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第十四話 僕がいなくなったら寂しい?

『ねえ、もなか~、僕がいなくなったら寂しい?』


 ある日、海上で演習をして帰投したタロウちゃん達飛行隊の機体を、真水で洗浄していつもより念入りに飛行後点検をしていた時に、急にタロウちゃんがそんなことを言い出した。


 タロウちゃんはどんどん新しい言葉やいろんなことを覚え、ますます大人びた口調で話すようになっていた。と言っても、相変わらずブーブーと我が儘を言っては朝倉一尉に叱られているし、藤崎さんや社一尉のことを話す時は甘えん坊口調に戻るんだけど。


「急にそんなこと言ってどうしたの?」


 驚いて点検の手を止める。


『あのね、僕、そろそろ行かなくちゃいけないんだって』

「行くって何処に?」


 ここのF-2飛行隊が、何処かの基地に配置転換なんて話はなかったはずだけど、とタロウちゃんに聞き返した。私の問い掛けに、キコキコとラダーを振りながらタロウちゃんは考え込んだ。


『分かんない。だけど行く前の準備があるんだって』

「どんな準備をするの?」

『それも分かんない』


 タロウちゃんの答えに、ますます困惑してしまう。


「それって誰から言われたの?」

『うーんと、神様?』


 キコッと、まるで首をかしげるように、ラダーが左に向いた。


「へえ、神様って本当にいるんだ。タロウちゃんの神様ってことは、航空機の神様ってことかな?」

『多分ね。でね、その準備に入っちゃうと僕、ここのこと忘れちゃうんだって。ママとパパとモモちゃんのこと、それからもなかとてっちゃんのことも。僕、皆のこと忘れたくないなあ』


 キコキコパタパタと、あちこちを動かしながらタロウちゃんが言う。


『でね、僕がいなくなったら寂しい?って話なの』

「もちろん寂しいよ。私だけじゃなくて、朝倉一尉だって野上曹長だって、うちの整備班の全員が寂しがると思うよ」

『でもこの機体は残るんだよ? いなくなるのは僕だけ~』

「でもタロウちゃんがいなくなるってことは、おはようのあいさつもただいまのあいさつも、無くなっちゃうってことでしょ? それってやっぱり寂しいな」


 そうなの?とタロウちゃんは少しだけ不思議そうな声で言った。そしてしばらく、フラップをパタパタさせながら考え込んでいるようだ。


 相変わらず、タロウちゃんと話せるのは私と朝倉一尉だけだったけど、今では他の班員もラダーやフラップをキコキコパタパタさせているのを見て「今日は御機嫌だな」とか「今日は飛ぶ気分じゃないのか?」とか、タロウちゃんの気持ちをかなり正確に感じ取ることができるようになっていた。


 そんな日常が無くなってしまうのはやはり寂しい。


『じゃあ行くのやめておこうかなあ……僕もママとパパのこと忘れるのイヤだし』

「行かなくても大丈夫なの?」

『僕が行きたくないなら、このままでもいいよって』

「へえ……」


 一年ちょっと前の私だったら、神様から言われたなんて聞かされても、きっと笑って取り合わなかったと思う。だけど今は、神様はいるかもしれないって気持ちになっていた。だって、目の前でこうやって、戦闘機のタロウちゃんとお話をしているのだ。飛行機の神様がいたって不思議じゃない。


「それって何処に行くかによるよね。行き先がタロウちゃんが幸せになれるところだったら、寂しいけど私達は喜んで送り出してあげるけど。ほら、うちの飛行隊から教導群に転属になった、沢霧(さわぎり)一尉みたいにね」

『ほんとう?』

「うん。で、神様はどう言ってるの?」

『うーんとね、なんか僕がすっごく行きたがってた場所なんだって。どこだろうね、もしかして空の上かな?』


 意外な言葉に目を丸くした。空の上ってまさか宇宙ってこと? タロウちゃんてば、とうとう宇宙にまで行きたくなっちゃったの? 本当にタロウちゃんの好奇心はすごい。


「タロウちゃん、空の上に行ってみたかったの?」

『うん。だってさ、ここから上は空気が薄いから僕達は行けないって、よくてっちゃんも言うから、どんなところなんだろうって気になってたんだ~。ほら、なんとかっていう宇宙ステーションが、上をいつもクルクル回ってるでしょ? あれもそばで見てみたいな~~』


 もしかして神様は、タロウちゃんを、JAXAが独自開発を進めている有人スペースシャトルにでもするつもりなんだろうか?


『皆のこと忘れないで良いなら、すぐにでも行くんだけどな~~』


 ここに留まりたい気持ちと、新しい世界への好奇心とで、タロウちゃんの気持ちは揺れているようだった。


「本当に行きたくなったら、遠慮なく行けば良いんだからね?」

『うん。それまではよろしくね』


 タロウちゃんはそう言うと、いつものようにフラップとラダーをキコキコパタパタと動かした。



+++



 そしてその話を、私は朝倉さんに話すことにした。だって、実際にタロウちゃんと話をしているのは私と朝倉さんだけだったし、万が一訓練飛行をしている時に『じゃあ僕、行くから!』なんてことになったらシャレにならないから。


「なるほどな、そんなことになっているのか」

「あまり驚いていませんね」


 意外なほどの冷静な反応に、拍子抜けしてしまった。ここはさすが元アグレッサーと、感心しておくべきなんだろうか。


「いや、驚いてはいるんだが、実のところ俺は別のところで心配になっていたんだ。だからタロウが何処かへ旅立つという話を聞いて、正直ホッとしている」

「どういうことです?」

「用途廃棄だよ」

「ああ、なるほど」


 そう言われて、なるほどと納得する。


 この基地に配備されているF-2戦闘機は、空自の中でも比較的新しい機体だ。と言っても、すでに部隊配備されてから十年以上の年月が経っていて、整備員の手によって整備され、部品を何度も交換しながら日本の空を守り続けていた。


 そんなF-2も、いずれは飛べなくなる日がやってくる。そうなった機体が行きつく先が用途廃棄だった。パーツごとにばらされ、使えるものは部品取りされてうちで保管されるけど、残りの部分はスクラップとして業者に引き取られていく。原形をとどめたまま展示されるものもあるけれど、そういう機体はごくわずかだ。


「人間みたいに御臨終なんていうのがあるならまだしも、あのままの状態で用途廃棄されるのは、いくらなんでもあんまりだろ。だからそうなる前に旅立つ方が、タロウにとっても幸せなんじゃないかって思った」

「確かにそれは言えてますね」


 実際のところ、F-4のことをタロウちゃんはお爺ちゃんと呼んでいるから、少なくとも年はとっていくのだろう。だけど人間と同じように、都合よく臨終になってから用廃になるとは限らない。最悪、元気なのにって可能性も無きにしもあらず? あ、考えただけでドンヨリとした気分になってきた。


「朝倉さん、私、超ブルーな気分になりました」

「そうだろ? 俺もそれに思い至った時は、一週間ぐらい落ち込んだ」

「朝倉さんでも一週間落ち込んだんですか。だったら私は一ヶ月ぐらい落ち込みそう……」

「おい、俺はどんだけ図太い神経をしていると思われてるんだ」


 朝倉さんが顔をしかめる。


「とにかく、タロウが行きたいと思っている場所に行きたくなったら、俺達は快く送り出してやるのが一番だと思う」

「そうですね……寂しいけど、それがタロウちゃんにとっては一番なんですよね」



+++++



 それから二ヶ月ほどして、そんな話をしたことなんて忘れかけていたある日、急にタロウちゃんがお喋りをしなくなった。いきなり黙り込んでしまったタロウちゃんに、不調でも?と慌てたのは一瞬で、そう言えば行かなくちゃいけないところがあると話していたことを思い出す。


「とうとう行く決心がついたんですね、タロウちゃん」


 歌うことも楽しそうにパタパタキコキコさせることもなくなり、静かになった機体を前につぶやいた。


「行き先は何処なんだろうな」

「さあ。タロウちゃんが、本当に望んでいるところだと良いんですけど」

「しかし挨拶もなしにとは、何とも薄情なやつだな」

「きっと嬉しすぎて、私達のことなんてすっかり忘れちゃっていたのかも」


 忘れたくないな~なんて言っていたのに薄情なんだからと、笑ってしまう。


「一つのことしか見えてないのは子供と一緒だな、まったく」


 そう言って朝倉さんは笑った。



+++



 そうそう、タロウちゃんが旅立ってから、基地内の航空機達も心なしか静かになったようだ。


 別に他の航空機達の声が聞こえていたわけでもないし、他の整備班からもそんな話は一度も聞いていたわけでもない。だけどタロウちゃんがいなくなってから、何故だか分からないけど、基地内が静かになってしまったという気がしてならなかった。三番機の風防の上によくとまっていたカラスも、ここ最近は姿を見せない。


「なんだか急に静かになっちゃって寂しいですね」

「まあな。だがこれが普通なんだよな本来は」

「そうなんですけどね」

「ま、今までのことだって摩訶不思議(まかふしぎ)で理解できない現象だったんだ。もしかしたら、ある日ひょっこりと戻ってくるかもしれないぞ」


 いつか『ただいま~!! やっぱり僕、帰ってきちゃった~!!』と、ラダーとフラップをキコキコパタパタさせながら、元気な声が聞こえてくる日が来るかもしれない。その日のために、精一杯一番機の整備を続けようと思う。

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