2011年10月23日
※この作品はフィクションです。実在の人物・団体・事件とは一切の関係がありません。
10月23日(日)
そんなにやることがないなら本でも読んでいればいいのに、最近は昼も夜も寝てばかりいる。こうなったらいっそのこと、このひたすら眠っているという自己の姿を現代アートとして提出してしまう、というのはどうだろう、と思いついた。ステージ上ではバンドが激しい演奏、そして老人ラッパーがライムで現代社会をディスり、お行儀のよろしくない格好をしたヒップホッパーたちがリズムを刻んで体を動かしている、そんな中心で、私は布団を敷いて眠っているのである。この異様な空間で寝るという行為。この非常識さこそが現代アートたり得るのではないか。そんな夢を見た。狂った人間の夢なんてこんなものである。
夢に出てきた老人ラッパーのディティールはかなりしっかりしていて、顔中ぼうぼうに伸びた髪の毛やもみあげや髭を編みこんで顔の8割を隠し、それでいて激しい声で……夢の話はむなしいので現実の話へ移ろうと思う。現実の話も大概むなしいものであるが。現実がむなしくない人間なんかこの世に数人しかいない気がする。つまり実は私は正常なのではないか。
現実の世界で、私は少しウォーキングを行った。寝ている間に歩いて、歩き終わって帰ってきてまた寝たのである。キノコを食べた直後眠るように狂ってしまうという状況を回避するために、寝だめ、という策を思い付いたのと、単純に眠いという二つの原因が重なってこんなことになったのである。だから私は歩いた。歩いている間は誰ともすれ違わなかったし、何の特別なことも起こらなかったので、この段落は一行で済ませていいはずなのに、こうしてだらだらと書いてしまっている。そんなに日記を書いていたいのか、私は。じゃあ小説家にでもなればいい。きっとなれないと思うが。編集者が狂人の書いた小説を読んでくれるとは思えない。
小説といえば、今日は図書館まで歩いたことを記録し忘れていた。昨日図書館へ行かなかったので、今日行ってみよう、と思い、いつもは自転車で通る道をわざわざ時間をかけて歩いたのである。そして図書館でペンネームを猿という作家の別の小説を借りてみた。「このキノコ人間が、」という、児童文学とは明らかに方向性が違うらしい、吐き捨てるような言い方のタイトルだった。
そして晩餐後、眠らずに本を読もうとしていたのに、結局ついさっきまで意識を失っていた。またキノコを食べて狂って寝てしまっていたのだ。これを防ぐ方法はないのか。本当にないのか。