10 気と澱み ー紫鈴ー
街道を右手に見ながら紫鈴はザザッ ザザッと林の木々を避けながら走る。
余裕がある行程ならば旅人に紛れて歩いていくのだが、今回はそんな悠長なことをいっていられない。
足の疲労がたまってきたのを見て、紫鈴は速さを落とした。少し開けた場所に出たので日陰に入り、木の幹に寄りかかる。
疲労が溜まらない様に休み休み行くため、緑栄と比べると到着は一日二日遅くなるだろう。
まったく、肉体労働派じゃないのに。
うっすらと滲む汗を手ぬぐいで拭き、背中に背負った荷から水筒を出して水を飲む。
それにしても陛下は、本気だ。
話を聞くだけなら緑栄でも出来る。紫鈴を出した、という事は、相手方の気を見ろ、という事だ。
そして、青蘭の気も、本気で心配している。
どれだけ疑いの眼差しで見ても、あの子の笑顔で玉砕だしね。
それなのに、黒一点。
変化なく青蘭に付いている。
主の影として側に付いた時から、紫鈴は内、緑栄は外から帝を守ってきた。
もちろん外でも働ける様に鍛錬は怠らなかったが、気が見える紫鈴は奥宮にて帝を守るのに適していた。
帝に反旗を持っている者は、気が濁る。
本来の輝きが失せていくのだ。
知略にて画策する輩に多く、紫鈴は変化を見つけては進言し、不穏な芽を摘んでいった。
一番気を付けなければならないのは暗殺者だ。
暗殺者は表面では分からない。
気も通常時は変わらない。
しかし、殺意を持った時、暗殺者は真っ黒な気に転ずる。
だから紫鈴は帝の側をめったに離れない。
万一の時に早急に発見し、帝を守る為に。
青蘭が奥の宮に出仕して直ぐに、紫鈴は暗殺者かもしれないと帝に進言した。
青蘭の気の中にある黒点。
小さいとはいえ、黒い。
何か、ある。
だが監視する為に同室になり青蘭と接していると、その直感が間違いなのではと思ってしまう程、無垢で、素直で、人を疑う事を知らないで……誠実に帝の為に働いていた。
側女になろうと色目を使う事もなく、女官として出世しようと欲を出す事もなく、ただ、相対する人に丁寧に感謝して。
こちらが暗殺者の疑いを持って接しているのが馬鹿馬鹿しくなるくらい。
「要するに、確かめたいのよね」
あの子が暗殺者ではない、と。
青蘭と心から接したい。
帝だけでなく、紫鈴にもその思いは芽生えていた。
あまり接点がない緑栄でさえも。
あの子と接する者がみな、あの子の力になりたいと思っている。
それは、とても稀有な資質。
やはりあの子は。
ある一つの結論を心に秘め、その確信を得る為にも、紫鈴はまた、足早に青蘭の故郷を目指した。
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街道の脇の道を滑る様に駆けて三日目、あと半日走れば目的地、万丘に着こうかという所で、先方に比較的大きな澱みかけている気を感じた。
脇道から街道に出て、遠目に様子を伺うと、人と馬が街道の脇に立って動く気配がない。
急ぐ旅だから、と紫鈴は見て見ぬ振りをして横を通り抜けて歩く。
澱んでいたのは馬の方だった。
側にいた若者がなんとか歩を進めようしていたが、馬は一歩も動けない様子。
紫鈴は歩く。
歩いて歩いて……止まる。
「あーーもうっ」
ザッと踵を返した。
人の気の澱みであれば気にしないで先に行けた。
気はいろんな事で澱む。
紫鈴から見れば、一日の内に澱んだ気を見ない事などほとんど無いに等しい。
それにいちいち反応していたら、こっちの身がもたない。
自分を守る為に、意識して感じない様にする訓練もして、今ではほとんど必要な時以外は意識しない様になったはずなのだか。
動物はだめだ。
動物の澱みは、死に直結する。
澱みかけなら、間に合うかもしれない。
足早に馬に駆け寄ると戸惑う若者に、この馬体調崩してる。ちょっと診せて、と言いおき、有無を言わさず馬の体を診る。
よーしよし、と声をかけながら前足、後ろ足と蹄を見るが、異常はない。
中か、と腹の辺りに耳を当てると、グルっと破裂音がした。
「お腹壊してる。ちょっと待ってて」
脇から林に入り、木の根近くの葉草を摘んで、若者に渡した。
「これを食べさせて、お水たくさん飲ませて。そしたら動けるから。それから直ぐに休ませた方がいい。胃の中の物が全て出てしまえば元気になるから」
それだけ伝えると、じゃあ、と直ぐに歩き出した。
若者が後ろの方でお礼を言っている様子だったが、紫鈴は手を上げる事で応えて、先を急いだ。




