2011年10月9日
※この作品はフィクションであり、実在する人物・事件・依存症とは何の関係もありません。もちろん作者の生活とも何の関係もありません。
10月9日(日)
いつも一階の冷蔵庫から盗み飲んでいる酒は「大八車」といって、とにかく量だけはたくさん入っている、きっとその分安くて味も大したことがないであろう日本酒である。私はこれを、いつもつまみなどというもの無しで飲んでいる。そして今日読んだ本によると、つまみ無しで酒を飲むという行為は、胃に大変な負担がかかるものらしい。私がほぼ毎日のように吐き気に悩まされているのは、日記に書かずに酒を盗み飲み続けているせいではないだろうか、そんな気がしてくる。だからこれからは、酒を盗み飲んだことも日記に書こうと思う。今日はかなりの量の酒を盗み飲んだ。飲んで酔って寝て、起きて飲んで酔って寝ている間に昼間が終わってしまうほどの量を。このまま飲み続けると、私はやはり狂い死に以外の死因で死ぬような気がしてくる。
寄っている間に図書館で借りた、文芸誌を読んだ。さまざまな作家がまるで申し合わせたかのように似たようなシチュエーションを書いていたため、これはもしかしてテーマが決められたアンソロジーだったりするのではないか、と表紙を確認してみたが、そんなことは書かれていなかった。「10年代の自意識を表現する僕らの青春文芸マガジン!」というキャッチコピーが書かれていた。青春文芸。いじめや第三者の校内暴力などで予想していたより(というか、普通のライトノベルより)楽しくない高校生活を送ることになった……というシチュエーションが、「10年代の自意識を表現する僕らの青春」ということになるのだろうか。単なる暗黒青春もののアンソロジーなんじゃないだろうか。酔った頭で、私はそんなことを考えた。
その文芸誌の中で、「猿」というただ一文字のペンネームを使っている作家が居た。これは以前道端で会ってそろそろ動物園に帰ると言っていたあのサルだろうか、などと考えてみたが、あのサルは「小説を書いてみたい」と言ったわけであり、「小説を書いている」とは言っていない。きっと偶然、サルという単語に連続して出会っただけだろう。それとも、実はこれはサルが書いているとか。もしそうだとしたら、もっとその部分を押し出してもいいのではないか。しかし「猿」というペンネームの作家につけられたキャッチコピーは「10年代の文芸奇術師」というものだった。内容は暗黒小説ものだった。
とにかく一日中酔っていたので、晩餐も朦朧とした意識の中で食べた。そして吐いた。今、空腹だ。というか、吐いて以来眠れていない。深夜に書こうと思っていたこの日記も、実は10日の早朝と呼べる時間に書いている。飲まないようにしないと、私は死ぬ。狂って死ぬより、きっとひどい、同情されない死に方をする。