11
朝少し早めに起きて軽い朝食を取る。俺達が家を出ようとするとロナウドさんは
「俺も仕事が無かったら送っていけるんだけど……。マリアをよろしくね」
と言って送りだしてくれた。その言葉に俺も自然に笑顔になる。マリアの周りにいる人達はいつも温かい。一晩泊めてもらったことの礼をいい、出発する。歩いて二、三十分の距離は準備運動としてはちょうどいいだろう。その間にマリアと数回言葉を交わしたが、これから何が起こるかという緊張からかあまり会話は続かなかった。
白い建物はもう既に視界に入っている。皆敢えてそれには触れない。しかしそこに向かって歩いて行けば当然にその建物はどんどんと近づいてきて、ついに俺達はそこへと辿り着く。
「ここだ……」
まっちゃんが呟き、俺も仰ぎ見るようにそれを見る。そこにあるのは至る所に緻密な模様が刻まれた白い球状の建物。それはまるで俺達を待ち構えていたかのように鎮座していた。
※
「入るぞ」
まっちゃんの言葉に俺達は重々しく頷く。木でできた重厚感のある扉を開けて最初に目に入ってきたのは、聖堂の奥に掲げられている青い球状のモニュメントだった。幾度となく目にしてきた青い球状のマーク。どうやらここにあるモニュメントを簡略して描かれたものがこの世界の至るところにあるらしい。
俺達はこの物体を知っている……。どこかで見たことがあるという強烈な既視感に襲われ、俺は動きを止める。そう感じたのは俺以外も同じらしく皆一様に硬直していた。
「来ましたか……。あなた達なら自らの意志でここまで赴くとは思っていました」
一瞬その青い球状の物体に目を奪われていたが、その物体のすぐ下に立っていたクレイオの声で我に返る。彼の隣には銀髪の女(ヤマツカミの話によると確かイシスという名前だったはずだ)も立っていた。
「まあ、あなた達がここには来なくても私の方から趣きましたがね。前にも言いましたがその少女はこの世界にとってあまりに危険です。一度排除させて貰います!」
クレイオはそう言うと抜刀してマリアに向かって疾走していった。まずい! 反応が遅れた! マリアは青い物体に引き寄せられるように、少し前へと立っていたため間に合うかはギリギリのところだ。クレイオは信じられないようなスピードで走りこのままでは俺より一瞬早くマリアに辿り着いてしまう。くそっ! 俺が気を抜いたせいでマリアがクレイオに連れていかれてしまう……。俺が絶望して、マリアの方に手を伸ばすと一瞬にしてマリアの前に現れて彼女を庇う姿があった。
「そうはさせん!」
その男は槍のような武器でクレイオを牽制する。疾走していたクレイオはマリアの直前で急停止して、後ろにジャンプして距離を取った。
「……なぜあなたが私の邪魔をするのですか! ヘラクレス!!」
マリアを庇った男は奴らの仲間の一人であるヘラクレスだった。俺はマリアが助かったことに安堵しつつも、なぜヘラクレスとクレイオが敵対しているのか分からず困惑する。
「お前の好きなようにさせる訳にはいかない。この方は私が“指導者”と認めた方だ……」
「本当にそうなのですか……?」
クレイオは驚愕に目を見開いてヘラクレスに問う。
「そうだ……お前がこの方を排除しようというのは分かるが、俺はそれを認める訳にはいかない」
「そう、ですか……。ならば、あなたも私の敵ということです!」
クレイオはそう叫ぶとヘラクレスに向かって切りかかっていった。なんだ? なんで奴らは仲間割れしているんだ!?
「あはは! 本当にヘラクレスとクレイオが戦っているよ! この世界での“指導者”が世界の終わりに導く子だってことだ! 今回の世界は本当におかしい!」
俺達が困惑しているといつの間にか聖堂の扉の傍に立っていたヤマツカミがはしゃいだような声音でそう言った。どうやらまたしてもヤマツカミは自分が戦う訳ではないが様子を見にきたようだ。しかし今はこいつに構っている暇はない。俺はヘラクレスの後ろで呆然と立っていたマリアの傍に行き今度こそいつでもマリアを庇えるようにする。
「おらっ!」
切り結んでいるクレイオとヘラクレスに割って入る声がある。まっちゃんがクレイオに切りかかったのだ。マリアを庇うヘラクレスは無視することに決めたらしい。まっちゃんの剣がクレイオの脇腹をかすめ、そこからパッと光が飛び散る。
「……っつ!」
やはりクレイオに攻撃が効いている……。クレイオはまた一度後ろに距離をとり、チラリとヘラクレスの方をもう一度見た後、標的をまっちゃんに変えたようでこちらに向かって走ってきた。ヘラクレスは追撃しようとはせず、マリアと俺の傍を離れる様子はない。どうやらヘラクレスの目的はあくまでマリアを守ることであり、俺達と共闘してクレイオを倒すつもりはないようだ。
「おりゃあ!」
まっちゃんが上段に構えた剣を振り下ろし走り寄ってきたクレイオを迎撃する。
「くっ……!」
クレイオはそれを何とか受け止める。以前までは軽々受け流していたまっちゃんの攻撃を今は受け止めるのがやっと。明らかにクレイオは弱っている……。
「まっさん、いけー!!」
アルがまっちゃんに声援を送る。なぜかアルの声はこういう緊迫した場面でも少し気が抜けたものに聞こえるから不思議だ。まあアルもマリアとヤマツカミの間に立ってヤマツカミのことを警戒しているようだし、一応自分の仕事はしている訳だが……。
ガキッ! ガキッ! とまっちゃんとクレイオの剣が激しく衝突する音が聖堂の中に響く。
「おらっ!おらっ!おらっ!おらっ!」
まっちゃんが剣を続けざまに振り下ろしていき、クレイオは何とかといった様子でその攻撃を受け止める。クレイオとまっちゃんが戦うその姿にある光景が重なり俺の頭をよぎる。その光景にいるのは重そうな防具を見に付け、本物ではない剣を振るうまっちゃんの姿だった。俺はいったいどこでこの光景を見たんだ……ダメだ、思い出せない……。
「おりゃあ!」
まっちゃんが気合をこめて剣を振り下ろしガギッ!と一際大きな衝突音が鳴り響く。クレイオはその衝撃を受け止めきれず、僅かによろめいた。すると傍で戦いを見守っていたシコウがクレイオの背後に回り込んで羽交い締めにした。
「正隆! 今だ、やれっ!」
「くっ……! 離しなさい!」
クレイオはもがいてシコウから逃れようとするが、力の限り押さえつけているシコウの腕はびくともしない。
「うおおおおっ!」
それを見たまっちゃんは大上段から剣を振り下ろした。クレイオの右肩から左わき腹へと抜ける。そこから大量の光が溢れだしてきた。
「クッ……! 私がやられる、だと!? 世界は私すらも……。このままではこの世界が終わりに向けて加速するぞ!」
クレイオは苦しそうにそう言いながらガクッと膝を地に落とす。もうクレイオに抵抗する気力がないと判断したシコウはクレイオを開放する。
「……いいでしょう。世界がそう判断するなら、あなた達には少しだけ真実を知ってもらいましょう。私の最期を、よく見ておくのです……」
クレイオは最後にそう言うと全身が膨大な量の光となって一気に聖堂全体へと広がった。
クレイオを倒した……。三年間ずっと戦ってきたクレイオをついに……。聖堂に広がる光をみて余韻に浸っていると、雷に打たれたような衝撃が頭の先からつま先まで走り抜けた。その後訪れる立ち眩みをした時のような不快感。忘れていた記憶の一部を無理やりこじ開けられ、俺の頭にある光景が蘇ってきた。その光景の中に俺の意識は引っ張られていき……。
※
その光景の中で俺はどこかで見たことのある部屋にいた。その部屋には規則正しく机とイスが配置されていて俺はそのうちの一つに座っている。俺の周りにも似たような服装をした同年代の男女がイスに座っていた。前方を見ると、そこには見知った顔があった。三年前まで働いていた工場でお世話になっていたジョンさんだ。ジョンさんは俺達に向かって何事かを熱心に話していたが、俺はどうもその内容をあまり理解できていなかったようだ。
ジョンさん……いや、俺はこんな風に彼を呼んではいなかったはずだ。……ジョン先生。俺は彼のことをジョン先生と呼んで慕っていた。そしてこの場所は……俺が通っていた高校の教室だ。そうだ、俺は高校に通ってジョンさんに何かを教わっていたことがある。ジョンさんに初めて会った時に既視感を覚えたのにも頷ける。俺達はもう既にであっていたのだ。失っていた自分の記憶を確かに俺は取り戻した。
そしてもう一つ思い出したことがある。なぜ、こんなことを忘れていたのだろう。
そうだ、俺達がいた世界は――――
「い、今のは……」
立ちくらみをした時のような不快感から抜け出し、聖堂にいる自分へと意識が戻ってくる。そして聖堂の奥、高い位置に掲げられている青い球状の物体を俺は仰ぎ見る。記憶の一部が戻った今ならそれが何を表しているのか分かる。あれは……あの青い球状の物体は……
「地球……」
俺の呟きは聖堂の高い天井へと吸い込まれていった。




