密告者
様子がおかしい。
"実質的世界への旅立ち"の町へ戻って、すぐにそう思った。
俺たちを英雄視していた村人たちが目を合わせようとしない。
戻ってきたというのに歓迎の言葉もなかった。何が起きているのか。
「テラさん?」
アルクチカが不安そうに声をかける。
「何かが変だ。俺から離れるな」
「はいっ」
町長の家の場所は知っている。しっかりと聞き出したからだ。
町の中央広場へと向かって歩く。その広場の先にあるはずだが――。
広場には兵士たちが整列していた。
鈍い銀色の鎧が太陽を照り返して輝いている。
手には剣。大きな盾が体の半身を隠している。
「どこの兵士だ。あれ」
「えっと、教会兵の方だと思います。テラさんの知り合いではないんですか?」
「……いや、違う」
教会兵。フォーカスを合わせステータスを確認する。レベル二九。
他の兵士たちも数人確認したが、大体レベル三十程度だ。一番下で二一で、最高は三五だった。一番強い兵は珍しいことに女だった。
その最もレベルが高い女がこちらに気づいたようだった。隣に町長の姿が見える。
二人は何かを話し合った後、俺の方へ向かってきた。
「大司教のテラ様というのはあなたですか?」
「ええ、そうです」
綺麗な顔つきだ。だがそんな場合じゃない。
そう答えながらも俺の心臓はバクバク音を立てていた。やばい。何か知らないがやばい匂いがぷんぷんする。
「私はウェルテと申します。階級は隊長です。失礼ですがどちらの教会でお勤めなさっているのでしょうか」
「……私がそれに答える必要はあるのでしょうか」
当然だが俺は教会に勤めていない。大司教はただのクラスだし、それによって教会を得たりは出来ない。
「私、大司教の皆様については全て覚えているつもりです。ですが、貴方については存じ上げておりません。お話をお聞かせ願えると嬉しいのですが」
大司教を全員? 一瞬正気かと思ったが、プレイヤーのことではないのだろう。恐らく、設定上で大司教となっているNPCのことだ。
「私が大司教だというのはどちらから聞いたのでしょうか」
「町長様です」
町長がびくりと体を揺らす。目を合わせようとしない。
「私はそちらの娘から聞きました」
町長がアルクチカを指さす。確かに俺はアルクチカに大司教だと説明した。当然クラスの話だが。
「お分かりでしょうが大司教の騙りは大罪。私としましてはこの町を救ったという貴方が本物の大司教であることを祈るばかりなのですが……」
やばい。変な汗が出てきた。まさか誤解を解かなかったことがここで裏目に出るとは。
ウェルテと名乗った隊長の右腕。それが剣にかかっている。これはまずい。まずいって!
「テラさんはこの町を助けてくれたし、先程オーク砦でオーク・キングを倒してくれました!」
アルクチカが反論する。いい子だ!がんばれ!
「それとこれは別問題。私もテラと名乗るこの方の功績を否定する訳ではありません」
ウェルテが優しげな表情で答える。それとは逆に俺に鋭い視線を向ける。
「そちらの娘さん、町長さんのお家でお飲み物でも頂いてはどうでしょうか。町長さん、よろしいですよね?」
「え、ええ」
早くこの場から立ち去りたそうに町長が頷く。間違いなく密告したのはこいつだ。だが、何のために。
「いえ、私はテラさんと一緒にいますから!」
アルクチカちゃんマジ天使。
思わず頭を撫でる。何故かウェルテのシ線が厳しくなった。
「それで、テラさん、貴方は本当に大司教なのですか?」
ウェルテの問いに答えられない。俺はクラス上は大司教だが、間違いなくコイツが言うような大司教ではない。
ウェルテのレベルは三五。俺の敵ではない。敵ではないが――。
これはクエストだろうか? 絶対に違うと言い切れた。
これがクエストであった場合、発生条件は大司教と名乗ったことが上げられる。
大司教以外のクラスの人間が大司教を名乗ることなどあり得るだろうか? つまり、これは大司教にしか発生しえないクエストとなる。そんな一部の人間しか楽しめないクエストを作る開発陣営たちなら、Virtual Worldはここまで発展しない。
クエストには確かに職業しか受けられないものもあるが、それは戦士系統であったり、魔術師系統でしか受けられないというだけのこと。大司教のような、三二ある最終クラスしか受けられないクエストはあり得なかった。しかも、こんな低レベル層のマップで。
そして、大司教と名乗ったのはアルクチカとの会話中だけ。つまり、町長やオークを中心としたこの関連クエストと思える中で、俺は大司教を名乗るような場面は与えられなかった。あまりにも不自然だ。
自然と手が杖に伸びた。その先端に嵌められた水晶を指が撫でる。
どう答える?
「無言ということは、そういうことだと考えて宜しいのでしょうか」
それにアルクチカが反論する。
「違う! テラさんはそんな人じゃない!」
俺は彼女の手を抑えた。マジで申し訳ないんだけど、俺は大司教じゃないのである。
「その前に大司教について定義しましょう。大司教とは何か、説明して頂けますか?」
時間稼ぎと、打開策を探すための作戦だ。ウェルテは不快そうにそれに答える。
「大司教は法皇により司教だった者から任じられます。あなたは法皇に任じられたことが?」
法皇。俺はそれにまつわるアイテムを一つ持っている。
右手の法皇の杖を掲げる。
「これは法皇の杖と呼ばれるものです。これでは証拠になりませんか?
全然質問に答えてないが、俺はまともに答えるつもりはない。法皇になんて会ったことさえないのだ。そんな設定があることさえ知らなかった。
「法皇の杖……?」
ウェルテの眉間に皺が寄る。どうやら知らないらしい。
だが、本当に法皇に縁あるものかどうか確信が持てないのだろう。
恐らく、俺への疑惑でいっぱいなのだろうが、万が一本物だった時のことを考えて動けないでいる。
実際、法皇の杖は安っぽい作りをしていない。銀の柄には複雑な文様が彫られ、水晶は淡く光を放っている。ガラス玉でないことは一目で分かるような外見だ。
「私は存じ上げておりません。法国へ確認を送りたいのですが宜しいでしょうか」
「構いませんよ」
実際には構いまくる。やめろ、やめなさい。だが、そう言える訳もなく。
ウェルテが他の兵士を呼ぶ。
何やら話し合った後、兵士はどこかへ馬を走らせていった。
「それでは数日お待ちいただくことになるですが良いでしょうか」
「ええ」
待ちたくないでござる。絶対に待ちたくないでござる!
一旦険悪になったムードを何とかしようとしているのか、ウェルテが話しかけてくる。
「そういえばお強いとお聞きしました。オークの大群をお一人で撃退したとか」
「当たり前のことをしただけですよ」
その当たり前のことをしたせいでこんなことになってしまった。
「素手で殴って倒したと村人は話していました。面白い冗談です。実際にはどうやったのです?」
「いえ、本当に殴ったんです。最近のオークは軟弱で」
「ははは、最近のオークはそこまで軟弱になったのですか。他のモンスターもオークを見習って欲しいですね」
「全くです」
ウェルテの言葉にはどうも探るようなものがある。
普通の世間話かと思ったが、どうも違うようだ。
「剣技はどこで習ったのですか?」
「私は剣は扱えません。何しろ大司教ですから」
「魔法はどちらで?」
「どこだったでしょう。覚えていません。何しろ昔のことですから」
「ハハハ、まだお若いでしょう。おいくつなのです?」
「二四です。最近は体が衰えてきて困ります」
「二四ですか。私が知る一番若い大司教様は四〇才ほどでしたが。随分お若くして出世なさったのですね」
やばいって!
ウェルテの目が怖い。顔立ちが整っている分、余計に凄みがある。
ウェルテは俺を無視して話を続けていく。
「まあ、良いでしょう。オークの大群を一人で撃退する力。そんなものが町へ向けられたら大変なことになりますよね」
「はあ、そうですね」
「私個人としては貴方が大司教を騙っていても、害を為さなければ特に問題がないと考えられます。ですが、町の方々にとってはそうではないでしょう。正体不明の圧倒的な強者が身を偽りながら住んでいる。恐ろしいことです」
ああ、そういうことか。
町長が何故教会兵に密告したのか分かった気がする。普通はモンスターを一撃で倒せる人間なんていないのだろう。びびって俺を密告した訳だ。
町長にとってはオークも俺も、同じ厄介者で大差がなかった。それだけだ。
馬鹿らしい。これがクエストであろうと、何であろうともうどうでも良い。
一つ分かったのは、人助けなんてするものではないということ。
Virtual Worldには有名な広告文がある。
『公平性など、どこにもないと自覚しなければならない。
だが、『Virtual World』において、君を苛んだ不条理の多くは存在しない。
自分の決定だけが自分の人生を創る世界。
あるのは限りなく公平な世界。実質的な世界。』
公平性。それがVirtual Worldの売りだった。
不条理の無さが売りだった。
自分の外見は自分で決めることが出来る。親の遺伝子による不条理なものではない。
自分のクラスは自分で決めることが出来る。自分の能力によるものではない。
自分の生き方は自分で決めることが出来る。多重螺旋のように複雑に絡まった、自主性の存在しない要素によって生き方を左右されることはない。
それが、Virtual Worldだった。
今、俺がいるのはVirtual Worldの世界ではない。
不条理から逃げ出すように駆け込んだVirtual Worldではなかった。俺が求めていた実質的な世界ではない。
それが、分かった。これが、ゲームではないとようやく理解する。
今まで目を背けていたものを受け入れなければならない。
消えないオークの死体。人間のようなNPC。
クエストともイベントとも呼べないような、特定の形式にカテゴライズ不可能な現実。
これは、確かに実質的な現実だった。俺は現実の中にいる。
何故この世界に俺がいるのかは分からない。だが、そんなことに最早意味はない。
ここは、実質的に現実と等価だ。俺は、逃げ出したかった現実の中に再び放り込まれてしまっていたのだ。