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第三章のエピローグ的な話となります。
コンコン
ドアをノックする音が聞こえたが、応える気になれない。
「マリア、入るぞ……」
ドアの向こうでそう宣言する声があり、ゆっくりと部屋のドアが開かれる。私に甘い兄は、泣きながら聖堂から帰ってきて、すぐに部屋へと駆け込んでしまったの私を心配して、ついに部屋に入るという強硬策をとることに決めたらしい。きっとこれでも充分待ってくれた方なのだろう。今は涙が止まっていたが、帰ってきてから一時間近くは泣き続けていたからきっと目は赤く腫れている。しばらくの間部屋でボーっとしていたから今が何時なのかは分からないが、窓の外を見ると空は夕焼けに染まっていて部屋の仲は薄暗くなっていた。
兄が静かに部屋へと入ってきた。兄は電気も付けず私が放心しているのを見て驚き、部屋に入ってすぐのところにあるスイッチを入れる。部屋全体がパッと明るくなり柔らかな光に包まれる。ただ、暗い所に長くいた私の目はその光でさえも眩しく感じられた。
「マリア……何があったんだ? 彼らに何かされたとか……」
兄が私のいるベットまでやってきてそっと座る。
「……そんなんじゃないわ。ただ、彼らと離れて寂しくなっただけよ……」
「出会いがあれば別れもあるさ。それに彼らと出会ったのはほんの一日前なんだろう? そんなに寂しがることも……」
「…………」
違う、違うわ、お兄様……。彼等とは一週間もの間行動を共にしてきた。その日々は平穏な日常を過ごしていた私にとってとても刺激的で楽しい物だった……。彼等は私の命の恩人。彼等はごまかそうとしていたけど、あれだけ不思議なことを体験したらいくら何でもこの世界がおかしいことに気付く。自分の記憶が曖昧だということにも気付いてしまった。彼等は優しいから私にはそういったことを悟らせないようにしていたけど……。そして……
頭の中に自分と同年代の少年の姿が思い浮かぶ。聖堂から出ていく彼がもう一度振り返って私の名前を呼んでくれることに期待したが、彼は前だけを向いて決して歩みを止めなかった。枯れたはずの涙がまた溢れ出しそうになり、下唇を噛んで必死に堪える。
「そろそろお腹も空いただろう。マリアは昼食も食べてないじゃないか。さあ、一緒にご飯を食べよう」
「ええ、分かったわ……」
正直まだ何も口に入れる気にはならなかったが、これ以上兄に心配をかけるのも忍びないと思って気力を振り絞ってベットから立ち上がる。兄はその様子を見てほっと息をついたようだった。
そして二人揃って部屋から出て行こうとした時だった。後ろにある部屋の窓から突風が吹き抜けてきた。部屋の窓は閉めていたはずだけど……。バタバタとカーテンがはためく音が聞こえて私は振り返る。
「なぜ、あなたは私に関わってくるんですか……」
もうどうやって入ってきたのか、とかいきなり現れたことに対する驚きはない。そこには前にも私に接触してきた隻眼の男、ヘラクレスが立っていた。
兄も私と同じ様に振り返り、驚きに口を開けている。
「な、なぜあなたがここに……」
兄は絞り出すように声をだした。その反応に私は違和感を覚える。兄の言葉はまるでヘラクレスに会ったことがあるように聞こえたからだ。
「お兄様、彼のことを知っているのですか?」
「あ、ああ……。この方は各エリアから選ばれた代表、つまり僕のような人達を取りまとめている方だ。彼の存在は公にはされていないが、この世界の実質的トップと言ってもいい……」
「彼がこの世界のトップ……」
そんな人が私に何の用だろう……。以前に彼は私のことを……
「マリア様……この世界の“指導者”となられるお方……最後に挨拶をしに参りました」
そう、彼は私のことを“指導者”と呼ぶ。それが何を意味するのかは私には分からない。
「マリアが“指導者”ですって!? いったいあなたは何を言って……。それに“指導者”と言うならあなたこそがふさわしいはずだ」
兄が困惑気味にヘラクレスに向かって言う。そんな兄を見つめ諭すようにヘラクレスは答える。
「ロナウド……私はあくまで“指導者”の代理を務めていたにすぎない。これからはマリア様についていくのだ。兄として、エリア9の代表として、マリア様を頼んだぞ……」
「なっ……」
ヘラクレスの言葉に兄は唖然として、言葉を紡ぐことができないようだった。そしてヘラクレスは私に向き直ってニコリと笑いかけてきた。いつもは厳めしい顔つきをしているため少し怖い印象を受けるが、この時の顔は優しさに溢れていた。
「マリア様、私はあなたを見つけるために存在していました。その役目を果たした今、私はもうこの世界にとって用済みです……」
「この世界にとって用済み」そう言った時のヘラクレスの表情は笑顔ではあるものの、どこか悲し気に見えた。
「ではマリア様、私はこれで失礼致します。マリア様の思う正しい世界、それに近づけるようにこの世界をお導き下さい……」
その言葉を最後にヘラクレスは光となって消えた。ああ、彼はもうこの世界からいなくなってしまった……。私はその光を見て不意にそう実感した。きっとクレイオというあの青年もこの世界にはもういない……。自分という存在が消えてなくなるのに、あの人達は本当にあの最期で満足だったのだろうか……。考えても私には分からない。でも、だからこそ、ヘラクレスが最期に残した言葉を私は真摯に受け止めなけらばならないだろう。
そしてもし、ヘラクレスが言うように本当に私が世界を導けるとしたら、私はこの世界を――――
後にマリアはヘラクレスの言った通りこの世界を導く人物となる。その時世界がどうなるのか、決まったのはこの日だったのかもしれない。




