1 青磁
完結していた「蕾」「高位女官と一族」を一つにまとめました!
楽しんで頂けたら幸いです。
大銅鑼の音が鳴った。
腹に響くような太い音に、少女はぴくりと身体を震わす。
槍を持つ護衛が一度だけダンッと槍の柄を落として床を鳴らした。
間も無く帝が姿を現わす、先触れである。
無にしなければ
少女は跪き、一同、伏礼の形を取る。
心を無に
頭の中で呪文の様に唱える。
そうでもしないと、この小刻みに揺れる袖の布が止まりそうにない。
来室の銅鑼が鳴り止むと、何人かの足音がした。
「面を上げよ」
静かな、しかし張りのある声が広すぎる謁見の間に響いた。
「器を」
恭しく従者が掲げて帝の手に渡ったそれは、青白く鈍く光る器。
「直答を許す。この器は何と言う」
「青磁、と申します」
「青磁」
しわがれた役人の声を受け、目を細め、見分しているのは白陽国今上帝、張煌明。弱冠二十歳で先の皇帝が身罷り、後を継ぎ内乱を抑え、それに興じて攻めてきた西方からの外敵にも屈せず、返り討ちにして領土を守った、内外にも聞こえ高い齢二十二の若き帝である。
「お気に召しましたでしょうか」
「うむ、良い。この青き色がな」
「では器と共に献上したい者が居りまする」
「共に?」
「この器、人を選びまする。心得のないものが触りますと、つるりと逃げて割れてしまいますゆえ、この者を世話役としてお使い下さりませ」
ずいと押し出され、全身を小刻みに震わせながら、少女は平伏している。
何かと共に献上される人には大体に置いて役割が決まっているのが通例である。帝はどちらの役割か、と側近を見たが、眉目秀麗なその者は片眉をわずかに上げただけで何も反応はしなかった。
帝はしばらく青磁を見つめ頷くと、おもむろに告げた。
「どちらも我の部屋付きとする。丁度今朝空きが出たのでな」
そして側近に器を渡すと、直ぐに立ち上がり足早に部屋を去る。
少女は震えながら足音が無くなるのを待って顔を上げた。ほう、と白い息を吐き手を胸の前で合わせる。
同じく息を吐いた世話役の役人が立ち上がり、こちらだ、と言った。
少女ははい、と小さく応え、緊張の為萎えた足を叱咤して立ち上がった。
――呉青蘭、奥宮下女、入宮。
朗々と近衛の者が決を告げ、再び荘厳な銅鑼が鳴り、謁見の終了を告げた。
****
底知れぬ広さを持つ表宮から奥宮へ案内され、官舎に荷物を置き次に通されたのが青蘭の仕事場である帝の私室であった。
寝室に居間が二間、広さは充分にある部屋なのに、がらんとした空間に青蘭は少しだけ息をのむ。
(なんて淋しい……)
きらびやかで豪奢な部屋を想像していた青蘭がそっと両腕を重ねてしまう程、調度は無く必要最低限のものだけ有る部屋だった。
(これからここが仕事場。緊張する……)
案内してくれた侍女はさっそく青蘭に、掃除道具の場所、お茶を出す作法、帝が部屋に戻られた際の対応など、こと細やか事を教えてくれた。
しばらくは一緒に付いて仕事するが三、四日で一人でやって頂きますから、と言われて身の引き締まる思いで必死に仕事を覚えた。
宣言通り三日で一人立ちをし、不慣れな中、陛下が来たらどうしよう、と緊張していたが、三日たっても四日たっても帝の顔を見た事はなかった。
掃除、寝室の敷布を替えて棚を拭いてしまうともう下女としての仕事が無くなってしまう。
帝が戻られると着替えやらお茶を出すやらの仕事が有るのだが、この仕事に就いて十日余り、帝の顔を見た事はなかった。
「こちらにいらっしゃっている事は確かなのだけど」
青蘭は乾拭きの手ぬぐいを手に、そっと居間から続きの寝室を見た。
朝、寝具を整えに寝室に入ると人の居た気配はあるので帝は青蘭が居ない時間帯に戻り、早朝出ているのだろう。
主人が居ない部屋を守るのは拍子抜けする程平和で、最初はかなり気を張っていた青蘭だったが少しずつ色々な物に目を向ける余裕が出て来た。
青蘭と共に部屋にある青磁を帝は本当に気に入っているらしく、所定の位置にあったものが明くる朝には居間に、また明くる朝には寝室の側の小机に、と移動している。
毎朝帝の私室に入室すると、青磁を探して箱に戻すのが日課になった。
それからもう一つ。
小さな花器に水を入れ、庭に咲く野の花を部屋の隅に置く。
やっぱりお花があると気持ちいい。
この殺風景な他人の部屋に、自分の居所を見いだしたくて飾ってみた。青蘭も一番最初に花瓶を置いた時はドキドキしていたのだが、幸い片付けられていない所を見ると青蘭の小さな楽しみは許された様だ。といっても気付かれていないだろうとも思うが。
今日も今日とて変わらぬ日々。
青磁を探し所定の位置に収め、寝具を整えて掃除をし、自分のすべき仕事を終えた後、花器に入れる花を探しに行く。
帝はよほど青磁が気に入っているのか、毎日置かれている場所が変わる。今朝はなんと寝台の上にあった。
青蘭はまさか一緒に寝たのだろうか? と目を白黒させて滑りやすい器を慎重に運ぶのだ。
秋が深まって野の花も端境期といった所か、いつもより時間を掛けて選び、黄色や深紅の野菊を活けて、もう一度部屋を見回ってから退室するつもりだったのだが。
居間を整えて寝室に目を向けた時、寝台から二本の足が覗いていた。
「し、失礼しました!!」
青蘭は慌てて平伏する。
戻られた事に気付かなかったなんて!!
叱責どころか首をはねられてもおかしくない失態にギュッと目を瞑り、その激を待っていたが言葉は無く、手の平がひらひらと左右に振られていた。
許された? それとも退室せよとの事?
どちらか分からず戸惑っていると、いいから、と怠惰そうな声と共に、手の平が舞う。
戻れという意味だと察し、飛び上がる様に使用人専用の戸へ行こうとした所で呼びとめられた。
「あ、待て」
「は、はいっ!」
「喉が渇いた。水を持て」
それだけ言うと、また怠惰そうに溜息が聞こえる。
主人の疲れた様子にとにかく急いで茶房へ入り、水を注ごうとして暫く考え、あらかじめ沸かしてある鉄瓶に手を伸ばした。
「お、お待たせ致しました」
手が震えない様に努めて差し上げると、帝は黙って取り上げて一口飲み、うん、と頷いた。
(飲んで頂けた!)
帝の満足そうな声にほっとしていると、水では無く白湯にしたのは? と問われた。
「は、はい。お疲れの様でしたので……冷たい物よりは、と思いまして」
「あと、甘みがある」
「砂糖を少しだけ入れさせて頂きました」
「これも疲れが取れるのか?」
「祖母がそう申しておりました」
「ふぅん。気がきくな。顔を上げよ。名は何と言う?」
「青蘭と申します」
恐る恐る上目遣いに見上げると目があって、今上帝煌明はニッと笑った。
飲み干した器を下げ部屋を辞し、自室に戻るまでとにかく震えない様に努めた。
緊張で何度も器を落としそうになりながら片付け、逃げるように帰って来たのだ。動悸がおさまらない。
……あの方が、陛下。
細面で色白で、失礼ながら紅でも差そうものなら男の人なら振り返る美姫になりそうな……いや、と思い直す。
あの涼やかでありながら鋭さを持った眼は女性だとはきっと言わせない。
「あら、その様子、陛下にお会いした?」
心臓が口から出るのではと思う程驚いて振り返ると同室の高位女官、紫鈴が悪戯っぽい目で見ていた。
「あ、はい。美丈夫な方で、びっくりしました」
「そーなのよねぇ。あの方、男の人にしておくにはもったいない位の色白で器量好しなのよねぇ。まったくひっぱたきたいぐらいだわ!」
あけすけな物言いの紫鈴だがそんな文句を吐きそうに無いくらい、自身も美人である。
「紫鈴姉さんも素敵です」
「あら、ありがと。同性でもそう言って貰えると嬉しいものね」
さらりとうけてニッコリと笑う様は、まるで艶やかな大輪の花が咲いた様である。
紫鈴を始め、奥宮には数百もの女官が帝に仕えている。
侍女達を統べるのは女官長。その下に高位女官、侍女、下女とあるのだが、高位女官は勿論の事、下女に至るまで眉目秀麗が成績順とでもいうように皆淑やかで美しい。
「こちらで仕えている方々はみな、美しいですね」
「当然よ。帝の側に仕えるのだから」
努力してるのよ! と鼻息も荒く胸を張る紫鈴に青蘭はそうですねと頷く。
「まぁあなたはまだ蕾だから? 今は粛々と仕えていけばいいんじゃない?」
「つぼみ?」
「やぁだ、分からない?」
大きな声では言えないけれど、呼ばれて側耳を立てると、あなた、月経、まだなんでしょ、と囁くように言われた。
「え……あの……」
「あらごめんなさい。私の診立て違いだった?」
「……いえ、三月前からなので……診立て通りです……」
青蘭は顔を真っ赤にして消え去りそうな声で白状する。
紫鈴はあらそうなの、と少しすました猫のような目を見開くとニッと紅の唇が半月の様に引いた。
「それは、おめでたいこと」
にこやかに見える美しい顔とは裏腹に、ヒヤリとする声だった。
お読み下さりありがとうございます。
後半に物語が展開していきますので、お楽しみに。
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こちらを書いたのは二年前でした。
読みにくいところを少しずつ改稿していきたいと思います。内容、展開は変わりませんのでご安心ください。
2019.8.4 なななん