第十一話 タロウちゃん in 小松基地 その2
『……』
オープニングでの編隊飛行では、あんなに大騒ぎしていたタロウだったが、飛行を終えて地上に戻ってきたとたんに黙り込んでしまった。だが、かすかにラダーが揺れているところを見ると、意識が何処かへ飛んでいったというわけではなさそうだ。
「おい、プラプラさせるのはよせ。カメラで動画を撮られたらどうする」
機体を点検するふりをしながら、軽くこぶしで叩いてささやく。
『……』
返事はないものの、その動きがピタリと止まった。つまるところ、こっちの声は聞こえているが、返事をするほど真剣にこっちの話を聞いていない、上の空といった感じのようだ。良からぬことを考えていなければ良いんだが……と思った矢先に、タロウは大声を発した。
『……てっちゃん! もなか! みてみて!! あのおじちゃん、お耳に大きな鼻輪つけてる!』
「やっぱり……」
いきなりの叫び声に溜め息が出た。そうじゃないかと思ったんだ……。
実のところ俺も、地上に戻ってきてここに停止した時から、その人物に目が留まり気になっていた。俺よりも年上であろうと思われるその人物の耳には、ピアスというよりも、耳輪と言った方がしっくりするような物体がついている。しかも複数個。まあ他人様のファッションをとやかく言うつもりはないが、なんと言うか、かなり独創的だよな……。
『ねえねえ!! なんであのおじちゃん、お耳に鼻輪をつけてるの?! あれ、絶対に鼻輪だよね!!』
「タ、タロウちゃん、しーーーーっ!!」
羽原が慌ててタロウに駆け寄った。
タロウの声は、俺達以外には聞こえないから叫んでも大丈夫とは言え、例外も中には存在することは、以前に地元の航空祭で、赤ん坊とタロウが会話していたことから分かっていた。だから羽原も、これだけ大勢の人間がいる中で叫ぶのは、さすがにまずいと思ったらしい。
『でも鼻輪ーー!!』
「だから、しーーーっだってば!」
『ぶぅ~~! でも鼻輪なんだもん!』
「はいはい。鼻輪ね、鼻輪」
『もなか、ちゃんと見てーーー!! 見てないじゃん!!』
タロウに指摘され、渋々といった感じで羽原がチラリと人混みに目をやった。彼女はそこで、初めてタロウが何を見ているのか分かったらしく、目を見開いて唖然とした顔をする。その顔に思わず笑ってしまった。
「朝倉さん、笑ってる場合じゃないですよ! ってか、タロウちゃんが何を見ていたのか、知ってたんですか?!」
「まあな。タロウの言ってることは間違ってないだろ? ……あれはどう見ても鼻輪だ」
『だよねー! あのおじちゃんがつけてるの、絶対に鼻輪だもん! おじいちゃん達が言ってたよ、牛さんのお鼻についているのがあんなのだって。でもー、あれ、プラスチックだよねー、鼻輪って金属でできてるって言ってたよー? それに……あのおじちゃん、人間なのに牛さんのお家につながれちゃうの?』
そう興味深げに言いながら、かすかにフラップを上下に動かした。
「もう、タロウちゃん、ジロジロみちゃいけません! ああいうのをファッションでつける人もいるの!」
『安全ピンみたいなー?』
「そう、安全ピンみたいなものなの!」
「いや羽原、安全ピンはファッションじゃないだろ……」
「分かってますよ!」
『じゃあ、あれをとると、あのおじちゃんの耳、外れちゃう?』
たまらず爆笑してしまった。
「朝倉さん!!」
「いや、すまん。想像したら我慢できなかった」
『あ!! あのオネーチャンも鼻輪つけてる!!』
もうダメだと、機体の後ろに隠れて、そこで腹を抱えて思いっきり笑うことにした。両隣の整備員の連中は、きっと俺の頭がおかしくなったと思っているだろうな。
「もう、ピアスのことを鼻輪って覚えちゃったじゃないですかー、どうするんですかー」
「俺に言うな。文句はあんなでっかい、鼻輪みたいなピアスをつけてきた人間に言え」
「それができないから困ってるんでしょ?!」
野上曹長達にことの顛末を話すと、またたくまに鼻輪の話は、整備員連中に広まってしまった。そして、たまには全員で、来客者を観察するのも悪くないという結論に達する。今回の航空祭は退屈せずにすみそうだな。
+++++
『おじちゃんのイーグルと遊びたかったのになー』
展示飛行で、上空を驚くようなトリッキーな動きで旋回する、但馬のイーグルを見ていたタロウが不満げにつぶやいた。
「今回は我慢しておけ。そのうち巡回教導で、こっちの基地に来てくれるさ」
『いつー? 何月何日ー?』
「そこまでは分からん」
そう返事をした直後に、轟音を響かせて会場に進入してきたイーグルが、機体を90度ずつ横にローリングさせながら通過していく。あれはブルーが演じる課目の一つ、フォー・ポイント・ロールと言われるものだ。小回りのきくF-2ならともかく、大きなイーグルでそれをああもあっさりとやってのけるとは、スマイリーはまったく大したヤツだな。
『ぶぅぅぅ~』
「あの動きを見ていたら、手合せしてみたいと思う気持ちは分からないでもないな」
『ぶぅ。じゃあ、今のするだけで我慢するー』
「俺にフォー・ポイント・ロールをしろってか?」
まったく無茶ぶりだな。
『僕、できるもん!』
「まったく……コンバットピッチをするだけじゃ駄目なのか?」
『今のがいい!! 今のーーー!! ふぉーぽいんとろーるぅー!』
「……やれやれ。ブルーに俺達のお鉢を奪うつもりかって、文句を言われても知らないからな」
『わーい、てっちゃん、すきー!!』
そろそろタロウの展示飛行の時間が迫っていた。基地上空で飛行展示を披露した後は、そのまま着陸せずに基地に戻ることになっている。ブルーの展示飛行は前日の予行で見れたことから、タロウもその点については文句を言うことはなかった。
『そだ、ブルーの一番機ちゃんが、松島にも僕と同じ子がいるよって言ってたー』
「ああ、松島ではF-2の操縦課程があるからな」
『てっちゃんも行ってた?』
「もちろん。それまではイーグルのパイロットだったから、あらためて操縦課程を受け直したんだ。社もあそこで課程を受けたはずだ」
『へー。パパは僕に乗りたくてパイロットになったんだって』
ふふーんと誇らしげに言う。それから急にフラップが下を向いた。
『ずーっと僕に乗っててくれれば良かったのにー。そしたらパパとママと、ずっと一緒にいられたのになー……』
「まあ色々あるさ。何事も経験ってやつだし、タロウだって色んなパイロットを乗せて飛ぶだろ? それと同じようなもんだ」
『僕、パパと一緒に飛んでいる時が一番楽しかった! ……あ、もちろんてっちゃんと飛ぶのも楽しいよ?』
取ってつけたように、付け足した最後の言葉にニヤリとなる。一応タロウなりに、気を遣ってくれたらしい。
「そう言ってもらえて光栄だな。さて、そろそろ準備にかかるぞ」
離陸をする前の点検をするために、野上曹長と羽原達が出てくる。こちらが飛行前の点検を始めると、それに気づいたマニアックな客人達がいっせいにカメラをこちらに向けてきた。
『ほんとにさっきのするー?』
「さてどうだろうな。飛んでいる時の調子にもよるだろ」
もちろん最初の打ち合わせでは、そんなことをする予定は入っていなかった。だが興が乗れば、うっかり回り過ぎたなんてことも無きにしも非ずだろう。
『僕、ぜっこーちょーだよ? てっちゃんは?』
「今のところは回転しても、朝飯が飛び出ることはなさそうだと言っておく」
『たのしみー!』
点検が終わりコックピットに乗り込んだ。いつものようにプリタクを始めると、タロウが嬉しそうに歌を歌いだす。最初の頃はこの歌のせいで気が散って仕方なかったが、いつのまにか気にならなくなっていた。慣れというのは本当に恐ろしい。
全てのチェックが終わり、滑走路へと出る。
離陸してからは、アナウンスに合わせて飛行をすることになっていた。ただし、こちらは管制塔とのやり取りをしつつ基地周辺を周回するので、こちらからアナウンスにタイミングを合わせるのはほぼ不可能だ。解説のタイミングは、マイクを握っている若い自衛官の腕次第といったところだった。
―― そう考えると、ブルーのアナウンスは大したもんだよなぁ ――
まずは離陸直後の低空飛行から、一気に高度を上げるハイレートクライムから飛行展示は始まった。これはほぼ垂直で上昇し旋回する、パイロットにも機体にもかなり負荷のかかる上昇方法だが、見た目がいかにも戦闘機らしい軌道だからか、いつの間にか飛行展示ではお決まりの課目になっているものだった。
『わーい、みんな見てるよー! 僕、かっこいいー? ぶぅぅぅぅん!!』
機体を九十度かたむけて、基地の上空を急旋回するとタロウが楽しげな声をあげた。
そこからは会場の上空を角度を変えながら飛行を続け、低速での航過、滑走路でのタッチアンドゴーなどを披露する。その間もタロウは超御機嫌だ。そしていよいよ、最後の会場上空通過が迫ってきた。
「さあ、タロウ、お待ちかねのフォー・ポイント・ロールだぞ、機体が360度回り終えたら、そのまま決めてあった高度まで上昇だ」
『おっけー!!』
管制塔の指示が出たので、そのまま基地上空に進入する。右回りに機体を90度ずつ四回に区切っ回転させ、360度の回転をする。水平に機体が戻ったところで、推力全開で一気に高度を上げて雲の中に突っ込んだ。
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視界が真っ白になったのは一瞬のことで、すぐに真っ青な空が目の前に広がる。
『こちら小松基地管制塔。キャップ01、すべての飛行展示プログラムの終了を確認』
「こちらキャップ01、確認了解」
『お疲れ様でした、朝倉一尉。当初聞いていたものと、違う飛行展示の終わり方のような気がしましたが、気のせいですね』
「ああ、気のせいだ」
そう返事をすると、向こう側で笑いが起きるのが分かった。
『そうだと思いましたよ』
「では当機はこれより百里に帰投する。後発の整備員達のことをよろしく頼む」
『了解しました。気をつけてお帰りください』
「ありがとう。では」
「楽しかったか、タロウ」
『うん、楽しかったー。僕、かっこよかった?』
「その答えは、動画を撮ってくれた羽原達が戻ってくるまで保留だな」
『ぶぅぅ、絶対、かっこよかったもん!! 見なくても分かるー!! それと、僕がかっこよくなかったら、てっちゃんのせいだからね!』
「分かった分かった。かっこよくなかったら俺のせいな」
こうしてタロウの初めての飛行展示は無事に終了した。その後、羽原達が撮った写真や動画を「パパとママ」に見せると大騒ぎすることになるのだが、それはまた別の話だ。