第七話 僕もママとパパとお喋りしたい
飛行訓練で離陸したタロウちゃんを見上げながら、横に立っている藤崎さんと社一尉の様子をうかがう。
「うんうん、いつもより元気だね、タロウちゃん。エンジンの音もすごく快調って感じ」
「いい感じだな。さすが朝倉一尉、しっかり手綱を握っている」
なんだか二人とも、まるで自分の子供が飛んでいるのを誇らしげに眺めている、母親と父親のようだ。さすがタロウちゃんからママとパパと呼ばれることだけはある、のかな。
「手綱をしっかり握らなくても、タロウちゃんはいつも良い子ですよ、失礼な」
「そうか? たまにはっちゃけてたような気がしたけどな」
「それは社さんが、タロウちゃんのこと分かってないからでしょ」
「あのな、お前より俺の方が、あいつとの付き合いは長いんだが?」
一尉がムッとした顔で藤崎さんをにらんでいる。
「長さなんて関係ないですよ、大事なのは密度です、み・つ・ど」
「おい姫、もしかして俺に喧嘩売ってるかのか?」
「なんですか、本当のことを言ったまででしょ?」
あれ、なんだか話の風向きがおかしな感じになってきたような気が……。
「あの、藤崎さんと社一尉?」
これ以上ほおっておくと、本気で夫婦喧嘩を始めてしまいそうなので、慌てて二人の話に割り込んだ。
「なに?」
「なんだ?」
「変なことを質問しますけど、気にしないでくださいね」
「うん?」
私の言葉に、藤崎さんと一尉が首をかしげながらこっちに顔を向ける。
「質問て?」
「あの、一番機のことなんですけど、藤崎さんが整備担当をしている時に、変なことって起きませんでした?」
「変なこと? いつも快調で、特にこれといって、問題になるような不調は無かったと思うけど」
「たとえば謎の油染みとか、夜中にそのう、ハンガーで変な声が聞こえるとか」
ますます分からないと言った感じで、藤崎さんは首をかしげた。
「それって、タロウちゃんのことじゃなくて、なにかの怪談話?」
「いえ、そうじゃなくて一、番機を格納したハンガーで変なことが起きるとか……」
「私が知っている限りじゃ、そんなこと無かったと思うけど。社さんは?」
「俺も聞いたことないな、そんな話」
「そうなんですか……」
じゃあ一番機が、タロウちゃんという意思を明確に持ったのは、二人が異動してからなんだ。ってことは、二人がいなくなって、よほど寂しかったってことなんだろうか……。
「おいおい、羽原。お前まで変なことを言い出すんじゃないだろうな?」
「……私、まで?」
呆れたように笑っている一尉を、藤崎さんが肘で小突いている。
「なんですか、私までって」
「だってこいつなんて、自分はタロウと、心が通じ合っているとか言い出すんだぜ?」
「うるさいですよ、社さん。私とタロウちゃんは、間違いなく心が通じ合っているんです。タロウちゃんの声が聞こえない社さんは、ほっといてくださいよ」
え、今なんて?
「えっと、それってどういうことですか? 藤崎さんは、一番機とお話が出来るとか?」
「それ、どんなSFファンタジーだよ」
一尉が笑うと、藤崎さんは少しだけ恥ずかしそうにこっちを見た。
「これを話すと、すぐにメカオタクはって馬鹿にされるから、言わなかったんだけどね。何となくタロウちゃんの気持ちが伝わってくるの。今日は飛べて嬉しいとか、演習で黒星つけられちゃって悔しいとか」
「そんなうっすらぼんやりとしたもんじゃないだろ。心で会話するとか言ってなかったか、いてっ、おい、やめろって。お前のせいで、俺まであいつと意思疎ができるんじゃないかって、おかしな気分になってるんだぞ。物事は端はしょらずきちんと正確に伝えろよ」
「もう黙ってて!!」
藤崎さんはひとしきり一尉のことを小突き倒した後に、私の存在をやっと思い出したらしく、こっちに体を向けた。
「……もしかして羽原さんも、タロウちゃんの心の声が聞こえるの?」
「えっと何て言いますか……」
「聞こえてるんだ! ほら社さん、私だけじゃないじゃない!!」
「まったく、そろいもそろってメカオタクは……」
お言葉ですが社一尉、私だけじゃないんだな、声が聞こえるの。
「私だけじゃなくて、朝倉一尉もなんですが……」
「朝倉一尉も?!」
「えっとそれと……その、なんて言うか、聞こえるだけじゃなくて、会話しちゃってるって言うか、わあ、近いです、藤崎さん!」
藤崎さんは驚いた顔をしながら私に迫ってきて、ガシッと肩をつかんだ。
「もしかして、タロウちゃんとお話しできるの?!」
近い近い、近すぎです藤崎さん!
「それと一番機、タロウちゃん、ラダーとかフラップをパタパタ動かすんですよ。うちの整備班以外の人がいる時は、大人しくしてますけどね」
「私達、ずっとタロウちゃんといたけど、お話しできるところまではいかなかったし、フラップパタパタなんて見たことなかった。なんだか複雑……」
ションボリとしてしまう藤崎さん。もしかして、タロウちゃんに対する愛が足りなかったのかなあとぼやいている。
「そんなことないですよ。タロウちゃんは藤崎さんと社一尉に会えなくて寂しがってたんですから。昨日だって、二人に会えてすごく喜んでいたんですよ」
「俺も含まれているのか?」
「はい。ママとパパだそうです」
「ママとパパ……」
『おい、羽原』
通信用のヘッドフォンから、朝倉一尉の声が聞こえてきた。緊急時に通信できるようにしておいたものだ。そしてタロウちゃんのこともあるので、管制塔とは別の周波数で繋いであった。
「はい、なんですか?」
『タロウが、もなかがママを泣かしているって怒ってるぞ』
「えええ?! 私、藤崎さんを泣かしてなんていませんよ。ただ……」
『ただ、なんだ』
「とにかく泣かしてません。それと私はもなかじゃなくてまなかです! 詳しい事情はそっちが降りてきてから話しますから、タロウちゃんには大人しく飛ぶように言っておいてください」
『……了解した』
ヘッドホンの向こう側で、タロウちゃんがブゥゥゥと不満げな声をあげるのが聞こえてきた。
「藤崎さん、あまり落ち込まないでください。タロウちゃんが、藤崎さんのことを心配してあらぶってるみたいなので」
「あらぶってるの?」
「そうみたいですよ。お話はできないかもしれませんけど、心が通じ合っているのは確かなんじゃないですか? こんだけ離れているのに、タロウちゃんは藤崎さんの気持ちを感じ取ったんですから」
「私には、あらぶってるタロウちゃんの気持ちは感じ取れないけどね……」
シュンとなっている。
「そこは高性能レーダー搭載のタロウちゃんですからね。探知範囲が広いんですよきっと」
そう言うと藤崎さんは、たしかにと笑った。それと同時に、頭上を一番機がエルロンロールをしながら通り過ぎていく。今のは朝倉さんの操縦なんだろうか、それともタロウちゃんが勝手に? そんなことを考えてしまうようなタイミングだった。
+++
飛行訓練が無事に終わり、一番機がハンガーに戻ってきた。
飛行後点検の間は、タロウちゃんもジッとして私達にされるがままになっている。だけど他の人に声が聞こえないことをいいことに、ブーブーと早くママに会いたいパパに会いたいと言い続けるものだから、そのうち我慢しきれなくなって油を噴き出すんじゃないかと、気が気じゃなかった。
それからしばらくして、静かになったハンガーに藤崎さんと社一尉がやってきた。二人の姿を見てタロウちゃんのフラップが嬉しそうにピンと立つ。
『ママー、パパー、僕のエルロンロール、見てくれたー? 上手にできてたでしょー?』
タロウちゃんが言った言葉をそのまま伝えると、社一尉が朝倉一尉を見ておかしそうに笑った。
「朝倉さんにしては癖のある回り方だと思っていたら、なるほどそういうことか」
「あまりにもブーブーうるさいんでな。しかたなしに一回だけやらせてやった。次は無いからな、おい」
『分かってるよー、てっちゃんありがと~』
ラダーが嬉しそうにキコキコと揺れる。その様子を見ながら、藤崎さんはタロウちゃんに近づくとそっと機体に触れる。
「タロウちゃん、ごめんね。今までいっぱい話しかけてくれていたのかもしれないのに、ちゃんとお返事できてなくて」
藤崎さんはいつもしていたように、タロウちゃんにペッタリともたれかかって話しかけた。
『だいじょうぶだよ、ママ~。僕にはママとパパの声が聞こえてるし、ママもパパも僕の言いたいこと、ぜーんぶ分かってくれてたもん』
そう言いながら、タロウちゃんはフラップをパタパタさせた。その光景にいつもなら藤崎さんに涎と指紋をつけるなと文句を言う社一尉も、なんとまあと呟きながら上下に揺れるフラップを見詰めている。
『でも、僕もママとパパとちゃんとちゃんとお喋りしたいなあ……』
タロウちゃんはそう言いながらキコキコとラダーを揺らした。
「なんだかすごく不思議な光景ですよね……」
藤崎さんがタロウちゃんに話しかけているのを眺めながら思わず呟く。藤崎さんにはタロウちゃんの声は聞こえてないようだけど、タロウちゃんのお喋りを聞いている限り、正確にタロウちゃんの気持ちは藤崎さんに伝わっているようだ。つまり会話はできないけれど心は通じている、というのは本当のことなのだろう。
「まったくな」
「藤崎さんはあんなに愛情いっぱいでタロウちゃんに接しているのに、どうしてお話ができないんでしょうね。なんとかしてあげたいんですけどね」
「たまたま俺達は、通信チャンネルの周波数が合ったってことなんだろうなあ……」
それから一週間後、藤崎さんと社さんは再びアメリカへと戻っていった。タロウちゃんに次にこっちに戻ってくる時は、タロウちゃんの弟になるモモちゃんを連れてくるからねと約束をして。