15 呪 ー紫鈴ー
「あなたには、
あの子の〝呪〟は
何個見えた?」
俯いて言った紀明の声に、
部屋の温度がすっと低くなった気がした。
うまく、息が出来ない。
何……個……?
ぶるっと身が震える。
紫鈴の脳裏にぶわっと青蘭の姿、形、表情が目紛しく巡った。
浮かぶのは青蘭の笑顔、笑顔、えがお。
青蘭……!
その時、パァっと乳白色の柔らかい色が目の前に広がった。
青蘭の気の色。
そしてひとつだけある黒点。
「一つです! お祖母様!」
紫鈴は紀明の震える手をしっかり掴んで言った。
「私には、一つしか見えませんでした。
首筋の一点のみです」
「ああ……」
紀明は崩れるように紫鈴の手に額を埋めた。
紫鈴の手に伝わる雫。
しばらくそうした後、紀明はゆっくりと身を起こす。
紫鈴はその背をそっと支えた。
「ありがとう。そして、取り乱してごめんなさい」
「いえ」
紫鈴は黙って紀明の言葉を待つ。
「呪い師は私に言ったわ。
この子には二つの〝呪〟がかかっている、と。一つは首筋。もう一つは、心の臓に」
「心の臓?」
紫鈴は必死に思い浮かべるが、やはりない。
胸の所に有るのならば、必ず気付くはずだ。
「あなたに会った時に無かったという事は、青蘭の心の臓の〝呪〟が正しく解かれた、という事なの」
「正しく解かれた……」
紀明は頷く。
「十数年前、青蘭が初めてこの家に来た時、私達に青蘭を預けていった者が言ったの。この子が十四になったあかつきには、王宮へ上げなければいけない、と。それがこの子を預ける条件だとも」
「条件」
僅かに顔をしかめた紫鈴の様子を察したのか、紀明はそっと微笑んだ。
「条件付きの子供を育てるなんて、とあなたは思う? その様子だと、まだご結婚はされてないわね」
見透かされて恥じ入る。恋人も居ない紫鈴には子育てをする夫婦の姿も自分の事として想像できない。紀明はその様子には触れず、優しい眼差しで紫鈴を見ながら語り出した。
「 郷で息子夫婦に子が居ない事を聞いたのね。後で知ったのだけど、この家以外には門を叩いていないの。息子達も迷っていたわ。でもあの子がね。にこっと私達に笑って。それに促される様にうちのお嫁さんが手を出したら、青蘭は小さな小さな紅葉の様な手を開いて、嬉しそうに胸の中へ移って行ったわ」
ほうっとその情景を思い出したのか、紀明は幸せそうなため息をついた。
「最初は実の子として育てたの。条件の事はその場では頷いたけれど、口約束の様なものだから。この郷で育って、この郷で生きていけばいいと。もちろん本人が別の道を選べば、行かせるつもりでね。一年経って、二年経って。何事もなく過ごしていたから、それでいいと思っていた。でも、三年目に、旅人が来た。今度は青磁を持って」
紫鈴は固唾を飲んで聞いた。
「実子として育てるのはやめて欲しい、と。王宮にいずれ上がるので、養女とし、教養を施して欲しい、と。私達は反論したわ。ここで生きて、ここで暮らせばいいじゃないか、とね。でも、旅人は冷たい声で言ったの。それは叶わない。私達の意思とは関係なく、あの子とは離れる事になるだろうって。旅人が去って暫くして、私の目は病み、青蘭の禍々しい気に気付いた。診せに行った呪い師は言ったわ。
青蘭の心の臓に絡んでた〝呪〟は、十四の歳に王宮へ上げなければ発動する〝呪〟だったのよ」
紫鈴は言葉を失った。
あの小さな身体に、
あの屈託のない笑顔の青蘭に、
何故そんなにも重い〝呪〟がかけられなければいけないのか。
何故!
「ごめんなさい」
紀明ははらはらと涙を流した。
紫鈴ははっと我にかえる。
「ごめんなさい、私達は青蘭を守りたかった」
「お祖母様……?」
「旅の方、あの子は……」
紀明は唇を震わせながら言った。
紫鈴が握る手も小刻みに震えてくる。
「あの子は、まだ青磁と共にいるの?」
紫鈴は紀明の言葉を脳裏でくりかえす。
「は、い……。彼女の、仕事の、一つ、ですから……」
問われて応えながら、ハッとする。
「まさか!」
紀明は見えない目で訴える様に顔を上げた。
「旅の方、青蘭と青磁を離して下さい! 旅人が言ったのです。必ず一緒に献上する様にと。私にはどうしても見つけられなかった。でも必ず何かあります、青蘭と青磁に、必ず……!」
紫鈴は頷き、ガバッと身体を起こす。
「戻られるのですね。これを」
紀明は懐から薬丸を出した。
「気休めにもならないけれど、少しだけ体力を回復してくれます。疲れた時に、お飲みなさい」
「ありがとうございます」
遠慮なく押し戴き、すぐに支度を改める。
そして、紀明の手を取り、言った。
「父母殿にもお伝え下さい。青蘭は元気です、と。お祖母様や父母殿の事、青蘭から良く聞いておりました。お会い出来て良かった。戻りましたら、青蘭にも伝えます。皆様が息災であった事を」
感謝と謝罪と、どうか青蘭を、青蘭をよろしく、と手を合わせ祈る紀明に紫鈴は頷き、風の如く部屋から出て行った。




