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「ひどいんじゃないの? 僕だけ何も記憶を返してくれずにただ明日の朝に聖堂に来いってだけだなんて」
聖堂は天井が高くカツ、カツ、と少年の歩く音が響き渡る。
「おかげで苦労したんだよ。永志なんかマリアと別れるのが辛いからってすぐにエリア0から出ようとするんだもん。僕がエリア0を探検したいとかっていう我が儘を言って、出発を一日ずらしてもらうのがどれだけ大変だったか分かんないでしょ」
不機嫌そうな言葉ではあったが、少年の声音はどこか楽しげだった。
「……お待ちしていました」
そう言って頭を下げるのは奴らのうちの一人、白い装束をまとった老人だ。頭髪はなく、深いしわが何本も刻まれた顔に穏やかな微笑みを浮かべている。
「で、僕に何の用なの? あなたは僕が初めてオーディンと関わって殺されそうになった所を庇ってくれたようにも見えたけど。それと何か関係あると思ってるんだけど、違う? まさかあなたも僕と戦うっていうつもりじゃないんでしょう? 僕だってある程度はやれるけど、そういうのはまっちゃんとか永志とかシコウの仕事だよ」
少年は胸を張って言うが、どこにも自慢できるようなところはなかった。
「ええ、私はあなたという人を見つけ出すために存在していました。あの段階であなたを見捨てることはできない、そう判断したのです。今までの世界であなたはうまく私達の目から逃れていたようで、今回の世界でやっとあなたを見つけることができました。今回の世界は何か違う。我々もそう感じているのは確かです。あなたにはいち早く真実を知ってもらう必要がある。そして、今が、その時です」
「うーん……君達はいつも何を言っているのか分からないんだよね。そういうのやめた方いいと思う!」
老人は小さく笑って少年の言葉を聞いていた。
「ふふっ、あなたは本当に……“王”として相応しいお方だ……」
「それはいったいどういうことだい……? 僕が何に相応しいって?」
初めて少年の顔が険しくなる。しかし老人は微笑みを絶やさずに少年の様子を見ていた。
「あなたは“王”に相応しい。そう申し上げたのです」
「…………」
「では、“王”よ。真実を知り、その先の準備を……」
老人がそう言うと少年の体にドンっと衝撃が走り、しばらくの間その体は震えていた。
少年ははっと意識を取り戻し、何か考えるように俯いた。彼が再び顔を上げ、老人を睨みつける。その顔は普段の少年の様子とは打って変わり、まるで氷のように冷たかった。
「……これは本当のことなの? あなたが僕に見せた幻ってわけじゃないよね?」
「ええ、これが真実です……」
「ふーん、そういうこと……」
少年は困ったように頭を掻きながら言う。
「“王”なんてめんどくさそうなこと、本当は嫌なんだけどなあ……」
「そんなことを仰るらないでください。あなたの他に王の器を持つものはいないのですから……」
老人は終始嬉しそうに笑って少年を見つめていた。
「私はこれにて失礼致します。また会うこともあるでしょう。では、その時まで……」
「待って!」
老人が消えようとするのを察して、少年が呼び止める。
「なんでしょう? まだ質問がおありですか?」
「うん、あなたの名前を聞いておこうと思ってね。教えて貰うよ。王の命令だ」
その言葉を聞いて老人は呆気に取られたような表情をするが、すぐに可笑しそうに笑った。
「ふふふっ……いえ、失礼しました。私の名前はゴータマ・シッダールタと言います。以後お見知りおきを」
「へー、ずいぶん立派な名前を付けて貰ってるんだね」
少年にニコリと微笑もかけて、今度こそ老人は消えてしまった。少年はその後しばらくの間、すぐそこに掲げられている地球の形をしたモニュメントを仰ぎ見ていたが、ふうっと溜息を一つ吐いて聖堂から出ていくために歩き出す。
カツ、カツ、と足音が響く中、少年は少し嬉し気に呟いた。
「それにしても僕の名前はずっとアルだけだと思ってたけど……」
――――アルフレッド・ベットフォード
「ちゃんといい名前があるじゃないか!」
ローマ字表記をするとAlfred・Bedfordです。




