リーベルの町
俺たちが"実質世界への旅立ち"の町から逃走しておよそ十日が経っていた。
現在はリーベルの町にいる。仮宿で適当に財産を食いつぶしながら生きる毎日だ。ニート最高!
というか、割りと本気で外に出るのが怖い。完全に引きこもり状態である。ゲーム内で引きこもる奴なんて俺ぐらいだろう。
この十日間、俺は何度もGMコールとログアウトを試していたが一向に繋がることはなかった。そもそも、ゲーム内で十日経ったということは現実でも十日経ったということである。俺はこのバーチャルワールドにいるのだから、当然その間に現実世界の体は何もしていない。つまり、十日間飲食していないことになる。
「リアルになったゲームの中に閉じ込められたと思ってたけど、ゲームに似たような異世界に飛んだってのが近い気がするなぁ」
俺に出来るのは妄想に近い推測を立てるだけだ。無駄過ぎる。
俺は考えるのをやめた。
「戻りました!」
扉が勢い開いてアルクチカが飛び込んでくる。手には食料の入った籠。
情けないがアルクチカに買い物をお願いしていたのだ。
「おかえり。いつも済まないねぇ。ワシがもっとしっかりしていれば……」
「いえ! 私は勝手についてきただけですし」
「というか、ついて来ないとやばい状況に俺がしたんだけどな……」
偽大司教のお友達みたいな立場に置いてしまったし。滅多に反省しない俺が珍しく反省するレベル。
そんな俺に気にすることなく、アルクチカはベッドに座った。
「ねえ、ずっと不思議だったんですけど聞いても良いですか?」
「うん? 何が?」
「テラさんってどうして大司教って名乗ったんですか?」
「他の人が言う大司教と、俺が言う大司教が同じ名前なだけで別物だっただけだ」
「え? テラさんは邪教の大司教ってことですか?」
「宗教とは無関係の意味で」
多分理解出来ないだろう。ゲームでのクラスが大司教だったなんて。
「よく分からないです。でも、テラさんは魔法を使えますよね。しかも、とても高位で神聖な感じでした」
「高位だけど別に神聖じゃない。神聖っぽいだけで中身は空っぽだよ」
「やっぱりよく分からないです。最後に一つだけ質問して良いですか?」
「ああ」
特に何も考えずに頷く。アルクチカの口が躊躇するように開いた。
「どうして教会兵から逃げたんですか?」
一瞬、何を言っているのか分からなかった。誰だって教会兵なんて名乗るものに追われたら逃げるだろう。しかも、こちらに非があるなら当然のことだ。
「ごめん、言っている意味がよく分からない」
「すみません。オークを玩具に出来るほどお強いのに、どうして戦わずに逃げたんですか?」
思わず唖然とする。戦う? 教会兵と?
「どうしてって、そりゃあ……」
逃げ出した理由を思い返す。何となくだ。兵を名乗る多数に囲まれ、大司教を騙った罪を問われれば大抵の人は逃げ出すだろう。
逆に逃げない奴っているのか。
「逃げるのが当たり前だからだよ」
「でも、悪いことをした訳ではないんですよね。むしろ、テラさんはオーク達から町を守りました。どうして教会兵を返り討ちにしなかったんですか? それがずっと気になってたんです」
何故なのか。それは、ずっと俺の中に染み付いていた逃げ癖だろう。何も考えずに行動していた。それ以外に選択肢がないように思えていたのだ。
言い訳をするなら、教会兵を殲滅することで追手が来る可能性を回避するためだ。だが、どちらにせよ逃走すれば追手は来る。
俺の評判を守るためと言い訳も出来るが、逃亡者の汚名を被っておいて今更感もある。
人を殺すことを嫌がったのだろうか。確かに嫌だが、自分の命に比べれば他人の命なんて軽い。
「そうだな。どうして俺は逃げたんだろうな」
現実なら、俺は不条理の前に無力だ。だが、今の俺はゲームのステータスを引き継いでいると考えて間違いない。俺には、不条理を握りつぶせる力がある。
そうだ。俺は今までのように逃げる必要がない。
アルクチカが俺を見ている。俺に出来るだろうか?
「今度は逃げない。アルクチカ、ありがとう」
立ち上がる。
「宿を引き払おうと思う」
「あの、どこで行くんですか?」
「当てもなくぶらぶらしよう。この町も良いけど、色々と旅がしたい。その方がアルクチカも面白いだろ」
「良いんですか?」
「何が?」
「私がついていっても」
「もちろん」
というか、アルクチカにも犯罪者の仲間的な容疑がかかってるだろう。俺にも責任があるのだから何とかしたい。
◆◆◆
リーベルの町は港町だ。外に出れば潮の香りが鼻をくすぐる。
煉瓦造りの中世風の街並み。散々ゲーム内で見慣れたような光景だが、新マップである以上、新鮮な感じがする。
「テラさん、リーベルと言えばイカ焼きですよ! イカ焼き!」
横ではしゃぐアルクチカの存在が新鮮さに磨きをかけているような気がした。というか、ゲーム内でさえ女の子と接点がなかった俺には難易度が高すぎる。
町中歩いてるだけだけどコレってデートなの? デートにカウントされるの?
「そ、そうか。イカ焼きか。じゃあ買おうか」
「らっしゃい! 200ゴールドな」
いそいそと屋台に近づく。笑顔で二本のイカを差し出す屋台のおっちゃん。
金を支払おうと思ったが、一瞬躊躇した。従来の支払い通りで良いのだろうか?
VRMMO時代の金銭のやり取り方法はシステム的に相手に金を送信するだけだ。そこに古臭いお金のやり取りは存在しなかった。だが、この世界で従来の支払い方が出来るのだろうか?
おっちゃんのステータスウィンドウを開く。こういった操作は今でも可能だ。つまり、試してみれば良いのだ。
ステータスウィンドウの下段、トレードボタンをを選択。そこから200ゴールドをトレード対象にセットする。
「キン」と金属的な効果音。トレードが受諾されたらしい。良かった。従来と変わりないらしい。
「まいど!」
おっちゃんに頭を下げ、イカ焼きを受け取る。アルクチカに一本渡した。
「熱っ!」
「気をつけろよ」
フーフーするアルクチカを横目に周囲を見回す。
当たり前だが、追手は来ていないらしい。向こうだって暇じゃないだろうしな。今まで怯えていたのがバカみたいだ。
それと、俺にはまだ従来のVRMMO時代と、現在の謎の状況でどういった違いがあるのか理解していない。トレードの方法が今まで通りなのはさっき確認出来たが、他のシステムについても同様なのだろうか?
特に、「死」が従来通りなのか。従来通りなら俺は不死ということになる。何度でも蘇るバケモノだ。寿命で死ぬかも分からない。
「いくつか試さないとダメだな」
「え? 何をですか?」
「食べ終わったらモンスターを狩りに行こう」
「え? えー!」
この状況はなんなのか。敢えて名前をつけるなら『現実化』か。
現実とは程遠いが、現実にかなり近くなっていると思って良い。
そして、他のプレイヤー達はどうなったのか。今のところそれらしいプレイヤーは見ていない。新マップだからなのか、偶然なのか、この世界に他のプレイヤーはいないのか。
他のプレイヤーがいた場合、俺はどう接するべきなのか。同郷の味方としてか、同じ戦闘力を持った脅威としてか。
早めにそれらを確認する必要があった。