2011年9月30日
※この物語はフィクションであり、事実・実在・実存などとは何の関係もありません。
9月30日(金)
一昨日榎本なごみに言われたことをずっと気にしていたわけではないが、忘れる理由がなかったので忘れなかった。なので私はそれを忘れるために、というかやさしくしてくれる人の言いつけを守るために、一人でウォーキングに出た。ネットでも吐き気というものは胃の血行が悪くなっているせいだと書いてあった。最近、常に腹の底で吐き気が渦巻いているので、少しでも歩くことでこの症状が改善されないか、と期待して私は近所を歩きに出たのだ。でも晩餐後のキノコを吐くための吐き気は必要だと思っている。
近所の情景は見れば見るほどうんざりした。何も思い出というものがないからだ。幼少期、私には友達がいた。今は狂っている私にも、子供のころは友達というものが存在していたのだ。ただ、中学校に入学するとともにここに引っ越してから、私は友達が作れない体質になっていた。転校を機に人見知りになったのかもしれない。それとも幼少期の友達は、親同士が仲が良かったからそれに影響されるように付き合っていた友達だったのか。新しく引っ越した先で、母は友達を作らなかった。ずっと部屋にこもって翻訳作業に精を出している。いや、子供が中学に入ってから親同士が仲がいいからと言って友達になったりする相手なんかできるものだろうか。そんなわけないな。歩いているとそんな考えが次々と浮かんできて、私の気は沈んだ。ついでに吐き気も沈んだ。
晩餐後、母は誰かと電話していた。きっと編集者だろう。電話口で時折「榎本さん」と言っていたから。母と編集者は友達と呼べる関係を築いているのだろうか。そんなわけないだろう、きっと。仕事相手に友情を感じるなどということは、多分、無いと思う。私が仕事をやっていた時も、そうだったからそう思ったのだ。ところで私と榎本なごみは友達だろうか。これは違う、とはっきり断言できる。何故なら、私は榎本なごみに対して何もやっていないからだ。友達というものは何かをやったりやり返したりするものだ、と私は知っている。