2011年10月18日
※この作品は作者の日記ではなく、実在する人物・団体・菌類とは一切の関係がありません。
10月18日(火)
もう20日が迫っている。つまり月の終盤が迫っている。そのことを考えるだけで、焦りを覚える。理由のわからない、あ、昨日に続いてまた分からないという単語が出たな、でもとにかく、この焦燥感の理由が分からない。年末が迫っているだけなのに、何を恐れているんだ、私は。まだ完全に狂っているわけではない。取り返しのつかなくなるほど無職の期間が長くなっているわけでもない。いざとなったら狂人手帳をうまく活用して生活保護を受ければいい。きっと通るだろう、手帳があるんだし。そんなことを思って安心させようとしても、心が勝手に焦ってしまう。だから今日は酒を家族の目を盗んで飲んで寝ていた。酒を飲んで寝るという行為は気絶して寝るという行為と同じものであるらしい。それがどう悪いのかはわからないが、脳細胞がたくさん死ぬとか、そんなものだろう。私の脳なんかどうでもいい。この嫌な焦りを感じる頭など半分くらい死んだほうがいい。完全に死ね、と自分に言わなくなったあたり、これは進歩だろうか。それとも家族にとって厄介な人間が生きようとしているということで、これは悪化なのかもしれない。周囲にとっての状況の悪化。私が生きているという悪い事態、である。
榎本なごみが家を訪ねてきた。手ぶらではあったが情報を持ってきた。「猿って作家、知ってる?」榎本なごみの切り出す話題はいつも私の近況を見越しているかのようだ。「あの人、本物の猿らしいよ。動物園で衆人環視の中、パソコンでタイピングして小説書いて、それを飼育係の人が印刷して出版社に持って行ってるらしいよ。そこまでするくらいならペンネームくらい公開したほうが売れると思うのに、どうして隠してるんだろ」ならばどうして、サルのペンネームが猿であることを知っているのか。「週刊誌に書いてあったから」明日は本屋に立ち読みに行ってみることに決めた。それから、そんな情報が入ってきても、私は編集者ほどのショックは受けなかった。猿が小説を書いているから何だというのだ。完成したものがいいものであれば、それを人間が作ろうが猿が作ろうがどっちでもいいではないか。このまま知能が進化した猿に文化が乗っ取られてやがて地球は支配されるかもしれない、などという永遠のB級映画みたいな想像は浮かんだが、それは私を不安になどしなかった。そんなことが起こるとは思えなかったからだ。
榎本なごみは夜まで家にいて、しかも晩餐の席にまで同席した。母は榎本なごみの分の食事まで用意した。笑顔で。まるで息子が友達を連れていることがうれしい、かのように。普段はあんなに冷たいのに。メニューは親子丼で、私の分にはキノコが入っていた。榎本なごみの分にもキノコが入っていた。榎本なごみは言った。「このキノコ、おいしいね」私には味が感じられなかった。