうしてもついて来たいみたいで」
「あ……あの時の……」
ブルルッと鼻を鳴らしたのは、行き道で助けたあの馬だった。自分の体調が良くなく気は見えないが、馬の調子は良さそうだった。
「まだ無理をしている。カリマを置いたら一緒に帰るんだ」
「えぇっ 今来たばっかなのに」
若者のぷっと膨れた頬が可愛らしい。背丈は大人ぐらいに育っているが、身体の線が細い。まだ少年と青年の狭間なのだろう。
男はだめだと首を横に振り、そのかわり朝一番に朝食を持って来てくれ、ともう一度ここに来る口実を与えた。
若者は分かった、とすぐに踵を返した。
紫鈴はその様子を見て、無理に起き上がろうとするのをやめた。
この男は冷静で、温かい。
信に値する。
事情を話して王都まで同行を願おう。
そう思えたらとたんに身体が重くなった。
もう瞼を開けている事が出来ない。
紫鈴は再び眠りについた。
「シン、どうしたカリマを届けたのじゃなかったのか」
「兄さんがカルーの調子が心配だから戻れって。明日の朝、朝食届けに行きたいんだけど…」
「分かった。サリヤに用意させよう」
「ありがとう、叔父さん」
by シン&キサ




