第二話 一基地に一幽霊らしい
「そう言えば聞いたか? また聞こえたらしいぞ」
ある日、食堂で整備員仲間とお昼ご飯を食べている時に、那須曹長がそんな話を口にした。
「どうしたんですか? 油漏れの次はエンジンに異音でも?」
「違う違う。F-2のハンガーで、夜な夜な子供のシクシクと泣く声が聞こえてくるらしいんだよな。昨日のアラート待機の連中が、朝の引き継ぎの時に泣き声を聞いたって話をしていたんだ」
「なななななななな、なんですか、それ?! もしかして怪談ですか?!」
手にしたスプーンの上で、デザートのプリンがプルプルと震える。それを見た同期の黒田君が笑った。
「もしかしなくても怪談だけど、それにしたって羽原、怖がりすぎだろ」
「ダメダメダメ!! 私、その手の話は大の苦手なんだから! 那須さん、そういう話は、私のいないところでしてください!」
それもあって、テレビでその手の特番が放映される夏が憂鬱でしかたがない。ああそう言えば、梅雨も明けたことだし、そろそろそんな季節じゃない。テレビをつける前に、ちゃんと新聞のテレビ欄をチェックして、うっかりチャンネルを合わせないように自衛しなきゃ。
だけど那須さんも黒田君も、そんな私の気持ちなんて、まったく理解してくれていない様子だ。
「まあまあ遠慮せずに」
「遠慮じゃないですよ。なんでこんなところで、社交辞令精神を発揮しなくちゃいけないんですか。私、本当に怖いのダメなんです。しかも自分の職場の怪談なんて、絶対に聞きたくありません」
「だけどお前、いま寮生活だろ? 常に誰かいる生活なんだから大丈夫だって」
「一体どのへんが大丈夫なんですか、那須さん」
寮生活で大勢の人間に囲まれていたとしても、こういう話って、誰もいない時に限って思い出すと相場が決まっている。だからこの手の話は、聞かないに限るっていうのに、黒田君と他の子が私を挟むようにして座った。そして何故か目の前に那須さんが。これはもう、私に絶対に聞かせる気満々というやつだ。
「こういうのって、ナニハラって言うんですかね……オカルトハラスメントだからオカハラ?」
「いっそのことサイノカハラ?」
「私達があの世に行っちゃってどうするんですか」
「じゃあタカアマハラ?」
「それは神話です」
ここは心を無にして、なんとか耳に入らないようにしなきゃ……。
「お前達、なにやってるんだ」
そこへやって来たのは野上曹長と朝倉一尉。ニヤニヤしている那須さん達と、憂鬱そうな顔をしている私を交互に見て訝しげな顔をした。
「一基地に一幽霊ってやつですよ。羽原はここの話を知らないそうなので、是非とも聞かせてさしあげようと思って」
「私は聞きたくないですけどねー……」
「それは俺も初耳だな。うちの基地に幽霊話なんてあったか?」
野上曹長が興味をひかれた様子で、その場で首をかしげる。
「ここ最近の話なんですよ。曹長も聞きますか? その話の場所がF-2のハンガーなんで、整備班としては無視できない話なんですよね」
「それは気になるな。朝倉一尉、君もチャーマーの一人として聞いていくか?」
曹長が一尉に確認すると、一尉もそうですねとうなづいた。
ちなみにチャーマーとは、F-2に搭乗するパイロットの愛称だ。この場合は魅了する者という意味ではなく、F-2がバイパーゼロという名で非公式に呼ばれているのにあわせて、毒蛇を操る蛇使いという意味からそう呼ばれているものだった。
「アラート待機時に、そっちのハンガーで幽霊と鉢合わせしでもしたら大変ですからね。いきなり遭遇しても慌てないように、聞いておきますか」
すでに遭遇することが前提とか? っていうか存在することが前提とか?!
「二人も新たに聞いてくれる人間が増えたんです。もう私はいなくても良いのでは?」
「なにを言ってる。お前だってF-2の整備員だろ。話を聞いて、敵と遭遇した時の心づもりをしておけ」
「したくないです」
しかも敵であることが前提とか! そりゃ味方ではなさそうな気はするけど……。
「なんでそんなあっさりと聞く気になるんですか、信じられませんよ」
斜め前に座った曹長と一尉を軽くにらんだ。
「俺からしたら、原因不明の油漏れ現象がすでにオカルトだからな。ここでもう一つ増えたところで、大したことない」
「泣くだけならいいが、これ以上うちのF-2に悪さをされたら困る」
「……ありえない」
+++
その不可思議な物音が聞こえ始めたのは、ようやく桜が咲き始めた頃。基地内にある桜の木の下で、ワイワイと遅くまで騒いでいた若い整備員達が最初だったそうだ。
「待ってください。あの桜の木からハンガーまで、かなりの距離があるじゃないですか。しかも夜ならシャッターが閉められていたはずです。号泣ならともかく、なんであの距離でシクシク泣く声が聞こえるんですか」
私の疑問に、那須さんが半分呆れたような顔をした。
「……お前、聞きたくないと言ったわりには、細かいところにチェックをいれるやつだな」
「嫌いだからこそ気になるんですよ」
「どうしてその距離で声に気がついたのかは謎だ。もしかしたら幽霊は、現実的な距離を超越できるのかもな」
那須さんはそう言って、ニヤッと笑う。
とにかく、その鳴き声に気がついた整備員達は、最初は野良猫がまた紛れ込んだのだと思い、戦闘機の中に潜り込みでもしたら大変だと、猫を探しにハンガーに入ったそうだ。
だけどどこを探しても猫の姿は見えない。なのに鳴き声は間違いなくハンガーの中で聞こえている。そして彼等は気がついた。その声は「猫の鳴き声」ではなく「人間の泣き声」だってことに。
「あの、私、やっぱり用事を思い出しました」
「なんの用事だよ。お前の直属の上官はそこの野上曹長じゃないか。曹長、なにか用事でも言いつけてたんですか?」
「ないに決まってる。羽原の午後からの仕事は、俺と一緒に一番機のサードフライトの飛行前点検だ」
黒田君の言葉に曹長が断言した。
「薄情者!!」
「薄情もなにも本当のことだろうが。それで? 続きは? 本当に子供が迷い込んだという話ではないんだな?」
曹長はもしかして現実的な可能性を考えて、この話を聞いているとか?
「それはないはずです。オープンベースで子供が迷子になったなら話は分かりますが、平日の、しかも深夜近くですよ。子供が忍び込む時間にしては遅すぎます。ですから最初の連中も、野良猫だと思ったわけです」
「じゃあ本当に子供の幽霊がいるってことか、うちのハンガーに」
思わず耳をふさぎたくなった。そんな具体的な単語を出すのはやめていただきたい。
「そこが分からないところなんですよ。泣き声は確かに聞こえているのに、その声の発生源を見つけることができないそうなんです。今朝の連中も、音の発生源はハンガーの中で間違いないのに、その音の発生場所を特定できなかったそうです」
「なるほどな。まさに怪奇現象だな」
野上曹長はふむと考え込んだ。
「こうなったら、なんとしてでもその正体を突き止めるしかないな」
はい?! いまなんとおっしゃいましたか?! なんの正体を突き止めるですって?!
「そしてこの役目は、うちの班が受け持つべきか」
さらにさらっとなにをおっしゃっているのやら?!
「えええ?! なんでうちの班なんですか!!」
「一番機はここしばらく、れいの油漏れのせいでアラート待機から外れている。その一番機の整備員である俺達も、当然のことながら当直も待機もなしで、通常の飛行訓練の点検作業のみだ。そう考えれば、深夜の見回りが出来るのは俺達しかいないだろ」
それはそうなのかもしれない、けれど!
「いやでも、だからって、なんで肝試しをしなきゃいけないんですか」
「肝試しじゃなくて見回りだ。よし、その泣き声の正体を突き止めるまでは、うちの班はシフトを組んで深夜のハンガーを見回りだ」
「シフト組むとかマジですか……」
この顔からして曹長は本気だ。しかも本気で泣き声の正体を突きとめる気でいる。もし本当に幽霊だったら? それこそ悪霊だったらどうするの? 近くにある神社の神主さんとかお寺の住職さんに頼んで、お祓いをして貰う方が手っ取り早いんじゃ?
「善は急げだな。今夜から回ってみるか」
「曹長、やめましょうよ。せめてお札とかそういうのを用意してからにしませんか? 何処で用意したら良いのか分かりませんけど」
やっぱり近所の神社かお寺に行って、なにかもらってくるべき?
「明日以降は班員の予定を見てからのグループ分けにしてだな、今夜は俺と羽原、お前な」
「えーーーーー?! 嫌ですよ、なんで私まで!!」
「何を言ってる。お前は野上班の一員だろうが、それに、ここにいるうちの班の人間はお前だけだ」
「勘弁してくださいよぅ……」
「野上曹長、俺も同行してかまわないでしょうか?」
それまで、私達のやりとりを黙って聞いていた朝倉一尉が口を開いた。
「君もか? だが君は、他の機体で深夜のアラート待機もしているじゃないか」
「ですが、一番機を飛ばしているのが多いのも自分ですから。その一番機の整備班が見回りをするなら、自分も付き合います。幸いなことに明日は休暇ですから、問題はありませんよ」
「ああ、そうだったな。じゃあ今夜は俺と羽原、それから朝倉一尉で見回りをするということで。羽原、情けない顔をするな。お前も自衛官だろうが」
「自衛官だって幽霊は怖いです!!」
幽霊相手には何を武器に持っていったら良いだろう。小火器類なんて持ち出せるわけがないし、第一幽霊には効きそうにもない。ここはやはり塩? 食堂の味塩でも役に立つだろうか?