2011年10月24日
※この作品はフィクションです。実在する人物・団体・事件とは一切関係ありません。
10月24日(月)
午前中は寝ていた。このまま眠るように死ねたら、死にざまとしてはましなほうだ。しかし私はまだ死にたくはない。そして夢を見た。雑誌の文字が小さくて、顔を近づけている、という、非常に面白くない夢だった。どうしてこんなことを夢に見るのか。私は自分の金で雑誌を買って読む、というここ数か月実行できていない行為にあこがれを抱いているのか。それにしても夢にしては現実的すぎやしないか。そしてあまりにもつまらなくはないのか。これから雑誌に関連した何事かが起こる前触れなのか。そうとでも妄想しないとこの夢があまりにも不憫でならない。つまらなさのあまり、夢に対して感情移入してしまった。
午後、ハローワークへ行ってみた。今日は私の担当となった中年女性の担当者が出勤している曜日だからである。そこで仕事を見つけてもらおうとしたが、そこで私は弱音を吐いてみた。狂ってしまった自分が働ける自信がない、と。「やる気がない限り、働こうとしても働くなんてことできないわよ」と返されてしまった。私はきっと、現状に甘えているのだろう。現状が悪くないと、心の奥底では感じているのだろう。酒を禁じられ、金銭の所持を禁止され、やることと言えば寝るか図書館で借りた本を読むか、そんな寂しい老後のような現状に。打開したくないわけがなかった。
ハローワークからの帰り道、現状の象徴とも言い表せる榎本なごみとすれ違った。彼女は高校の制服を着ていて、二人の友達らしき同じ制服を着た人物と並んで歩いていた。私とすれ違う際、視線すら向けなかった。きっと私と知り合いであることが友達に露呈することが恥ずかしいのだろう。私だって自分が狂っていることが露呈するのは恥ずかしい。そして働いていないことと、働く気がないことを言い当てられてしまったことが恥ずかしい。この宮崎という田舎において、働いていない人間は全員不審者である。そんな不審者たる私なんかに道端で親しげに話しかけてくる人物が表れでもしたら、まず私のほうが不審がる。きっとろくな目的ではないだろうから。
夜、それも深夜、晩餐が終わっていつものキノコのせいで気を失って目覚めてから、電話がかかってきた。出てみると、榎本なごみからだった。「今日は無視してごめんなさい」と謝罪された。榎本なごみは私に気を使いすぎなのではないだろうか。それにしてもどうしてこんなに気を使ってくれるのか。私は高校生の命を救った覚えなどないし、高校生ではない人物の命を救った覚えもない。榎本なごみは私に恩があるわけではないのだ。私が一体何をしたというのだ。不審である。