第十五話 タロウちゃんと私達
更にタロウちゃんが旅立ってから半年ほどが経って、アメリカで訓練を続けていた藤崎さん達が帰国した。
F-35の配備先はまだ正式に決定はされていないけど、日本での機体組み立てが完了して、部隊配備される飛行隊が決まれば、藤崎さんや社さん達はそちらの基地へと配属される予定なんだそうだ。
「部隊配備が正式に決定するまでは、どうするんですか?」
ハンガーへと向かいながら、私は横を歩く藤崎さんに質問をした。
「うん。これからは、それぞれパイロット育成と整備員育成を継続的にしていかなくちゃいけないでしょ? そのための訓練課程を新しく構築する必要があるから、当分は経験者としてそっちの準備をすることになってる。モモちゃんもまだアメリカだし、社さんもしばらくは飛ぶのはお預けなの」
「飛ばないでいたら絶対に腕がにぶるよな。パイロットが飛べないだなんて、一体どうしろってんだ」
藤崎さんの言葉に、憂鬱そうにつぶやく社さん。そんな社さんをみて「ね?」という顔をする藤崎さん。
「もう今からこんな調子なんだから、先が思いやられちゃう。社さん、榎本一佐から話があったでしょ? 腕がにぶらない程度には、飛べるように手配してやるって」
「どういうことですか?」
榎本一佐は野上三佐の前任者で、タロウちゃんが部隊配備されてからずっと機付長をしていた人だ。なんと今は、小松基地で教導群司令におさまっていた。
私達、榎本一佐は階級が上なだけの、現場大好きメカ大好きなおじ様だとばかり思っていたんだけど、実は凄い人だったんだと最近になって知った。だからそれまで榎本一佐に言いたい放題言っていた若い子達は、いまさらながらとんでもなく無礼だったこと気がついて、震えあがっているのだ。
「うん。一足先に実戦配備をしている米軍に榎本さんが掛け合ってくれてね。定期的に訓練飛行ができるようにしてくれたらしいの。だから飛びたいなら、きちんと自分の任務をこなせってこと。実のところ、社さんてば飛ぶ以外はなにもしたくない人なのよね、困ったことに」
最後の方は、ヒソヒソとささやくように言った。だけど、社さんにはしっかり聞こえていたようだ。
「余計なことを言うなよ、姫」
「だってそうじゃない。いつまでもペーペーの下っ端じゃないんだから、逃げ回ってばかりもいられないでしょ? しかもいつの間にか目黒に行くことが決まっちゃってるし、逃げる気満々なのが丸分かり」
「誤解しているようだが、指揮幕僚課程に関しては上からの命令だぞ」
「これ幸いにって飛びついたくせに」
「あのな、この時期を逃すと、まとまった時間をとるのが難しくなるから今のうちにって、言われたんだからな。俺が偉くなることがそんなに面白くないのか?」
「そんなこと言ってない。タイミングがよすぎるって言ってるだけ。しかも47週もって、どうするつもりなのよ」
そう言って藤崎さんは、自分のお腹に手をやった。
相変わらずの喧嘩するほど仲の良い二人だけれど、少しだけ以前の時と変わったところがある。それが藤崎さんの膨らみ始めたお腹だ。二人が入籍したことは知っていたけど、まさかお腹が大きくなっているとは思ってもみなかった。
「二人ともそんなに言い合いをしないで。藤崎さんも興奮するとお腹によくないですよ」
「出産に立ち会いたいとか言っていたくせに。ねえ、どう思う?」
藤崎さんは、薄情なパパさんだよねとお腹に話しかけている。
「だから予定日にはなんとか抜けてくるって、言ってるじゃないか」
「そんな簡単に抜けられるようなところじゃないでしょ? 私の方が良く知っているって、一体どういうことなんだか」
「だからそこはだな、いろいろとやりようがあるんだよ」
「どうやりようがあるの。今ここで聞かせてほしいんだけど」
「社さん、藤崎さんを興奮させちゃいけませんて。ここで産気づいちゃったらどうするつもりなんですか。生まれるにはまだ早いことぐらい、私にだってわかりますよ」
まだ言い合いを続けそうな二人の間に、慌てて割り込んだ。本当に仲が良すぎるのも考えものなんだから、まったく。
「ほら、それより一番機が戻ってきます」
そう言うと、二人は言い合いを中断して空を見上げた。
帰国早々に藤崎さんと社さんに来てもらったのは、もちろんタロウちゃんのことがあったから。
静かになったことで、機体のどこかに異変でも起きるのではないかと、いつも以上に点検には気を付けていたけど、今のところそんなことはない。だけど、タロウちゃんが「ママとパパ」と慕っていた二人にちゃんと確かめて欲しかったから、帰国したばかりのところを申し訳ないけれど、顔を出してもらうことにしたのだ。
ジェットエンジンの音が近づいてきて、離陸体勢に入った一番機の姿が見えた。
「どうですか? エンジンの音とか異常は感じられます?」
着陸して、滑走路をタキシングしながらこっちへと戻ってくる様子を見ながら、藤崎さんにお伺いをたてる。
「ううん。それは大丈夫みたい、エンジンに関してはいつもと同じで快調な感じ」
「そうですか、良かった」
「飛んでいる時はどうなんだ?」
「お喋りがなくなったってだけで、変化なしだってことです」
藤崎さん達にはすでに、タロウちゃんがどうやら何処かへ旅立ったらしいという話をしてあった。
着陸した一番機がタキシングをしながらこちらへと戻ってくる。そしてハンガーの前で停止すると、コックピットから朝倉一尉がおりてきた。一尉は藤崎さんのお腹を見てから、あきれた顔をして社一尉の方に目を向ける。
「まったく社、お前は訓練先でなにをやってたんだ」
「なにをってやることは一つでしょうが。嫁にした相手が、自分の子を妊娠することになんの不都合が?」
「やれやれ。お前に道理を言って聞かせるのは無理だと、わかっているべきだったな。それで? ママとパパから見た一番機はどうなんだ?」
以前のように、藤崎さんと社一尉が前にいても「ママとパパだー」って声もあげないし、ラダーもフラップもパタパタ動かない。やはりタロウちゃんは本当に旅立ってしまったみたいだ。
「エンジン音も異常はなかったですし、こうやって見ている分には何処にも異常は見られませんね。操縦していたのは社さんだから、飛んでいる時になにか違和感があるのかどうかは、私にはわかりませんけど」
待機していた整備班が飛行後点検に入る。藤崎さんには椅子を用意して、そこに座ってもらって様子を見守ってもらうことにした。社一尉と朝倉一尉は少し離れた場所で、あれこれとパイロット同士の話を始める。私は野上曹長に許可をもらって、藤崎さんの横に立って点検を見守ることにする。
「体調は大丈夫ですか? 赤ちゃんがいるってわかってたら、帰国してすぐに来てくださいなんて言わなかったのに」
申し訳ない気持ちでいっぱいになりながらそう言うと、藤崎さんは笑いながら首を横に振った。
「大丈夫大丈夫。思いのほか体調は良くてね、飛行機に乗っている間も気分は爽快で、世間一般の妊婦さん達に申し訳ないぐらいだったの」
そう言って藤崎さんは愛おし気にお腹を撫でた。
「なんだか、急にお母さんの顔になりましたね、藤崎さん」
「そう? そんなこと気にしてなかったけど、これも母性本能ってやつなのかな」
「ところで、もう男の子か女の子かわかるんですか?」
「うん。あっちの米軍の病院で健診してもらっている時にも、調べたらわかるよって言われたんだけどね、生まれるまで楽しみにしている方が良いかなと思って、まだ聞いてないの」
そう言いながら、社一尉の方に目をやってから笑う。
「でも、社さんは絶対に男だって言い張ってるんだよね、間違いないって断言までしちゃって。で、もう名前まで決めちゃってるの。私には拒否権はないんだって」
「えー……それってひどくないですか?」
「まあね。だけど私も、その名前がピッタリだって思えちゃったんだから不思議」
これって洗脳?と藤崎さんは呑気に笑った。
「ちなみにお名前は?」
「祐太郎。まだ男の子だって決まったわけじゃないのに、気が早いよね~。女の子だったらどうするつもりなのかな、裕子にでもするつもりなのかな。……あっ」
「どうした?!」
それまで朝倉一尉と話し込んでいた社一尉が、藤崎さんの声に慌ててやってきた。うわあ、なんだか見てはいけないものを見てしまった気分になるのは、何故なんだろう。
「今ね、ポコって動いた」
「そうなんですか? あの、触らせてもらっても良いですか?」
「どうぞ。男の人が触るとそこのエロパイロットさんがグチャグチャうるさいけど、羽原さんなら問題ないよ」
社一尉がそんなこと言ったことないだろと文句を言う横で、藤崎さんの前にしゃがみ込んでお腹を触ってみる。ポコッと振れた手に振動が伝わった。思ったより強い動きで、思わず藤崎さんの顔を見上げた。
「今のが?」
「うん。日本に帰国して急に元気良くなったみたい」
『僕、早くパパとママに会ってお喋りしたいな~』
いきなりそんな声がした。
「???」
「どうしたの?」
「え、いえ、これだけ元気なキックをするなら、男の子で間違いないかなって」
「そう? 社さんみたいなお馬鹿だったらどうしようって、今から心配」
「おい、それはどういう意味だ」
「大丈夫ですよ、藤崎さんのお子さんですもん。きっと賢い子に決まってます」
「おい羽原、お前も何気に失礼じゃないか?」
「そうですか?」
『大きくなったら僕、お空の上に行けるかなあ~』
朝倉一尉には聞こえてないみたいだけど、そんな楽しそうな声が間違いなく聞こえてくる。
「まあ藤崎さんと社さんの血を引く子なら、空自パイロットから国産スペースシャトルのパイロットぐらいにはなるかもしれませんね。目指せ英才教育、頑張ってください、ママとパパ♪」
私がそう言うと、その言葉に大賛成!と言わんばかりに、お腹の中の赤ちゃんは藤崎さんのお腹を元気よく蹴った。
―― なんか僕がすっごく行きたがってた場所なんだって ――
タロウちゃんが言っていた言葉を思い出す。うん、タロウちゃんが旅立った先は、間違いなく一番行きたがっていた場所で、一番幸せになれる場所に違いない。