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「さて、ラギくん。君はどうやってこの世界に入ったのか、教えて頂戴」
暗闇をしっかり見据えながら、警戒している様子もなく歩いていく。警戒はしているのかもしれないけど、僕には分からない。
ただ、振り回してる棒が当たらないか怖いかだけで。
「入ったって言われても。森の中をうろうろしてたかいつの間にかここにいたんだ」
「いつの間にか?」
「うん」
少し驚きが混じったような声だったが、前を向いているレイさんの表情は見ることができない。
だから気のせいかも。
「でも、ここは偶然なんかで入れる場所じゃないよ。世界が隔絶されてるわけだし」
そもそも、別世界っていうこと自体が実感できない。
さっきはあんなこと聞いたけど、まさか本当に違う世界だったなんて。
だって、普通の世界と大きくは変わらないんだよ、この世界。
確かに木の形とか、色とかが違うっていうのはあるけど、それだけ。あんな木も、僕達が住んでいる世界にはちゃんとある。この辺に生えてるってのはおかしいけど。
「実感が沸かない?」
考えていることが顔に出ていたのか、レイさんにピタリと言い当てられてしまう。
「うん。だって、世界が変わったって、不思議なことがあったわけじゃないし」
「空の色と、森の色は変わったでしょ?」
「変わったけど……それだけ?」
異世界なら、もっと不思議なことが起こってもいいんじゃないかな。
もっと、なにか妖精とか出てきたり、動物が喋ったり。
「生きている動物も違うよ。それに、この森に生者はいない」
「え?」
「ラギくんだって分かってたでしょ? この森は死んじゃったんだよ。だから、みんな死んじゃったの」
「じゃあ、ここに住んでいる動物っていうのは?」
さっき、生きている動物が違うって言ってたから、完全に矛盾している。
「あ、それはね、死んだ森に住み始めた化物のことだよ。元々この森で住んでいた獣は、みんないなくなった。そうだね、あっちの世界とは別の道を辿った世界ってことだよ。簡単に言うと」
「死んだ……」
ここに暮らしていた生き物全て。
それは、僕の中で妙に重く捉えられた。
すべての生き物が死んでしまうほどのことなんて、そんなこと、あるのだろうか。
でも全滅したことは確かで、少しづつ、少しづつ消えていったのか、それとも一日で消え去ったのか、どちらかは分からないけど。
「そう。だからここは、死地って呼ばれてるのよ」
「大地が、死んだってこと?」
「多分ね。もう、ここでは命の再生は行われないって言われているわ。ここに住み着く奴らは別だけどね」
僕は、森の姿をもう一度見てみる。
紫色に染まった葉や草、変に折れ曲がった木、鳥の囀りどころか、何も聞こえない静かな闇が広がる世界。
生き物がいるのかどうかを、疑うくらいに静か。
「深刻な状態なんだね、異世界って。でもなんでレイさんはそんなに異世界のことを知ってるの?」
前を歩く小柄な背中が、ピクリと動いた。少しの間の後、レイさんが振り向き
「異世界の研究、やってたんだよ。あまり良いふうに進まなかったけどね」
苦笑しながら答えるレイさん。
藍色の瞳が、どこか悲しげに揺れている。
すぐに前を向き直るレイさんだけど、何故かとても気になった。
レイさんが、異世界で何をしていたのかが。
「さ、早く世界を渡らないとね。キノコのことも忘れないようにしないと」
いつもの調子と全く変わらないので、問いかけても無駄だろう。
そもそも、今日会ったばかりの他人に、過去を詮索されたくないもんな。
そんなの僕だって嫌だ。暗い過去なんてないけど。
「ワープホールの近くにキノコいっぱいあると思うから、適当に取って、この中に入れてね」
「うん」
どこから取り出したのか、大きなカゴを手に持って言う。
……本当にどこから出したの?
「手に持ったまま歩いていたらなくなっちゃうからね、この森。それも、異世界ならではだね」
「へぇー、そうなんだ」
だからキノコとか剣とかなくなってたんだね。剣は今気付いたけど。
レイさんが何も言わない時点でおかしいとは思ってたけど、まさか一回も実践なしで引退とは。
お疲れ様、錆びた剣。
「ん?」
レイさんが魔法のようにカゴを消した瞬間、空気が微妙に揺れたような。
本当に少しのことなんだけど、危ない空気が……
次には、地面が揺れていた。
「うわ、わ。危ないなあ、もう。ちょっと遅れてたらキノコ全部落ちてたよ」
激しく揺れる地面は、少しだけで落ち着いた。
そして、今度は空気が揺れた。
一斉に森から羽の生えた生き物らしきものが飛び立ち、数本の木が倒れる。
視界が暗くなりそうになるほどの、轟音だった。
クラクラする頭を数回振って元に戻す。後から考えてみると、怪物の鳴き声に近かった。思わず耳を塞いでしまうほどの。
あんな煩い声出せる生物がいるかどうかも不思議なんだけど、ここは異世界。レイさんもここに住む生き物が変わったとか言ってたから、その生き物なんだろう。
「あぁ、ちょっとまずいかな……」
え? と声を出す時には、もうレイさんは走り出していた。
闇に溶けていないうちに、慌てて追いかける。
「ちょっとレイさん! どうしたの!」
「ラギくん早くついて来て!」
レイさんは、木の根や、さっきまでなかった僕の背の半分くらいある岩を軽々と飛び越えていく。
ふわふわの紫草で覆われていた地面が、いつの間にか泥に変わっていたので、中々走りづらい。
レイさんが避けていった障害物の上に着地して、細かく飛んで後を追う。
泥の上でなんであんなに早く走れるんだ、あの人。
「ラギくん、ここに飛び込んで!」
ここ、は前に見える穴のことだと思う。
空間そのものに穴を開けたような、黒いワープホールが広がっている。ワープホールっぽいもの。
先に飛び込んでいってしまった人の後を追って、僕も飛び込む。
この先はどうなってしまうんだろうとか、考えている暇がない。
ワープホールに飛び込んだ後、後ろから大きな音が聞こえた。
さっきと同じ生き物なんだろうが、何故か、少し可哀想と、思わせられる声だった。