14 万丘 ー紫鈴ー
王都から歩き詰めで三日目、紫鈴は万丘の外れに立っていた。
名が表す様に、大なり小なりの丘が連なっていて、今は冬乾期にあたり草は生えてないが、それぞれの家が持っている畑や家畜を囲う柵の大きさを見て、肥沃な土地だと紫鈴は認識した。
先の飢饉で青蘭を出したと言うのは、やはり考えづらいわね。税を納められない雰囲気じゃない。
とにかく本人達に会って見なければ。
緑栄からの報告で青蘭の家はわかっている。
夕刻の西日を浴びながら、慎重に郷へ入っていった。
郷の東側に位置する丘の上に、その家はあった。
家の側にある庭木の影から様子を伺うと、ちょうど夕飯の支度時なのだろう。肉と根菜を煮ている様な良い匂いがする。
紫鈴は温かそうなその匂いに、腹の虫が鳴らない様、苦心して、音が出ない様にため息をつくと、懐から黒い丸薬を出した。
怪しまれず家の中に入るには、病人になるのが早い。この薬を飲めば一日だけ、冷や汗顔面蒼白になる事が出来るのだが、暫く手の中で転がしている。
紫鈴が躊躇するには理由があった。
一日だけではあるが、一時的ではなく本当に動けなくなってしまう事。
もう一つは……。
青蘭のお母さんの手料理、食べてみたかったわぁ。この匂い、塩漬け肉と根菜の煮込みね。美味しそう。やっぱり宿無し一晩泊めてにしようかな。
宿がない旅人を装う事も出来るが、断られたら後が無い。また、帝が病に倒れた時の青蘭を見るに、家の中に医学に明るい者がいる。
病人はほっとけないだろう。
そう腹を決め、薬を飲んだ。
数分もしない内に手に痺れを感じる。
急いで家の戸を叩いた。
「もし、すみませんっ」
「ーーどなたですか?」
女性の警戒する声に、嫌な予感がした。
「すみません、旅の者ですが、急に体調が……少し休ませて頂けませんか」
冗談ではなく冷や汗をかき始めて、急ぎ、早口でいうのだが、扉は細く開けられるだけで、思い描いた展開にならない。
扉の向こうで相談する声、中々返答が来ない事に焦れて懇願する。
「すみません、本当に一刻ほどで良いので……」
いよいよ身体が支えられなくなって、扉に持たれる様にすると、紫鈴の身体の重みで大きく開き、倒れる様に片膝をついた。
「大丈夫ですか」
慌ててそばに寄ってきたのはきっと青蘭の養母だ。
心配そうな顔に偽りは無い。
ただ、どうしましょう、とやはりそばに居た男を見上げる。養父だろう。家に上げて良いものか思案顔だ。
どちらも心配そうな顔をしているというのに。
何故こんなに警戒する? あの青蘭の身内なら直ぐにでも招き入れていいはずなのに。
思いの外難航しそうな所へ、奥からコツンコツンと杖をつく音がした。
「大丈夫だから、入れておあげなさい」
「お母さん。はい」
そばに居た養母は安堵して、直ぐに紫鈴を支えて立たせ、食卓の席へと導いてくれた。
水を持ってきてくれたのは養父だ。紫鈴の額に手を当てて、養母にすぐに寝れる様に寝台の支度を指示してくれた。
震える手でこぼさない様に水を含むと、部屋全体に温かく、大地の様な黄金色の気が充満した。
紫鈴は軽く目を瞑る。
ああ、この方が、青蘭のお祖母様だ。
見なくても分かる。
青蘭と同じ気配。
コツンコツンと近づいてきて、紫鈴の手に触れた。
「大丈夫。すぐに横になれますよ」
「はい……ありがとう、ございます」
礼を言って目を開けると、にこやかに頷く白髪の老女。
無意識に見た目は、閉じたままだった。
****
案内された部屋は、青蘭の部屋なのだろう。
紫鈴が横になったら足がはみ出そうなくらいの小さい寝台、窓の側に花のない小さな花器、女の子らしい装飾が何もない簡素な机。
どれを見ても青蘭を思い起こさせる。
それに、日だまりの匂いがする布団。
あの子、愛されているわ。
いつ里帰りがあってもいいように干しているのだろう。
養母の青蘭への思いが伺い知れる。
紫鈴を横にならせ、布団を肩までかけて、食欲が出てきたら遠慮なく言ってくださいね、と言って部屋を出る養母に小さく礼を言い、紫鈴は深く息をついた。
とにかく明日、何とかお祖母様と話す機会を設けよう。
どこまで引き出せるか分からないが、少しでも多く。
そして早く帰らねば。
紫鈴は体力を戻すべく、すっと眠りに入った。
何刻たったかは分からないが、コツ、音がして目がさめる。誰かが部屋に入ってきた。
無意識に懐に手を入れるが、部屋を満たす気の気配で直ぐに警戒を解いた。
コツ コツとなるべく静かに側にきて、そっと紫鈴の額に手を当てる。
「ごめんなさい、起こしてしまったわね」
手を当てて紫鈴が起きている事に気付いたのだろう。
青蘭の養祖母、紀明は申し訳なさそうに小声で言った。
「いえ、横にならせて頂いて、だいぶ良くなりました」
「それならば良かったわ」
そう言って寝台の側の椅子に手を当てて場所を確認し、ゆっくりと腰掛けた。
「年を取ると何事もゆっくりとなって嫌ね。さあ、これで大丈夫。青蘭の事を聞きにいらしたのでしょう?」
紫鈴は驚愕に目を見張ると、紀明はくすりと笑って頷いた。
「半月前、あなたの様な旅商人が郷の者にうちの家の事を聞きに来てたわ。そして今度は家を訪ねてきた。でもあなたの気は優しいから、きっと危害を加える人ではない。……陛下は青蘭を気に入って下さった、という事かしら」
余りの洞察力に思わず半身を起こすと、どうぞ横になって、まだ辛いでしょう? と紀明は慌てて気遣った。しかし紫鈴はとても横になってはいられない。
「あの、お祖母様は気を見れるのですか」
「見える程ではないわ。年老いて目が見えなくなってくると、他の器官が目の代わりをしてくれるの。いろいろな気配が分かる様になる。あなたは、見える方ね」
「はい。生まれついてのものですが」
「私が部屋に入ったら、あなたの気が柔らかくなった」
「青蘭と同じ気配でしたので、思わず気が緩みました」
「青蘭を知っているのね!」
弾んだ声に紫鈴は思わず、官舎で同室なのです、と余分な事を言ってしまった。
まあ、あの子元気? いつもお世話になって、と受け答えをしていてはたと気付く。
どうもこのお祖母様の調子にのってしまい、本題に入らない。
「あの、お祖母様。青蘭の気についてはご存知でしょうか」
紀明の笑顔がすっと曇った。
「ええ。目が見えなくなってからだから、発見が遅くなってしまったけれど、あの子の気の中に、何とも言えないモノがあって、慌てて呪い師の所に行ったわ」
紫鈴は身を乗り出した。
「呪い師は何と?」
「生まれてすぐにかけられた〝呪〟だ、と」
「それはどういった類の……?」
紀明は一呼吸おいて、ゆっくりと言った。
「強い、負の感情に反応すると言っていたわ
そして発動するまで消える事はない、と」
「発動したら?」
「具体的な事は何も」
「強い負とは……」
「途方も無い事よ。あの子の感情と連動しているの。あの子が何に負を感じるのか、何をもって傷つき、悲しむのか、誰も分からない」
だから、出来るだけ穏やかに育てたつもりよ、と紀明は微笑んだ。
その慈愛に満ちた顔には、子育ての苦労など微塵も感じられない。だが子供というのは素直に育っていくものでもない。負の感情を抱かせない様に育てるなど、それこそ途方も無い話だ。
でも、青蘭は〝呪〟に囚われる事なく生きてきた。
ここに居れば、ここで暮らしていれば。
今でも穏やかな日々が続いていくのではないか。
紫鈴はそれに気付き、はっとなる。
「では何故、この家から青蘭を出したのですか? この家に居れば、〝呪〟が発動する可能性も低いのでは?」
「そうね」
紫鈴の問いに紀明はふーーーー……と重い息を吐いた。
「その事を話す前に、見えるあなたに確認したいの」
紀明の言葉が小刻みに揺れている。
震える口元から出た言葉に、紫鈴の心の臓は凍りついた。
「あなたには、
あの子の〝呪〟は
何個見えた?」




