第十二話 ハグしたいタロウちゃん
『ねえ、もなかー、ハグってなあに?』
その日、最後の飛行訓練を終えて地上に戻ってきたタロウちゃんが、いきなりそんな質問をしてきた。最近は飛んでいる時によその飛行機達とお喋りをしているようで、とんでもない知識を仕入れてくることがあるから、静かにしていても油断ができないとは朝倉一尉の言葉だ。
「ハンバーグのこと?」
『ちがうー、ハグなの』
「……ハグ、プログラムエラーじゃなくて?」
『それはバグーーー!!』
タロウちゃんが不機嫌そうな声をあげて、フラップをバタバタさせた。
『人間は、仲良しの子同士でハグするっておじちゃんが言ってた!』
「おじちゃん? おじいちゃんじゃなくておじちゃんなの?」
『うん! ずっと前に、おじちゃんが乗せてた人がラストフライトしたんだって。その時に、仲良しのパイロットとハグしたんだよーって言ってた』
「ああ、なるほど、そのハグね」
『で、おじちゃんが自分もずっと一緒に飛んでた人だから、最後に一緒に飛んでハグしたかったなって言ってたの。で、ハグってなにー?』
パイロットとしての最後のフライト時に、盛大なイベントをするのは万国共通だ。そう言えば三沢の飛行隊長が、ラストフライトでイーグルを飛ばしたって、先週ニュースになっていたっけ。ということはタロウちゃんが言う『おじちゃん』というのはイーグルのことなのか。
「よく頑張ったねーって、藤崎さんがタロウちゃんのことを抱きしめたことあるでしょ?」
『うん! ママは僕が頑張って飛んだら、いつもなでなでして褒めてくれた!』
「それに近いかな。長い間お疲れ様でしたって、皆でその人のことを褒めてあげるの」
『へー。でも、お水もかけられるんだって。それって褒めてること?』
首をかしげるように、ラダーがコキュッと右に振れる。
「あれはまあなんて言うか……決まり事みたいなものかな」
『ふーん。パパもラストフライトする時は、ハグしてお水もかけられちゃう?』
「もちろん」
『へえ~~。パパ、ラストフライトは僕と飛んでくれないかなー』
「でも、社一尉がラストフライトをするのはずっと先のことだよ?」
戦闘機パイロットが第一線で飛んでいられるのは、どんなに頑張っても40代まで。この先、社一尉がどんな自衛官生活を送りつもりでいるのかは分からないけれど一尉はまだ30代前半。ラストフライトをするのは、当分先のことになると思う。
『そうなの?』
「うん。だって社一尉、まだまだ若いし」
『そっかー。だったら、もしかしてモモちゃんと飛ぶかもしれない?』
「どうだろうね。タロウちゃんのことを知ったから、ラストフライトはここに戻ってくる可能性もあるけれど」
藤崎さんのことだもの、絶対にここに戻ってくると言い張りそうだ。なんだかんだ言って、一尉はここ一番って時は藤崎さんには逆らえないみたいだし、藤崎さんのタロウちゃん愛が鎮まらない限りは、一尉のラストフライトの相棒はタロウちゃんな気がする。
『ママは?』
「藤崎さんは整備員だからラストフライトはないの」
『でもママともハグしたい』
「うーん……」
タロウちゃんの気持ちは分からないでもないけれど、さすがにこの機体で、藤崎さんのことをハグするのは難しいと思う。どうやっても翼は曲がりそうにないもの。
「藤崎さんにハグしてもらうだけじゃ駄目なの?」
『僕がママとパパをハグしたいの』
「うーん……でもタロウちゃん、その翼はどう考えてもハグ向きじゃないよね……」
『ぶぅぅぅ、僕、ハグしたいのに。これ、変えられない? ほらー、まえにここに来てた赤い子の手と!』
「ええええ……」
赤い子というのは、この基地の航空祭で、地元の消防署から参加した特殊救難仕様の車両のことだった。瓦礫の撤去作業をするための二本のアームが、自由自在に動いていたのを、タロウちゃんは興味津々な様子で見物していたっけ。
「あんなのつけたら、タロウちゃん飛べなくなっちゃうじゃない」
『いいもん。パパがパイロットしないなら僕も飛びたくないから、飛べなくなってもいいもん』
「えー……」
『今は離れてても、何処かのお空でパパと会えるでしょ? パパがパイロットやめちゃったら会えないもん。そんなのやだ』
「そんなこと言っても、まだまだタロウちゃんには元気に飛んでもらわないと、私達は困るし」
『僕、困らない』
「タロウちゃん的にはそうなんだろうけどさあ……ハグについてはまだ先だから、別の方法を考えてみない? そのうちもっといい方法が見つかるかもしれないし」
『いつー? 何月何日ー?』
ああ、出たよ、何月何日攻撃。ここ最近はこれを覚えちゃったから、いい加減なことが言えなくなってきたんだよね……。
「すくなくとも、社一尉がラストフライトをするって決まるまでに考えれば大丈夫だよ。藤崎さんは一尉より若いから、退官もその後だし」
『ぶぅ、忘れないでね?』
「うん。タロウちゃんの喜べそうな方法を頑張って考える」
そうは言ったものの、今のところ何の名案も浮かびそうになかったけれど。
そしてこの時にタロウちゃんと話したことが、タロウちゃんが自分の将来を決めるきっかけになったんじゃないかって思い至ることになるのだけれど、それはまだ先のことだった。